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星間歩行 18

 五月の末の日曜日、明人は結のアトリエで絵のモデルをした。道端の花壇のネモフィラは姿を消し、ニチニチソウの淡いピンクの花が植えられていた。夏の準備をする花壇を見て、季節が変わったと感じる。  精力的に絵を描いた後、結はすこし疲れたようで、アトリエに布団を敷いて寝ると言い出した。 「眠るまで、そばにいてくれないかな。人がいるほうが、よく眠れるんだ」  油絵の匂いが漂う部屋で、結はむりやり敷いた布団に入って丸くなった。残された部屋の隙間は本棚の前しかなく、明人はそこに移動する。  本棚には大量のスケッチブックが収められていた。明人がスケッチブックを棚から引き抜く。  スケッチブックには、十三年前の日付が書かれていた。結が十二歳のころの絵で、小学生が描いたとは思えない繊細なタッチの鉛筆画だった。水の渦のデッサン、空の雲。子供のスケッチもあった。これは自分だ、と描きかけの鉛筆の線を見て直感する。  眠っている子供の顔。後ろ向きで頬杖をつく自分。迷いのない線に明人は感心した。結はやはり神童だった。子供が描いたとは思えない巧みさだった。  別のスケッチブックを開く。結が十七歳のときの絵だった。  正面から描かれた自分の顔を見て、明人は鼓動が高まるのを感じた。大人びた少年の顔が、鉛筆で丁寧に描かれている。  結の熱量が伝わる絵だった。結はこのころから自分を想い続けていたのだろうか。翔磨が言っていた、結が以前から自分を好きだったという話は真実なのだと、今更ながらに思い知る。  明人は大学三年生のころのスケッチブックを探した。スケッチブックを取り出して、ページをめくる。いまよりもすこし若い翔磨の顔を見つけて、胸に不快感が広がった。翔磨の裸の半身像が、荒い筆致で描かれている。  翔磨の絵はあくまでも即興的なスケッチで、先ほどの自分の肖像画のような思いのこもったものではなかった。それでも明人は、翔磨の絵を見ると気分が悪くなった。  どうして結はあんな軽薄そうな男を信頼しているのだろう。 「……まだいてくれたんだ。ありがとう」  結が寝ぼけ眼で布団から顔を上げたが、スケッチブックを眺める明人に目を見開く。 「それ、しまって」 「勝手に見て、ごめん」  明人があわててスケッチブックを本棚にしまう。結は耳まで顔を赤く染めて、布団をバタバタと叩いた。 「あーもう……恥ずかしい……もう見ないでよ」  結が布団に倒れている。結は意外と照れ屋だなと明人は思う。決まりが悪そうに顔を赤くしている結の頬がりんごのようで、明人は思わず口元をゆるめていた。

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