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星間歩行 30
その日の夜、明人のスマートフォンに翔磨から電話が入った。
「結が倒れたから、保険証を持ってきてくれないか」
「兄貴は大丈夫ですか?」
「詳しいことは病院で話すよ。今点滴を受けてる。点滴が終わったら、帰れるそうだ」
明人はなぜ翔磨からこんな連絡が入るのだろうと訝しみながら、結の保険証を持って救急病院へ向かった。
夜間の救急病院の外来受付には、翔磨しかいなかった。翔磨はスーツ姿で、会社帰りに結のアパートに立ち寄ったと告げた。
明人は翔磨に促されて救急病院の駐車場に出た。六月の夜にしては肌寒く、車がまばらに停まった駐車場に街灯の輪が落ちている。
「栄養失調だそうだ」
栄養失調? と明人の声が裏返る。
「結は君にお金を渡していただろう? 無理してお金を出していたから、食事を摂っていなかったんだよ」
「俺の前では食べていましたよ」
「君の前ではね」
翔磨の口調に棘がある。
「結は馬鹿だって前に言っただろう? 寄生虫という君の言葉を真に受けて、食費を削ってお金を渡していたんだ。気づかなかったのか?」
翔磨の言葉が胸に突き刺さる。たしかに結は最近痩せて目が落ちくぼんでいた。が、自分はただ、絵に神経を使いすぎたとばかり思っていた。自分のうかつさに、胸が軋む。
以前、結は絵を描いてから布団で休んでいた。結は何も言っていなかったが、あのころから食事を摂っていなかったのだろうか。
「それだけ君の言葉は結にとって重要だったんだよ。結は君に家賃を渡したかった。でもお金がなかった。君が受け取ったのは、結が自分の身を削って出した金だ」
翔磨が鋭い目つきで明人を睨んでいる。
「もっと結を見てやってくれ。結は君じゃないと駄目なんだ」
翔磨は腕時計に目をやると、遅いから今日は帰るよ、と告げた。挨拶もなく去っていく背中に、頭を下げる。
――人に興味がない。
別れた彼女から言われた言葉が、苦い実感とともによみがえる。
だから自分は、どれだけ原稿を書いても作家になれないのだろうか。
明人は思念を振り切るように身体をひるがえすと救急病院へ入っていった。
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