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星間歩行 25

 次の日の仕事帰りに、明人は結のアパートを訪れた。薄暗い部屋の灯りを点けて、部屋へ上がる。  イーゼルの上に一メートルくらいの大きさの肖像画が立てかけられていた。思ったよりも大きな絵だった。  『啓示』はたしか結が高校三年生のときに市の美術展で銀賞を取った絵だ。明人はこの絵を市の美術館で見たことを思い出した。  十五歳の明人が、夕空を見上げてたたずんでいる絵だった。自分の上半身の背景に、シルエットになった枯れ枝の森と、オレンジ色から緑色、そして藍色に変わっていく夕空が描かれている。  すこし粗い筆致の具象画だった。  藍色で塗られた夕空の端には、細かい星が瞬いている。  明人は十五歳の自分の顔を見て、ハッと息を呑んだ。希望に満ちた明るい少年の顔だった。口元がゆるやかに微笑み、青みがかった黒い目には、夜空の星がたくさん映っている。  何か大切なものを夢見ているような自分の姿だった。当時はわからなかったが、いまの明人にはわかる。これは十七歳の結が、自分の叶わぬ想いを描いた絵だ。  十五歳のときの明人は、初めてできた同級生の恋人と付き合っていた。明人が二ヶ月前に振られた彼女だ。毎日のようにメッセージをやりとりする自分に、当時の結は「彼女?」と聞いてきた。照れながらうなずき返したことを思い出す。  ――俺が明人と付き合おうかな。優しいし、浮気しないし、かっこいい。  結と過ちを犯した夜に告げられた言葉がよみがえる。  明人は付き合っていた彼女一筋だった。大学時代には彼女といずれ結婚しようと思っていた。が、当時それほど親しくなかった結と深い恋愛話をしたことはない。もしかしたら結は昔から自分が好きで、彼女の存在にひっそりと傷ついていたのかもしれない。  当時の自分は結に興味がなかった。そのせいでこの絵の本質がわからなかったのだと、胸の奥が痛くなる。  結は小学生のころから自分のことが好きだったのだ。  結を性欲の化け物だと思っていた自分の目のほうが曇っていたのだ。  結は化け物ではなかった。ひとりの恋する、弱い人間だった。  結の秘めた想い。時が経ったいまでも、それは熱量を持ってこの絵から発散されていた。  自分は知らないうちに結を傷つけていたのだ――  テーブルの上に、一冊のスケッチブックが広げられていた。古い新聞記事がスケッチブックに貼ってある。  新聞記事には高校三年生の結が市の絵画コンクールで銀賞を取ったことと、当時の結のインタビューが載っていた。  ――自分の行く道を見定めた少年の決意を描きました。  結はそれを明人だとは語っていなかった。  ――日が落ちると、地面が直接宇宙へ届きます。少年が、自分の心も宇宙と繋がっていると気づいた瞬間を描いた絵です。  だから絵の題名が『啓示』なのかと、明人は胸が熱くなった。高校時代に文芸誌へ必死に投稿していた自分の姿を思い出す。  あの絵は、小説家を目指していた自分、文章の世界で星と繋がっていた自分を描いたものでもあったのだ。優れた芸術家は人の本質を見抜く。結の想いが乗り移ったように、身体がふわりと熱くなる。  結の想いが長年のものであると実感させられた。そして、明人の本質を子供のころから見抜いていた、深いところからくる想いであることも。  しかし自分は、結の想いに応えるわけにはいかないのだ。スケッチブックを閉じて部屋の電気を消し、結の絵の残像に心を奪われながら、そう思う。

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