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第6話 ロマンチックな恋愛観
夕夜は手を引っ込めようとした。だがひと回り大きな手に阻まれる。
「てめえの泣き顔がそそったんだよ」
そうそうプレイできないのにセックスに持ち込まれてはまずいと、やり返す。
「え、泣いてないけど。てかドムみたいなこと言うじゃん。サブってふつう泣かされたかったり従いたかったりすんじゃないの?」
「いやふつうは他人に従いたくねえだろ」
真王は自分が泣いていたことも含め、きょとんとした。サブの認識は人並らしい。
夕夜は空いているほうの手で、今日は未使用の灰皿の縁をなぞる。
「その気になりゃ従う……てのは、おれの性格かもな。パラメータ値は不安定とはいえ、どう見てもサブなんだが」
「ふうん。性格とダイナミクスが噛み合わないんだ。そりゃパートナー探し、苦労しそ」
大きなお世話だ。じとりと睨む。
「こわ。もうさ、[スイッチ] 探せば?」
「スイッチのが都市伝説並みにいねえだろ」
スイッチは、コマンドによってダイナミクスが切り替わる。が、そんなことがあり得るのかと夕夜は懐疑的だ。
事実会ったこともないものの、一応想像してみる。普段は慎ましやかなサブで、プレイ中のみドムになる男……?
世間には、プレイとセックスで役割が逆転する、ドムの女とサブの男のパートナー兼恋人もいる。しかし夕夜にはしっくりこない。
「それより理想があんだよ」
「お、どんな?」
真王が興味ありげに顔を上げた。夕夜はすらすら諳んじてみせる。
セックス中あれしろこれするなと煩くなく、他を下げて自分を上げずとも魅力や実力があり、それゆえプレイでも自然と「従いたい」という気にさせる男。
「破れ鍋サブなおれの綴じ蓋になってくれる、運命のドムがきっとどっかにいる」
真王はぱちぱちと瞬きした。かと思うと、諦め半分憧れ半分みたいに笑う。
「夕夜さんて恋愛観はロマンチックなのな」
「うるせえ。笑うなら訊くな」
低く毒吐く。昔、事務所の先輩や客たちに理想を教えたら、決まって笑われた。それで他言しなくなったのを、せっかく明かしたのに。
「いやいや。俺は支配求めてこないサブいる気しないから、ダイナミクス関係なくふつうに恋愛したいって思ってたんだ、けど……」
真王がつぶやく。ひとり言めいているぶん本音に感じられた。
真王は、プレイ自体望んでいないのだ。判定以前に対象外――とわかり、胸が軋む。
彼が運命のドムかもと、期待をふくらませ過ぎたのだろう。パートナー探しに関しては引き摺らない夕夜だが、少し名残惜しい。
「だが、プレイしねえと体調悪くなるだろ」
「サブほどじゃない。別のもんで紛らわせてる。たとえば料理で食材に『美味しくなれ』って命令して成功すると、結構癒されるよ。あと、」
真王が一拍、溜める。酒に呑まれた犬から、雄の顔に切り替わる。
「たとえばセックス。身体の相性いいあんたとなら最高だろ。俺、男女問わず脚のきれいな美人が好みなんだよね」
「憶えてねえくせによく言う」
夕夜ばかりあの夜の記憶に振り回されているのが癪で、顎を反らす。でも、テーブルの下で足裏をつ、となぞられるのは避けない。
「今度は憶える」
真王が、未だに重ねたままの手を引き寄せた。
前のめった夕夜を、真王がふっくらとした唇で受け止める。夕夜もつい応じてしまい、熱い息がこぼれた。
「ん、……っ、こら、舌」
それをいいことに、真王の舌が咥内にもぐり込んでくる。厚みがあって、みずみずしい。夕夜の敏感なところを探るみたいに動く。
(やられっぱなしじゃねえぞ)
夕夜も真王の舌先をじゅっと吸う。ウイスキーの香りが鼻に抜けた。夕夜が喫煙者ゆえか、真王の唾液は甘く感じる。色も手触りも違う前髪が絡まり合って、くすぐったい。
「ぅん……、……はぁ」
頭の隅で「合意するな」と理性が叫ぶ。一方で、腹の奥がきゅんととろけた。甘くてうまけりゃ、玩具もSMアイテムも必要ない。
薄っすら瞼を持ち上げると、真王は「待て」を解除された犬のごとく口づけに夢中だ。真王も目を開ける。夕夜だけ映す瞳は欲情に染まっていた。
極上品を咥えたいしぶち込ませたい。と理性を捨てる直前、スマホのアラームが鳴る。
夕夜ははっと身を引いた。
真王が濡れた唇を追いかけてくる。生ハムを張りつけて阻止する。
「出勤だ。片づけは要らねえから帰れ」
いつしか夕暮れが迫っていた。「ええー……」と不服げな真王を「居座るなら次は鍵開けてやらねえ」と釣り、立ち上がらせる。
「次があるならいいわ。いってらっしゃい」
真王は含み笑いを浮かべてサンダルを突っ掛けた。言質を取られたが、酔っ払いは憶えていまい。
がらんとしたリビングに戻り、まだ中身の残っているボトルや食べさしのつまみを、適当に冷蔵庫に収めていく。
煙草を咥える代わりに、指で唇をなぞる。
(もっかい、してえな。でも……)
お互いダイナミクスのせいで恋愛に苦労している。共感によって心の距離は近づいたが、プレイを試す障壁は厚くなった。
いっそお互いニュートラルだったら。
いや、そうしたら夕夜はこのマンションに住んでいない。選べなかった人生を思い浮かべかけ、首を振った。
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