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第4話
約束の土曜日、新垣はリュックを背負い、部活用に使っているサブバッグを肩に掛けて駅前の時計台の下で小谷を待っていた。リュックの中身は夏休みの課題、サブバッグの中には寝巻き、タオルと一日分の着替えが入っていた。課題に関しては荷物になる、と言った新垣に対して夏休み最後に泣く羽目になるよ、の小谷の一言に何も言い返せず、持って来ざるを得なかったのだ。
大きめのリュックを背負い、片手に土産を提げた小谷と合流し、新幹線のチケットを購入して改札をくぐった。目的地は、小谷の祖父母の家。まだお盆前とはいえ、ホームは夏休みを迎えた小学生の親子連れや学生で賑わっていた。
花火大会の日、夕飯を食べ終えた新垣は泊まらずに帰宅した。小谷と会うのはその日以来で気まずさを肌で感じていた。新垣が話しかければ答えるが、小谷の喋り方に人を突き放すような冷たさがあった。新幹線の中では会話らしい会話もないまま窓の景色を眺め続け、人気のない駅で降りた。すぐに本数の少ない在来線に乗り換え、やはり窓の景色を見ながら30分程電車に揺られた。窓に映る景色は澄み切った青空、遠くの山、田んぼ、時々小さな集落。雪が降る地域を走る電車の扉に付いている開閉ボタンに驚いていた新垣は、降りた無人駅で改札を探して周囲を見回した。ここから更に40分程歩くから、と小谷が言うと新垣は嘘!? と声を上げて弱音を吐いた。
「じいちゃんの車、軽トラだから3人は乗れないんだ。ごめんね」
クスクスと小谷が笑った。ふたりの間に、ようやく和やかな空気が戻った。
無人駅は、ちょっとした山の中にあった。コンクリートで舗装された急な坂道を下るとすぐに国道に出た。田んぼを見ながら道路に沿ってひたすら真っ直ぐ歩き、脇道に入って進んでいくと小さな集落が見えてくる。その家のひとつが、小谷の祖父母の家だ。
門から玄関までが遠い。庭には畑があり、おばあさんが畑仕事をしていた。
「ばあちゃん」
小谷がおばあさんに声を掛け、敷地内へ入って行った。家の大きさに圧倒されていた新垣は、慌てて小谷を追う。
「いらっしゃい春輔。あら、そちらの方がお友達?」
春輔というのは、小谷の下の名前。新垣を見たおばあさんは顔を綻ばせた。
「新垣です。お世話になります」
「わざわざ遠いところから大変だったでしょう。何もないところだけど、ゆっくりしていってね」
「新垣、こっち」
簡単に挨拶が済むと、小谷が新垣の手を引いて母屋の前を通り過ぎる。案内されたのは、一見小屋のような建物。
「母屋とも廊下で繋がってるんだけど庭から直接来る方が早いから」
建物の中には土間があり、畳を敷いた和室になっていた。今は誰も使っていないのであろうか、家具は最低限しかなく質素な空間だと新垣は思った。
「荷物は適当に置いて」
「うん」
「じゃあ俺はこれを仏さんにお供えしてくるから」
「あ、待って俺も行く」
持ってきた土産を片手に部屋を出て行こうとする小谷の後を追いかけて、慌てて靴を履いた。広い家の中にひとり取り残されるのは心許なかった。玄関ではなく庭から母屋へ入り、仏壇の前で手を合わせる。離れに戻る途中、お盆に麦茶とスイカを載せたおばあさんに会うと、小谷はおばあさんの手からお盆を受け取った。
「こっちで話をすればいいのに。こっちの方が涼しいでしょう」
「いいよ。新垣に話したいことがあるし」
おばあさんと話す小谷は、教室でひとりでいる彼の姿を彷彿とさせた。
「俺に話したいことって?」
離れに戻ると、小谷は手際よく卓袱台の前に座った新垣にお茶とスイカを出した。小谷自身は新垣の隣ではなく、新垣の正面に腰を下ろした。
「俺、中学は最初だけでほとんど学校に行ってなかったんだ」
「え?」
「ずっとここに閉じ篭ってた」
広い家の片隅で、外からは蝉の鳴き声しか聞こえて来ない。新垣は当時小谷が感じていたであろう孤独が、一気に押し寄せてくるような錯覚に陥った。
「何で学校に行かなかったのか、理由を聞いてもいい?」
「オメガだから」
この一言で何となく察してしまったことが哀しい。
「初めて発情したのは中1の時だった。その時は自分がオメガだってことも、オメガという言葉も知らなかった」
淡々と話す小谷の話に聞き入っている新垣に、小谷はスイカを食べるよう勧める。庭で採れたスイカだと小谷は説明したが、新垣の頭には入ってこない。
「その時は放課後で、クラスにはまだ人が残ってた。クラスメイトに襲われそうになったところを先生に助けてもらったんだけど、その先生に犯された」
「最悪だ、そいつ…」
「仕方のないことだったんだよ」
新垣が怒気を含んだ声で呟くと、小谷は宥めるように言った。小谷の目には悲しみのような、諦めのような色が浮かび、それを見た新垣の心はどんどん冷えていくようだった。小谷との関係は、新垣が強姦したことによって始まった。新垣が教師を責める筋合いなどどこにもない。
「それからは散々だったよ。俺が教師誑かしたって転校させられるし、両親には捨てられるし」
「え?」
「本当だよ。親は俺の親権手放して、今は戸籍上じいちゃん家の養子」
「うそ……」
「今いる建物、昔は農具を収める物置小屋だったんだけど離れに改装したんだ。母屋には空いてる部屋はいっぱいあるんだけど、俺、オメガだから。隔離するため」
自分が話すばかりで、小谷のことを全然知らなかった。無知で無力で、最悪なくせに平然と小谷の彼氏面をしている自分自身に絶望感とやり場のない憤りを覚えた。
「ここ、座敷牢みたいだろ?なんだか閉じ込められてるみたいなのが嫌で、ここから離れたくて高校受験した」
小谷が喋るたびに、責められているようだと新垣は感じていた。耳を塞いでしまいたかったが、小谷は、自分の傷を新垣にだけ見せてくれている。小谷を拒んでしまったら、小谷は永遠に独りぼっちでここに繋ぎとめられてしまうような気がした。
「田舎の閉鎖感が嫌で都会に出てみたけど、新垣と番いになるまでは人が怖くて堪らなかった。新垣には分からないかもしれないけど、お前が傍にいてくれるだけで俺はすごく安心する」
教室での態度は、いつヒートが起きて襲われるかという怯えから来ていたんだ。小谷には、見る人見る人が敵に見えてさぞ恐ろしかったに違いない。
「だから俺は友達なんか要らないし、新垣がいてくれるだけでいい」
これまでの境遇が、小谷をこんなにも追い詰めてしまっていた。だからと言って、この先何も変われないのは、あまりにも哀しすぎる。
「新垣、全然食べてないじゃん。冷えてるうちに食べなよ」
「うん」
小谷に掛ける言葉が見つからない。言われるがままにスイカを口に入れるが、味がしなかった。
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