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第8話
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蓮はそれから一週間、学校を休んだ。半分は風邪、残りの半分は純粋に相神に会いたくなかったからだ。
日曜に熱は下がり、本来なら月曜には学校に行けた。だが、とてもじゃないが冷静に委員会の仕事がこなせるほど思慮分別など出来ていない。
何も考えられなくて、何も考えたくなかった。
あの日の出来事が夢であればいいのに。蓮はひたすらそれを願っていた。
だが気持ちの整理が出来ぬまま、火曜日の朝「熱がないなら学校へ行きなさい」と追い出すように家を出され、重たい気分のまま学校へと足を向けた。
「あら、蓮君」
校門の手前、聞き慣れた声に呼ばれ振り向くと梨那がいた。
「もう風邪は大丈夫?」
「はい」
心配顔の梨那に蓮はなんとか笑顔を作り返す。蓮が返事を返すと、梨那が小走りで駆け隣へと並んだ。蓮はそれを待って一緒に門を潜る。わざわざ梨那が隣に並ぶのを待ったのは、なんとなく、一人で入るのが辛かったせいかも知れない。
「もう、昨日大変だったわよ」
昨日、と言われ、思わず委員会のことが頭に浮かんだ。きっと相神のことだから委員会の仕事はきちんとこなしただろう。
否、相神にとっては自分とのことなど、気に病むほどのことではないのだろう。愛情など、端からなかったのだから。
だが蓮には無理だった。愛情を持ってしまった今、まだ気持ちに整理が付けられずにいる。だから相神には会いたくなかったし、出来れば相神の話も耳にしたくない。
そんな蓮の心情など知るはずもなく、梨那は淡々と話を続ける。
「蓮君も相神も休みで、ナツ先輩一人で黙々とやってね」
「…え」
蓮は思わず驚きの声を漏らした。
相神も休んだ。
一体どうして。
それほど自分に会いたくなかったということだろうか。
「相神先輩が…」
聞きたくないはずの話なのに、知らず声に出していた。
「そうなの! ここ一週間くらいかしら。様子見に行ったんだけど、ボーっとしてるだけで何聞いても答えないの」
一週間ということはあの雨の日からだろう。
どうして相神が?
蓮は理由がわからなかった。
嫌いという理由ならば、別に学校を休まずとも元々委員会以外関わりがないのだから避ければいいだけ。それだけで済むことなのに。
暫く思案していたが、その途中で蓮はぶんぶんと頭を振った。
いや、今は相神のことは考えない。相神に抱かれたことは忘れなきゃいけないんだ。好きだと言ったことも想ったことも全て。
忘れろ、忘れろと蓮は自分に言い聞かせる。
「ねぇ、蓮君……相神と何かあったでしょ?」
忘れようと思っていた名前を出され、しかも核心を突くような言葉に内心ドキリとする。
「な、んで…ですか?」
蓮は必死に平静を装おうとするが、思わず表情が強張る。
「だって三人とも変だから」
「三人?」
「蓮君、相神に、ナツ先輩」
「ナツも?」
意外な名前に蓮は思わず立ち止まり聞き返した。
ナツが? どうして…。
そう思わずにいられなかった。
「だってナツ先輩、昨日一人で大変だろうから手伝うって言ったのに、結局一人で仕事したのよ。自分の所為だからって。先生からは二人とも風邪って聞いてたから変だなって思って」
確かにナツには相神のことを相談していたが、今起こっていることは自分と相神の問題で、ナツには何も関係がないはずだ。ナツの所為であるはずがないし、責任を感じることなど一つもない。
相神のことだけでも混乱し始めた蓮の頭が、心当たりのないナツの発言に更に混乱し始める。
そんな蓮を他所に、梨那は言葉を続けた。
「相神ってね、ああ見えて寂しがり屋なの。小さい頃から家庭が複雑でね……中途半端に人と関わって傷つきたくなくて、いつの間にか、他人と距離置くようになっちゃって…馬鹿よね、本当は一番愛されたいくせにさ」
そう話す梨那は泣きそうな顔をしていた。見てる方の胸が痛むくらい、ひどく寂しそうだった。
梨那も相神のことが幼馴染以上に好きで、そして、梨那のそんな想いも相神に届いていないのだと分かるくらいに。
「梨那は相神のこと…」
「好きだったんだけどね……私じゃ駄目なんだって。だから、私はずっと相神の幼馴染。私がどんなに望んでも、それ以上の存在にはなれないの」
無理をしている。それが分かるくらいに、梨那の笑顔は切なかった。
『俺を好きになれ』
そう言った相神はどんな顔をしていただろう。
たしか…そう思い浮かべてみると、その時のことが写真のように鮮明に蓮の脳裏に浮かんだ。
いつも強気で傲慢なのに、あの時だけはその瞳が不安に揺れていたような。
『好きになるかよっ』
そう怒鳴った時は、はっきり顔は見えなかったが荒い言葉がどこか悲しげだった気がする。無理やり搾り出したような、そんな声音。
「僕は…」
相神の気持ちを考えてなかった気がした。どんな思いで言ったのか。
ただ軽蔑されるのが怖いと怯えて気持ちを隠そうとしたり、相神に好かれているかもと勝手に浮かれて気持ちを伝えたり…でも相神の気持ちが見えなくてまた怖くなって避けた。相神の気持ちを見もせず、聞きもせず、逃げていた。
どうして抱いたのか知らない。どうして好きにならないなんて言ったのか知らない。相神の気持ちを知らない。聞いてない。もしかすると自分が何か相神を傷つけるようなことをしたのかも知れない。
そう思うと蓮は、相神に会わなくてはいけない気がした。
会いたい。
罵られても、嫌われてもいい。
元々嫌われていたんだからこれ以上嫌われようもないし、もしどん底まで嫌われてもあとは好きになってもらう努力をすればいい。
好き過ぎて、弱気になっていた。嫌われるのが怖くて、弱気になっていた。あの相神を好きになって一筋縄でいくはずなんてなかったんだ。そう考えると幾分か気持ちが浮上し始める。自分から何もしていないのに勝手に全てをマイナスに考えていた。ちゃんと向き合わなくちゃいけないんだ。
「梨那、相神先輩の家ってどこですか?」
自分の家まで一度一緒に帰ったことはあったが、相神の家を知らないことに気づき、梨那に尋ねる。すると梨那は嬉しそうに微笑んだ。
「相神を、お願いね」
その短い言葉に、梨那の切々とした願いが込められているように思えた。
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