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第35話 悪寒
同窓会から帰ってきてから、彼の様子が完全に可笑しかった。だって会社の中でも、家でも四六時中ひっついてくるようになった。
最初は可愛かったし、凛としている時とのギャップに萌えていた。でもね……流石に、週四回するのは多いでしょ。
世間一般のことは知らないし、嫌じゃないけど…‥体力が持たないから、ほどほどにしてほしい。
盛りのついた猿じゃないんだから……とは言いつつも、少し嬉しい自分もいる。それでも、仕事はしっかりやってくださいね。
今も社長室で盛ってきて、壁に追いやられている。キスしようとしてくるから、持っていた資料で防御する。
「社長、仕事をやってください」
「仕事よりも、湊さんが優先です」
「ここは会社ですよ。それに溜まっている書類に目を通して、ハンコをしてください。午後の会議の資料にも目を通して下さい」
「ハンコならすぐに出来ますし。資料なら既に目を通していて、意見も纏めてます」
ああ言えばこう言うじゃないけど、少しは社長らしくして下さい。僕は彼の手を引いて、椅子に座らせて無理にでも仕事をさせる。
ハンコを準備して、コーヒーを淹れる。すると少し不服そうにして、渋々仕事をし始める。
ほんと、子供なんだから……二十代後半なんだから、もう少し大人になってほしい。
僕はこっちを見ている彼を無視して、書類を纏めに資料室へと向かう。そこには咲良さんと佐々木さんがいた。
「お疲れ様です」
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
僕は二人の手伝いをすることにして、作業を開始した。まだ一人で出来ることは少ないけど、確実に秘書の仕事が板についてきたような気がする。
そんな時だった。咲良さんが笑いながら、僕に問いかけてくる。
「社長って、変わったわよね」
「そうなんですか?」
「ええ、ここだけの話。従姉妹だから分かるけど、イライラしててもポーカーフェイスだったのよ。最近は少しいい意味で、表情が分かるようになったわ」
いつも一緒にいるから分からなかった。そう言われれば物腰柔らかに、なっているような気がする。
社長っていう肩書きもあってか、色々と気が休まないんだろうな。それだけじゃなくて、これだけやっていても勉強してたりするし。
週に二回は必ず、家に帰ってから仕事してるし。料理以外は僕がやってるけど、基本的に負担が多いだろうし。
「きっと近くに、湊さんがいるからね」
「そう……ですかね」
そう言ってもらえて嬉しくて、彼の安らぎになっているといいな。そう思っていると、佐々木さんがいつものフニャアとした笑顔でこう言った。
「そうですよ〜広瀬さんは、優秀ですから〜僕なんか、いつも失敗ばかりで」
「佐々木くんは、もう少し頑張りましょうね」
「はい、ありがとうございます!」
若干というか確実に、嫌味が混ざっている咲良さんの言葉にも笑っている。いつも思うけど、佐々木さんってポジティブだよね。
そう思って微笑んでいると、資料室に彼がやってくる。ちょうどよく、資料ができた僕たちは立ち上がる。
「今日の会議に、広瀬さんも参加して下さいね」
「僕がですか? 務まりますかね」
「そんなに肩に力入れなくていいわよ。勉強として、会議の進行を見るだけでいいから」
「わ、分かりました! よろしくお願いします!」
五年間営業で培ったスキルは、伊達ではないと思う。それでも今日の会議は、本社からお偉いさん方が来るのだ。
まだ秘書になりたての僕には、荷が重いような……それでも少しでも、早く覚えて少しでも負担を減らさないと。
そう意気込んでみたが、そんなに甘いものではない。参加する全員分のお茶とお菓子を準備して、プロジェクターの確認。
やることは山積みだ……それでも、優秀な咲良さんのおかげで会議自体は滞りなく終わった。
「広瀬さん、紹介したい人がいます」
「紹介したい人……ですか」
社長に声をかけられて、見てみると赤髪の優しそうな男性が、こっちを見て頬笑んでいる。
確か帝花向さんで、彼の双子のお兄さんの一人だったと思う。僕は慌てて頭を下げて、ご挨拶する。
「紹介が遅れてすみません。僕は社長秘書のひろ」
「いいよ、そんなに硬っ苦しくなくて」
「ありがとうございます」
そう言って微笑んでいたが、なんとなくその笑顔が怖いと感じてしまった。何でだろう?
彼のお兄さんだし、役員さんだし……失礼だよね、こんなこと考えては。そう思って、違和感はあったけど気にしないことにする。
それに彼が嬉しそうに話し込んでいて、仲がいいのは明白だった。そうだよね……兄弟だもんね。
彼と共にいるのなら、僕も友好的な付き合いが必要だ。そしてしばし僕たちは、三人で談笑していた。
「へーじゃあ、花楓の一目惚れなのか」
「まあ……恥ずかしいな」
「僕なんかに、一目惚れって最初は信じれなかったんですけど……」
自虐的に頬を掻きながらそう言うと、微笑んだ彼に頭を撫でられる。その甘い顔と柑橘系の香りに、僕は嬉しくなってしまう。
「なんかなんて、言わないで。俺にとって、湊は全てなんだから」
「か……えで」
完全に僕たちは自分たちの世界に入っていて、身を寄せ合ってキスをしようとする。しかし花向さんの咳払いによって我に返る。
「ゴホンッ……お二人さん、ここ会社」
「あっ……すみません」
「いいじゃん、俺の会社なんだし」
そう言って頬を膨らましている彼の、背中を少し摘む。痛かったようで、少し声を出していたが気にせずに頭を下げる。
「ほんとに、すみません」
「いいよ、君が悪いわけじゃないし」
「ありがとうございます」
やっぱ、笑っているけど少し怖いんだよな。なんか下から上まで、値踏みされているような気がして……。
若干悪寒がしているけど、そんなこと思っちゃダメだと自分を諭す。そんな時だった、会議室のドアが開いて咲良さんが声をかけてきた。
「社長、専務がお呼びです」
「しかし……」
「いいから行って来なよ」
僕がそう言って背中を押すと、少し嫌そうにしていた。何度も何度も、名残惜しそうに振り返る。
そのため僕が手を振ると、仕方なく会議室を後にする。どんだけ、子供なんだよ……社長なんだから、少しは社長らしくしてよ。
まあ、可愛いからいいんだけど……って思ってしまう自分も、大概だし甘えさせたくなってくる。
そう思って微笑んでいると、花向さんに声をかけられた。やっぱ、とても嫌な感じがする微笑みを浮かべながら……。
「仲良いんだな。羨ましいよ」
「えへへ、ありがとうございます」
花向さんの言葉に、僕は素直に嬉しくなってしまう。すると、急に意味の分からないことを言われた。
「マーキングの影響が、デカいと思うけどね」
「マーキングの影響? ですか」
「あれ知らない? マーキングはね、αからのΩへの絶対服従契約なんだよ」
絶対服従契約って、なんの話……マーキングって、解除できるんでしょ。それだって、ネットで書かれている都市伝説だし。
それでも耳を傾けてしまうのが、花向さんの真意が分からないからだ。それと只単純に、顔は笑っているが怖かったからである。
「それにね、強制的にαの匂いがΩにこびりつくんだよ」
「それって、どういう……」
「察しが悪いな……君が花楓を好きなのは、マーキングの影響なんだよ」
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