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星間歩行 24
次の日曜日も明人は結の絵のモデルをした。結の絵は明人の顔が決まらないまま、背景やトガをまとった身体だけが完成に近づいていく。
結は描かれた明人の顔が気に入らないようで、ペインティングナイフで明人の顔を削り取って下塗りの茶色を塗り直していた。
「やり直したところだけ浮かないか?」
「中途半端に直してもうまくいかないから」
下塗りが乾かないので、その日の作業はこれで終わりになった。明人は結が淹れてくれたコーヒーを手に、キャンバスの隙間へ結と並んで座った。
ありがとう、と結が明人に頭を下げる。
「俺がうまくいかなくてイライラしてるのに、何も言わずに付き合ってくれて」
「俺だって小説を書いていてイライラすることはあるよ。お互いさまだ」
「明人が小説家でよかった」
結は猫のような目をキラキラさせて磨りガラスの窓を眺めている。
「俺たちは悩みも同じだし、目指すところも似ているから。ほんとうに助かる」
結はコーヒーを飲みながら、やわらかい目を天井に向けた。
「ゴッホとテオは一方的な関係でありすぎた。もしかして、テオも何かを創作していたら、助け合える関係になってちょうどよかったかもしれない」
「互いに貧乏すぎて自滅しそうだけどな」
結が軽やかな笑い声をあげる。
「ゴッホもテオをずっと助けたかったと思うんだ。だから自殺するまで自分を追い込んで、テオのために絵を描いた。ゴッホは死んだ後で絵が売れてほんとうに悔しかったんじゃないかな。テオにお金が入って幸せになってほしかったと思うんだ」
だからね、と結は明人に悪戯っぽい目を向ける。
「俺たちはめちゃくちゃお金を稼いで、幸せになろう」
「動機が不純だな」
「不純じゃないよ。俺は明人が幸せなおじいちゃんになるところが見たいんだ」
コーヒーで酔ったように、結の顔が赤く染まっている。
「明人がいっぱい本を出してお金持ちになって頑固なおじいちゃんになる、そんな未来が見たい」
「頑固は余計だ」
「ぜったいに頑固になるよ。そういう家系だもの」
ふたりとも自分の道を突き進む上ではとても頑固なところがある。明人はコーヒーを啜りながら、そうかもしれないと思う。
「明人ならきっとできるよ、すごい文章が書けるから。俺にとってはちょっと難しいけど」
結が天井を見上げながら拳を握る。
「明人ならぜったいに作家としてやっていけるよ。明人の努力をそばで一番見ているのが俺だから、それは断言できるよ」
胸が温かくなる。ゴッホとテオもこんなふうにふたりで励まし合っていたのだろうか。
「いまの明人がうまく描ければ、自分の殻をひとつ破れるような気がするんだ」
結は午後の黄色い光が落ちる磨りガラスの窓をやわらかい眼差しで見ていた。
「昔もそういうときがあった。そういえば、あのときも明人を描いたんだ」
「高校のころ、俺を描いたことがあったな」
「『啓示』ね。覚えていてくれたんだ」
「あれはいい絵だと思ったから」
ひときわ印象に残っている結の作品だった。十代の自分が夕空を見上げている油絵だ。
「また見たいな」
「ここにあるから、表に出しておくよ。鍵を渡しておくから、明日以降観に来て」
「今じゃ駄目なのか?」
「いっしょにいると、恥ずかしいから」
結が眉間に皺を寄せて下を向いている。結のなかにアンビバレントな思いがあるのだと考えながら、明人は結にうなずいた。
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