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第36話 信じることが出来ない
花向さんの言っている意味が分からない……只一つだけ分かるのは、気持ちが悪いってことだけ。
それと蒼介が、言っていた彼の匂いが僕からするって……マーキングの影響だってことだよね……。
「同化っていうのもあってね……花楓が君の心ごと、自分のモノにするっていうのもあるんだよ」
「……な、んで」
「だからさ、君が花楓が好きなのは……花楓が、君を服従させたいからなんだよ」
何を言っているの……同化? 服従? そんなはずないよ……だって、僕のこと大事にしてくれているじゃん。
――――それも、服従させるためなの?
違う、絶対に違う……帰る場所になりたいって、言ってくれたじゃん。それなのに、服従なんて……。
そんなはずない……信じたいのに、自分の気持ちが分からない。僕が悩んでいると、会議室に彼がやって来た。
「どうしたのですか? 広瀬さん、具合でもわる」
「触らないで! あっ……ごめっ」
頭を撫でられそうになって、思わず手を払いのけてしまった。爪が当たってしまって、血が出てしまっていた。
「大丈夫ですよ。具合悪いのなら、早退しましょう。この後は、急ぎの仕事もないので」
「自分で帰ります……」
「広瀬さん!」
僕は何も考えたくなくて、彼の制止を振り切って会議室を後にする。鞄を取りに行って、僕は脇目も振らずにエレベーターに乗る。
扉が閉まる時に彼の必死な顔が見えた。だけど、今は会いたくなくて開けておかなかった。
無機質な音がして扉が閉まる。動き始めてからタクシーに電話をかけて、一階に到着する。
歩き出すと誰かにぶつかって、腕を掴まれて支えられた。柚子の香りがしたから、蒼介かな……。
「湊? どうしたんだ、泣いてる」
「あっ……なんでもない」
「なんでもないって、顔してないぞ」
心配してくれている声が聞こえたけど、とにかく僕は今何も考えたくない。お願いだから、放っておいて……。
そう思って俯いていると、急に腕を引っ張られた。柑橘系の香りがするから、彼であることは明白だった。
彼の荒い息遣いが聞こえてきて、階段で五階から走って来たのだろう。いつもなら嬉しいけど、今はとにかく構わないでほしい。
「みなっ」
僕は何も言わずに走って、会社の前に停まっているタクシーに乗り込む。運転手さんに行き先を告げると、そのまま走り出す。
急いで追いかけてきた彼の姿が段々と、見えなくなっていく……電話が直ぐにかかってきたけど、出ることが出来ずにいる。
しばらくすると止まってしまって、僕のスマホと手には雫が溢れてしまう。僕は何も成長していない……。
玄関の前に来て、初めて使う鍵で家の中に入る。寝室に行って僕はベッド脇に座って、ベッドに突っ伏した。
自分でも驚くくらいに、大きな声で子供のように泣きじゃくる。何より悲しくて悔しいのが……。
――――信じることが出来ない弱い自分にだ。
自己嫌悪に陥っていると、勢いよく寝室の扉が開く。彼の荒い息遣いが聞こえて、近づいてくる足音が聞こえる。
「はあ……はあ……湊」
「来ないで! 今は、そっとしておいて」
「……もしもし、金城さんですか……湊を今から、家に泊めてあげてください」
透真に電話する声が聞こえて、慌てて振り向く。他にも何か話していたけど、耳に入ってこない。
なんで……確かに話を聞かずに、拒絶したのは僕だ。僕が一方的に暴走しているだけだよ……。
だけどなんで、透真に電話するの……今ここにいるのは、僕たちでしょ。僕たちの問題なのに、なんで他の人に頼るの。
――――なんで……他でもない貴方がそれをするの。
「酷いよ……」
「湊……あっ、今日は距離を取りましょう」
「蒼介と同じことするんだね」
