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第15話 結婚……したかった
僕たちは目が合ったけど、直ぐにお互いに逸らしてしまう。こんなはずじゃないのに……前はずっと、笑い合っていたのに。
喧嘩しても直ぐに仲直りして、直ぐに抱きついていた。僕は本当に、彼のことが好きだった。
彼も口下手な所があったけど、間違いなく僕のことを大切にしてくれていた。お互いに愛し合っていて、僕は直ぐにでも番になりたかった。
両親が亡くなって親戚付き合いもなくて、天涯孤独の身になった。そんな中、不安定な僕を蒼介は支えてくれた。
優しくていつでも、暖かく包み込んでくれていた。そんな彼が好きで好きで、結婚して子供を作って……。
ずっと死ぬまで一緒にいて、喧嘩しても仲直りして……僕たちはいつも一緒にいて、幸せな人生を送るはずだった。
もうそんな幸せを、蒼介と歩むことはできない。すると急に腕を掴まれて、抱きしめられた。とにかく急なことで、僕は直ぐには反応が出来なかった。
最初は嬉しそうな吐息が聞こえて来たけど、直ぐに引き離された。そして怖い顔で怒りながら、聞かれて僕は只々困惑する。
「……くんっ、なんで湊から社長の匂いがすんだよ」
「えっ? 匂い?」
「まさか……番になったわけじゃないよな」
「なってないよ……痛っ」
「あっ……ごめっ」
力強く両腕を掴まれたからか、かなり痛くて声が出てしまう。僕の声に我に返ったのか、直ぐに離してくれた。
そしてバツが悪そうに、右頬を掻いていた。この癖……変わっていないんだな。蒼介は昔から、自分が悪い時には頬を掻く癖があった。
その瞬間凄く嬉しくなってしまって、思わず蒼介の頬を触ろうとした。次の瞬間、息を切らしてやってきた社長に手首を掴まれた。
そしてそのまま抱きしめられて、肩を掴まれてふわあと匂いがした。この香りやっぱ、落ち着くなと思っていた。
「何してるんですか、小笠原さん。あなた方は既に別れていますよね」
「……はあ? ふざけんなよ、匂いまでさせて」
「あなたこそ、社長に向かってなんですか?」
「俺はまだ……別れたつもりないから」
蒼介が今にも、殴りかかりそうな勢いで怒っていた。そして本気でそう言っているようで、僕は何も言うことが出来なかった。
それと同時に、自分のこの曖昧な感情が二人を困らせているのだと感じた。どうするのが、最善なのか僕には分からない。
トイレの前にはたくさんの野次馬がいて、騒がしくなっていた。すると社長はちっ……と舌打ちをして、ドアを開けて一喝する。
「今は就業時間ですよ。トイレに用がある方以外は、持ち場に戻りなさい」
すると蜘蛛の子を散らしたように、野次馬がいなくなった。ほんとカッコいいよね……怒った顔も、綺麗で魅力的だ。
そう思って見つめていると、蒼介に声をかけられた。その時の表情が見たことがないくらいに、暗く澱んでいて心配になるほどだった。
「湊……俺は、別れたくないから」
「蒼介……僕は」
「とにかく、今は先ほども言いましたが……。就業時間内なので、持ち場に戻ってください」
社長の言葉に舌打ちをして睨みながら、僕の肩に手を置いて笑ってその場を後にする。蒼介がいなくなってから、社長に腕を掴まれた。
そしてそのまま何も言わずに、社長室に連れて行かれる。社長室に鍵をかけて、僕を机の上に座らせる。
そして当たり前のように、キスをしてきて舌を入れられた。ちょっと強引で怖かったけど、気持ちよくなってしまう。
「しゃ……んっ」
「ひろ……湊さん、小笠原さんには何もされてないですか」
「何もされて……ないです」
僕がそう言うと上着を脱がされて、ワイシャツのボタンを取り始める。ここは会社で社長室で、抵抗すべきなのに……抵抗できずにいた。
ネクタイを器用に取り始め、たまに胸に手が当たって変な声が出た。前はこんなに敏感じゃなかった。
社長に触られてから、布に擦れただけで変な感覚になり始めた。Ωの男性用の下着もあるけど、恥ずかしいから着たくない。
するとワイシャツを脱がして、僕の両腕を見て怒りを露わにする。どうしたのだろうかと、思っていると右腕にキスを落とされた。
「しゃ……ちょう?」
「強く掴まれて、赤くなってますよ」
「あっ……さっき、その……なんでもな……あっ……んっ」
指摘されて初めて自分の両腕に、軽く赤い跡がついていることに気がつく。そこを優しく労わるように、舐めてきて変な声が出てしまう。
僕は恥ずかしくなって、口元を手で押さえる。それでも少し指の隙間から、吐息が漏れて完全に変な雰囲気になっていた。
「痛くないですか」
「だい……じょ……うぶ」
「正直私は、かなり怒ってるんですよ。湊さんの大切な人なので、これ以上何も言わないですが」
そう言って僕を見上げている花楓さんは、物凄く険しい顔で怒っていた。僕のために、怒ってくれているんだよね。
素直に嬉しいと思ってしまうけど、少し怖くもあった。優しい人だから蒼介には、何も言わないだろうけど……。
「お願いです……蒼介にはもう何も言わないで下さい」
「ちっ……分かりました。ただこれ以上、あいつの名前は出さないでほしい」
「わ、分かりました」
少し不服そうに舌打ちをしていたけど、直ぐにいつもの笑顔になっていた。いつもは敬語で優しい雰囲気なのに……。
たまに出してくるオスの部分が、少し怖くて怖気付いてしまう。それでも花楓さんが、真っ直ぐに僕を見てくれている。
それが行動一つ一つで直に伝わってくる。僕は堪らずに、抱きしめてしまう。すると、花楓さんも優しく抱きしめてくれる。
「なんで、優しくしてくれるんですか」
「好きだからですよ。願わくば、私と恋人同士になっていただきたいですが」
「ぼ……僕は」
曇りのない真っ直ぐな瞳で、そう言われてしまった。青みがかった綺麗な瞳に、見つめられると逸らすことが出来なくなってしまう。
僕はまだ自分の気持ちの整理が、ついていないから答えが出せずにいる。蒼介のことは好きだし、今日会った時はこの前のような嫌悪感はなかった。
それはまだ、僕が彼のことが好きだってことだと思う。自分でも、確信できていないこんなフワッとした感情。
僕がそんな風に考えていると、頭を優しく撫でてくれた。たった……それだけのことで、心が晴れていくから不思議だ。
「無理に付き合わなくてもいいですよ。いつまでも待ちますから」
「でも……それじゃ、社長に悪いですよ」
「いいんですよ。完全な下心ですし、あなたを一人にすると怖いので」
下心は一旦置いておいて、優しく微笑んでくれる。僕だけを真っ直ぐに見て、僕の頭を撫でてくれる。
僕はその手の上に手を置いて、俯いて顔を真っ赤にする。もう一度抱きしめてくれて、また優しい柑橘系の香りがした。
蒼介を忘れることはできないが、少しずつ花楓さんに好意を寄せている自分に気がついた。
もっともっと、この人のことを知っていけば……この感情の意味に、気がつくことが出来ると思った。
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