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星間歩行 32
七月の初旬に、飛勇展に出展する絵が完成した。明人は結のアパートで結と絵を見下ろしながら、午後のやわらかな光が落ちる窓辺に立っていた。
結はアトリエを整理して、明人のワンルームマンションに置いていた荷物を宅配便で送っていた。部屋には梱包を解かれていないダンボールが数個積まれている。
「『空想の入り口』って題名なんだ」
ゴブラン織りの茶色のカーテンの下で、ギリシャ彫刻のように彫りの深い容貌に描かれた自分が物思いにふける座像だった。光が斜めに落ちる灰色の壁と、カーテンの精緻な花模様、自分にゆったりと巻きついた白いトガが、荘厳な印象を与えている。飛勇展の絵なので本来の結の絵の輝きは控えめだが、自分の何かを思うような表情が人を絵のなかに誘い込ませる、そんな雰囲気を持っていた。
「明人が小説を書くときの感じを出してみました」
結が鼻の頭を赤くする。
「そういえば、明人は小説、どうするの? お兄さんと異形の妹の」
明人は自分が書いている小説の筋を話して聞かせた。
異形の者は、自分のような化け物に惜しみなく愛を注いでくれた兄に感謝して、虚空へ消えていく。後には兄と、ふつうの人間に戻った妹が残された。兄は異形の者の面影を偲びながら、妹に別れを告げようとする。妹は、自分はもともと兄が好きだった。異形の者に取り憑かれたのも、自分のなかに兄を想う心があったからだと告白する。
「それで、お兄さんと妹はどうするの?」
「愛のかたちは、異形の者も人間の妹も同じだといって、妹を受け入れる」
「――もしかして明人って、自分のことしか書けないタイプなのかな?」
「そうかもしれないな」
「それもいいよね」
結がふわりと笑みを浮かべる。
「飛勇展は観に来なくていいよ。ここでもう観てるから」
「わかった」
「明人、今までありがとう」
結が差し出した手を、明人は握った。乾いた、やわらかい手だった。一瞬強く握り合って、手を離す。
「じゃあ、また」
先のない約束をして、明人は結のアパートを出ていった。帰る道すがら、明人はこれが正しい道なのだと自分に言い聞かせていた。
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