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第16話 支配からの自立

 隣室に踏み込んだ。こちらのリビングは大きなテレビとL字型ソファが鎮座し、インテリアも洋画のセットみたいに凝っている。  今日もダブルスーツを着込んだ二階堂は、少し目を見開くのみで、溜め息を吐いた。 「慎、私の気を引くために息子にちょっかいを出しているなら、やめなさい」  「はい」と従いそうになるのを、耐える。  夕夜も真王の恋人を望むなら、パトロンとの関係を清算しなければならない。  今こそ弁じ立てるとき。 「見当違いです。彼を好きになったんです」 「へ。――夕夜、さん、」  戦闘服なのか、スーツでローテーブルの上に立つ真王が、感極まったように夕夜を見つめる。その眼差しに力を貰い、きっぱり告げた。 「指名はもう受けません」 「『黙りなさ(Sh)」 「おいおい、それ強要。大手弁護士事務所の経営陣がサブの人権無視、ってニュースになったら困るんじゃね?」  真王が二階堂を遮り、言い返す。こちらも脅迫すれすれだが目を瞑ろう。 「はあ。容色が衰えてから泣きついてきても知らんぞ」  二階堂は肩を竦めた。  彼が夕夜をプレイ相手に選んだ主な理由は外見だというのも、知っている。  ノブレス・オブリージュみたいにサブを扱うドムゆえ、利害関係ならうまくいった。いろいろ世話にもなった。五年は短くない。だが、二階堂を惜しいとは思わない。  心を通わせ合える、真王と出会えたから。  真王が夕夜の隣で、不敵な笑みを浮かべる。どんなグレアにも負けないくらいの。 「夕夜さんのいいとこは顏と脚だけじゃないっつの。母さんもそうだ。帰ってよく見て、よく話しな。新しいパートナー見つけるのはそれからにしろ。てか犬でも飼え」  これがとどめとなり、二階堂は憮然と出て行った。  どちらも反抗しないはずの、サブからは契約終了を申し渡され、息子には諭されるなど、思ってもみなかったろう。  リビングにふたりきりになる。真王は気を張っていた反動か、ファブリックのソファに沈んだ。顔には「頑張った」と書いてある。  夕夜はその傍らにおずおずしゃがみ込む。二階堂とのやりとりを口先だけにはしない。 「真王。こないだは、キツいこと言って悪かった。てめえがサブを支配じゃなく愛そうとしてるのは、おれがいちばんよく知ってる」  何よりまず謝りたかった。突き放すためといって、傷つけた。  真王は殊勝な夕夜が見慣れないのか、ぽかんとしている。  その間に畳み掛ける。 「言い訳だが、破れ鍋サブのおれじゃ真王を満たせねえのが辛くて、ああ言った。他のドムにゃ『てめえがハズレ』っつって次にいけたが、煮え切らなかった」  我ながら情けない。でもこの恋を叶えるには、虚勢を張るのをやめるしかない。  真王はというと、夕夜が言葉を紡ぐごとに充電されるみたいに、じわじわ顔を輝かせた。ついにはにかりと笑ってみせる。 「ううん。俺もさ、夕夜さんはその気になりたがってるって知ってる。そりゃ、あんたに拒絶されたときは元カノたちに振られたときと比べものになんないくらいへこんだけど。サブがコマンドで強制されるのってあんな感じかもな」  真王はダメージがぶり返したようで、眉を下げた。それでも自分を奮い立たせ、夕夜を温めようとしてくれたのか。 「てか、やっぱロールキャベツ効いた? 美味かったっしょ」  美味いって言って、と書かれた顔を向けられる。夕夜はちくりと胸が痛んだ。 「……悪い。あのロールキャベツ、テキストと一緒に捨てちまった」 「え」 「受け取る資格がねえと思ったんだ」  ロールキャベツを取り戻したくても、過去は変えられない。  でも今は変えられる。父親の抑圧をはね返した真王みたいに。  夕夜はすう、と息を吸った。 「だが、これから真王がくれるもんはひとつ残らず味わう。おれはサブだし、別れる結果になるかもだが。恋人になっても、いい……」  簡単に大変身はできず、尊大な言い方になってしまう。最後は声も消えかけだ。  それでも理想より恋の直感を優先し、保留していた答えを告げた。  真王が身を乗り出してくる。面映ゆくて自分のつま先を見つめるばかりの夕夜の顔を、下から覗き込む。 「俺が好きってこと?」 「さっき、言っただろ」  声があまりに甘くて、つい抗った。素直にならないとと思うのに。  それとも、身体以外は正直でないのも真王の好みだろうか。 「ちぇ。まあ、恋人になったなら急がなくていっか。絶対別れないよ。俺、あんたのロマンチックを叶えてあげることで満たされるし」 「……何だそりゃ」  実際、真王は笑って夕夜の頬を包み込む。  その笑顔が眩しくて、少し憎たらしい。  夕夜は言葉に代えて、真王に抱き着いた。真王の膝に乗り上げる姿勢になり、ソファにますます深く沈む。 「お、いきなり積極的、……ん」  吸い寄せられるように唇が重なった。  口を大きく開けて舌を絡ませ合う。はぐはぐ、じゅるり。温かく、やわく、いやらしい。王道にして至高。 「ふ、ぁ……、……んん、ん?」  久しぶりの「極上品」も味わおうとスラックス越しに形をなぞったところで、スマホが震えた。  夕夜の部屋着に収められたほうだ。事務所からか?  「もー誰だよ」とぐずる真王を宥め、発信者を確かめれば――千歳だった。  この間のありがたい提案の続報なら、無視できない。真王に跨ったまま応答する。 『よ。知人の件で話が進んだよ。次の金曜、会える?』  至近距離なので話し声が真王にも届き、「男の誘い」と判定したのだろう。ぶんぶん首を振る。  しかし夕夜は取り合わない。 「助かる。仕事を入れないでおく」  会う時間と場所は千歳の指定に沿い、通話を終えた。  真王が「拗ねました」という顔で、額と額を合わせてくる。 「俺たち恋人になったんじゃないの?」 「千歳は単なる高校の同級生だ」 「なーんか下心感じんですけど」  嫉妬深い上に、案外鋭い。  隠し立てせず、千歳は運命を信じるきっかけになった存在なこと、新しい仕事を紹介してもらえそうなことを説明した。  真王がいるのに初恋が再燃したりしない。 「夜ごと他のドムをもてなす仕事じゃないほうがいいだろ」  真王はしぶしぶ頷く。  この嫉妬はきっと、「自分たちらしいプレイを模索する間に、プレイの相性がいい他のドムに奪われてしまうのでは」という焦りゆえだ。  その不安は夕夜だってある。  解消するには、心と身体の結びつきを強くするに限る。 「一時間後にゃ出勤するが、いつまで拗ねてんだ?」  夕夜が煽れば、たちまち真王の瞳に欲が灯る。  すっかり障壁を乗り越えた気で、性急ながら全開のセックスに耽った。

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