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遠い空が呼んでいる 7

漂ってくるタバコの香りで目が覚めた。 嗅ぎ慣れた、マルボロの香り。 いつもは僕を安心させるこの香りが、今日は僕の不安を掻き立てる。 「おはよ。穂影。」 奏が穏やかな顔で僕に声をかけた。 奏……何でそんな顔すんだよ。 別れるなんて言っといてなんでそんな顔すんだよ……。 いつも、直ぐそばにいた奏が、僕の手の内からスルリと零れ落ちて行ってしまったようだった。 「東、起きて。朝だよ。」 「んっ……穂影ぇ……?」 隣で寝ていた東が、眠い目をこする。 どうやら起き抜けでまだ頭が回っていないようだ。 「んっ……穂影ぇ。起こしてぇ。」 「だーめ。自分で起きて。」 あやす様に体をさすると東は僕の体を使って起き上がる。 「えへへ。起きたよ。」 東の顔に笑顔が咲く。 そんな、東の無邪気な笑顔に何故だか罪悪感が湧いてきて、少しだけ表情が曇ってしまう。 「……穂影?」 東が小首を傾げだ。 今自分の抱えている気持ちを吐き出してしまそうになるほど無垢な表情に、僕はたじろぐ。 実は昨日の夜、この旅行が終わるまで、奏の気持ちは東に黙っておこうと決めたのだ。 東を心配させたくなかったのもそうだが、少しでも幸せな気分で旅行を終えようと二人で取り決めたのだ。 「なんでもないよ。ほら、早く支度して、チェックアウトの時間に間に合わなくなるよ。」 一泊二日のプランで組んだ今回の旅行。 今日の夜の新幹線で帰宅するという少し過密日程ではあるが、要所はこれだけあれば回れるだろうということでこのプランを採用した。 「ん。わかった。えへへ。楽しみだなぁ。茶屋街行って!兼六園行って!美術館行って!」 「そうだな。楽しみだな。」 奏が、空になったタバコの箱を捨てながらそう言った。。 その顔は悲しい様で、嬉しい様で、寂しい様で、それでいて楽しい様でもあった。 早く起きて準備をしたらしい奏は、僕たちが準備を終えるのを待ちながら、もう一本タバコに火をつけた。 いつもと違う甘い香りがする。 ふと見てみると、奏が咥えているのはいつも吸っているマルボロではなく、キャスターという甘い味のする別のタバコだった。 それを見て、僕はひどく悲しい気分になった。 まず東茶屋街に行くために僕達はバスに乗った。 「わー。バスなんて久々だなー。」 少しはしゃぎ気味の東が、三人乗りの席に座った。 「穂影。真ん中すわれよ。」 奏に耳元で囁かれ少し体がぞわりとする。 睨む様に奏を見てみると、いつものニヤリとした顔ではなく、本当に優しい顔をしていた。 ……なんなんだよ、ホント。 奏に促されて、真ん中に座る。 右には無邪気な笑顔で窓の外を見つめる東と、左に似合わない微笑みを浮かべる奏。 なんだろう……この状態は。 少し困惑していると、奏の手が僕の手に触れた。 そしてそのまま、奏の手が僕の手を握る。 まるで中学生の様に手を繋いだままそっぽを向く奏。 なんだか、そんな奏が、今日は少し可愛く感じた。 『次はー、東茶屋街ー。東茶屋街ー。』 バスが目的地に着き、街へ降り立つ。 東茶屋街は、金沢に二つある茶屋街の一つで、未だ江戸の風情のある町並みを残しており、観光スポットの一つになっている。 「すごーい!タイムスリップしたみたーい!」 東が目を輝かせながら、スマホで写真を撮る。 「ほーら!二人も写ってー!」 そう言って、東は僕らにスマホを向けた。 「こうでいいか?」 奏がいきなり僕の方を抱き寄せる。 「ハイチーズ!」 パシャリと言う機械音。 「二人で、写るのも最後かもな。」 困った様な、寂しい様な顔をすると、奏は肩から手を外し、スタスタと先へ行ってしまう。 「待って!奏!」 無意識のうちに走っていた。 知らないうちに、奏に抱きついていた。 「ほ、穂影……?」 「イヤだ……一緒にいようよ、奏。僕と一緒に居てよ……ねぇ……。」 泣きそうだった。 声が震えていた。 人の目なんか、気にせずに泣き叫びたかった。 でも、東の事を考えると、それもできなかった。 「諦めろ……。お前には東がいる。大丈夫。お前らならうまくいくさ。」 「なんで……なんで、そんな事言うんだよ!お前そんな優しい奴じゃないだろ!なんで……。」 「お前に幸せになって欲しいからだよ……。俺じゃお前を幸せに出来ない……。お前を傷つけるから……。」 奏の声も、少し震えていた。 嘘をついている。 僕を、そして自分を守る為に嘘をついている。 「ねぇ、ねぇ見て!金箔ソフトだって!穂影!そ……う?」 東の明るい声が、空に響いた。 「昨日こいつ、飲みすぎて二日酔いなんだって。まったく。無茶しやがって。」 そう言って、奏は僕の事を軽くおぶった。 少しびっくりしたけど、奏の広い背中と、タバコや奏の香りに、心が揺れる。 「穂影……大丈夫?」 「だ、大丈夫……。」 東に顔を見られない様に、奏の首で顔を隠して返事をする。 声も震えてきたけど、具合が悪いという事で、なんとか誤魔化せたかな。 「本当……?」 東は、きっと何かに感づいているのかもしれない。 それでも、優しさ、でわからないふりをしてるかもしれない。 「大丈夫。心配すんな。」 奏の言葉が僕らの心に波を打った。

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