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星間歩行 23

 最近、子供のころの結をよく思い出す。結の絵のことで、印象深いエピソードがあった。  明人が小学校五年生のとき、石の絵を描くという夏休みの宿題があった。  それは、五センチくらいの小石を拡大して色や模様を克明に書き写すという、小学生の宿題にしては高度なものだった。  明人は海でグレーの丸い石を拾ってくると、画用紙に鉛筆で石の輪郭を描いた。不透明水彩の絵の具で灰色を作る。  が、白い絵の具に黒の絵の具を混ぜても薄い青色になるだけで、石のようなグレーにはならなかった。兄の絵の具に灰色があるだろうか、と明人は結の部屋のドアを叩いた。 「兄貴の絵の具を貸して」 「いいけど、何に使うんだ?」 「灰色の絵の具を持ってるだろう? 黒と白を混ぜてみたけど、きれいなグレーにならないんだ」  そのとき結は中学一年生だった。結は絵を描いている弟が珍しかったのか、明人の後についてきてくれた。  結は明人のパレットを見ると、ちょっと貸して、と明人の絵の具のチューブを取った。パレットに赤・青・黄色の絵の具を並べて出していく。  明人は白い絵の具のなかに、三色の絵の具をすこしずつ足していった。色が汚くなると驚く明人を尻目に、結が絵筆で白い絵の具を掻き回す。  白い絵の具はきれいなグレーになっていた。手品のように鮮やかな手際だった。 「青っぽい黒と赤っぽい黒があるから、白に黒を混ぜてもきれいなグレーにはならないんだ」  結がグレーの絵の具で石の絵を塗っていく。 「自然の石は透明感があって彩度が高いから、不透明水彩だけでは色を出すのが難しいかもしれないね」 「彩度が高い?」 「色が鮮やかってこと」  明人はまじまじと石を見下ろした。そのへんに転がっているグレーの石が、結の目には別の色で見えているようだった。結の世界は自分に見えている世界とは違うのだろうか。やはり芸術家の目は凡人とは違うのだと、明人は思う。 「CGだったら鮮やかな色を出すのは簡単だけどね」 「何で?」 「絵の具は混ぜると色が濁るけど、光は濁らないから」 「じゃあ、兄貴もCGで絵を描けばいいじゃないか」  結は絵筆を置くと、すこし驚いたように目を見開いた。そうして、悪戯っぽく微笑む。 「自分の思い通りに描ける画材は面白くないんだよ」  頑張って、と手を振ると結は部屋を出ていった。狐につままれたような顔の明人が取り残される。  あのとき結はまだ筆触分割の技法で絵を描いていなかった。当時の結はまだ意識していなかったかもしれないが、白い絵の具に三原色を混ぜた色の作り方のなかに、技法のヒントが隠されていたのかもしれない。

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