そう言うと、彼は本当に傷ついた顔をしていた。そこで、一番言ってはいけないことを言ってしまったと後悔する。
それでも一度出てしまった言葉は、取り消すことが出来ない。後悔するけど、今まで心のどこかで不安に思っていたことだ。
僕はここに居たくなくて、立ち上がって出て行こうとする。両手首を掴まれて思わず彼の顔を見ると、こんな時なのに……穏やかな顔をしていた。
――――なんで、僕にまでよそゆきの顔をするの。
もう分からないよ……彼の気持ちも、僕自身の気持ちも。そう思っていると、玄関のチャイムが鳴る。
「湊……君の帰る場所は、ここだから」
「……分からない」
僕は振り返らずに家から飛び出して、マンションの前に泊まっている車に乗り込む。スーツ姿で、急いで来てくれた透真が運転する車に……。
車が発進してからも、透真は何も言わずに黙っていた。透真は僕のこと、ちゃんと分かってる。
頭が混乱している時は、何も聞かないでほしい。ほんと昔から、僕は何も成長していない。
「おかえり。いらっしゃい」
「……お邪魔します」
「いいから、入って。お風呂沸かしておいたから、湊くん。入って」
透真の家に入ると、律さんに暖かな笑顔を向けられた。言われるがままに、浴槽に入るとまた涙が溢れてくる。
透真も律さんもなんで、こんなに優しくしてくれるの。こんなの、めんどくさいだけなのに……。
適当に上がって用意されていた服を着て、リビングの方に向かう。僕が入ると二人は何も言わずに、ダイニングテーブルに座らせてくれた。
「はい、今日は鍋だよ」
「寄せ鍋、美味いぞ」
「……食欲ない」
せっかく二人が気を遣ってくれているのに、僕は何も出来ない。それだけじゃなくて、二人に迷惑かけてる。
僕は立ち上がって荷物を持って、出て行こうとした。そこで律さんに、頬を優しく叩かれた。
「鍋、食べて」
「……うん」
僕は大人しく座って、今度こそ鍋を食べ始める。美味しい……だけど、彼の作ったものが食べたい。
――――この蟹、美味しい……。
僕の手の上にポタポタと雫が、落ち始める……。それでも二人は何も言わずに、優しくしてくれる。
後片付けを手伝って、律さんに僕は寝室の方に連れて行かれる。少し躊躇ってしまう……何度か、泊まったことあるけど。
その時は僕はリビングに、布団を敷いてもらったから……僕にとって恋人同士や、二人みたいに夫夫にとっては神聖な場所だから。
そう思って足が止まってしまうけど、優しく微笑まれる。その笑顔が本気で、心配してくれているのが分かって逆に辛い。
「今日は話そ、Ωトークしよ」
「でも……布団敷かれてるけど、やっぱ寝室は」
「湊、お前は少し。俺らを頼れよ」
「ぼ、僕は……」
透真が少し寂しそうな表情を浮かべていて、ほんと僕は最低だと感じていた。蒼介の時は、花楓に迷惑かけて……。
今度は二人に迷惑かけて……泣いてばっかで、ほんと何も成長していない。だから、愛想尽かされても、仕方ないのかもしれない。
もし彼が好きな気持ちが、マーキングや同化っていうもので……もたらされた感情なのかもしれない。
そう思ったら何を信じればいいのか。分からなくなってくる。急に胸が、締め付けられるような感覚に陥ってしまう。
「湊、大丈夫か? 苦しいのか」
「とりあえず、座ってよ」
「うん……」
二人に促されて僕は、静かに布団の上に体育座りをする。膝の上に手と頭を乗せて、目を瞑ると彼の笑顔しか浮かんでこない。
例え……この感情が作為的なものだったとしても、僕は少しイジワルで……でも優しくて暖かい彼が好きなんだ。
そう思ったら、気分が少し楽になったような気がした。透真が背中を律さんが、頭を撫でてくれる。
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