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第9話

9  午後の暑い日差しと蝉の声が、煩わしく感じる。  梨那に教えて貰った住所は自分の家とは全くの正反対。それなのにどうして相神はあの日送ってくれたのだろうか。そんな些細なことにすら蓮は、もしかしたら、とまた馬鹿みたいな期待をしてしまう。  照り付ける日差しの下を黙々と歩き、梨那に言われた場所に着くと、そこには大きく堂々とした佇まいの家が建っていた。 『相神のお父さんが剣道場の師範代で、お母さんは華道の家元の出なの。お父さんもだけど、お母さんにも今でも何人かお弟子さんがついているらしいわ。でも近所でも有名なくらい自由な人達でね…あまり相神を愛してあげなかったみたい』  別れ際に聞いた梨那の話を思い出す。相神はこの家でどんな気持ちで育ってきたんだろう。そう思うと蓮は堪らなくなった。この家に一人でいるのかと思ったら堪らなくなった。 「どうしよう…」  木製の重厚な門の前に立つ。あまりの立派さに蓮は気後れしてしまい、息巻いて来たはいいものの、立派過ぎる門を目の前にどうすればいいかと狼狽えてしまう。どうしたものかと考え込んでいると中から門が開いた。 「では、尋子さん」  そう言いながら着物姿の男性が出てくる。 「ええ、また来週ね」  続いて着物を着た女性が出てきた。和装が似合う黒髪の女性。 「あら、どちら様?」  気づいたように見せる顔は相神にそっくりで、一目で母親なのだろうと分かった。その瓜二つの顔に、蓮は思わず見とれてしまう。 「あの、さが…じゃなくて、尋さんいらっしゃいますか?」 「お友達?」  訊ねながらも訝しげな様子で見てくる。それはまるで値踏みするような嫌悪感を抱かせる視線だった。相神と同じ顔で、相神と違う眼。思わず蓮はたじろいでしまう。 「えっと、同じ委員会の後輩です」 「そう……どうぞ」  視線は変わらないものの、門を開き中へと促してくれる。  そのままある部屋の前まで歩くと、母親は一呼吸置いて中へと声をかけた。 「尋さん、学校の方がお見えになっているわよ」  それだけ声をかけると、蓮に「ごゆっくり」と声をかけて母親はその場を離れていく。 「相神先輩」  母親が離れていくのを見送ると、蓮は中へ声をかけた。だが相神からの返事はない。 「開けますよ」  またしても返事はなく、もしかするといないのではないかとも思ってしまう。  襖に手をかけ、中を窺うようにゆっくりと開く。部屋の中には本棚以外何もない。  声掛けに反応を示さなかった部屋の主は畳の上で仰向けになっていた。その瞳は閉じられていて、規則正しい寝息が聞こえてくる。  蓮は起こさないようにそっと傍らに座り、ジッと顔を覗き込んだ。 「…無駄にカッコイイな」  一週間前に比べ、相神は少し痩せたように見える。梨那が風邪だと言っていたからそのせいかも知れない。それなのにこんな所で寝て大丈夫なのだろうかと思わず心配してしまう。 「先輩…」  蓮が思わず呟いてしまうと、その声に反応するように目蓋が動いた。次の瞬間スッと薄く開かれる。ボーっとした様子の相神だったが、視界に蓮を捉え認識すると、一気に眉間に皺を寄せ怒りの表情に変わった。 「お前…っ」  サッと上体を起こしたかと思うと、グッと強い力で腕を掴まれる。 「痛っ」  その力の強さに、蓮は思わず顔を歪めた。 「何しに来た!」  だがそんなことお構いなしと、相神は更に怒鳴りつける。久しぶりに聞くドスの効いた声。  憎悪に満ちた目を向けられ、蓮は堪らず萎縮してしまう。 「は、話…したくて」  振り絞るように言葉を出した。怖くて顔なんて見れない。嫌われても…なんて思っていても、実際それを言葉にされるのは怖い。すでにその痛みを知ってしまったから尚更だ。  暫く言葉を出せずにいると相神が先に口を開いた。 「話がないなら帰れ」 「話なら、ある…」  相神の言葉にこの機会を逃したら今まで通り会うことすら出来なくなるような気がして、蓮は漸く決心がついたように口を開いた。 「先輩の気持ちが知りたくて…」 「この前言っただろ。俺はお前なんか好きにならない」  冷静な相神の声。 「どうしてですか…だったら、どうして……抱いたりしたんですかっ」  グッと奮い立たせるように拳を握り締め、相神の顔を見つめた。そこには何もかもの感情を隠すような顔があった。 「別に…理由なんてねぇよ。お前だって抱かれるなら誰でも良かったんだろ」 「え?」  思いもしない言葉に蓮は固まった。 「ナツともヤッてんじゃねぇか…あいつと喧嘩したか何か知らねぇけど、そんなことで俺を巻き込むんじゃねぇよ」  どうでもいいけど、と諦めきったような言い方。どうしてそういうことになっているのか分からない。  抱かれた時に、『好きだ』と、『信じて欲しい』と言った。それに相神は『分かっている』と答えたのに、どうしてそういうことになっているのだろう。  どうして信じてくれないのだろう。 「どうしてそんなこと言われるのか分かりませんけど…ナツとは本当に何もありません。体の関係なんて、あるはずありません」  そうきっぱりと答えるが、信じてもらえていなかったという事実に動揺し声が震えてしまう。 「ふん。声が震えているぞ」  嘲るような言葉にやっぱり信じてもらえていないのだと知る。 「どうしたら…どうしたら、信じてくれますか」  信じて欲しかった。どうしても信じて欲しかった。嘘なんかない。ナツとの間に幼馴染以外の関係なんかない。好きなのは相神だけだと。信じてもらえるなら、どんなことでもしてみせる。蓮はそれほど真剣に想っていた。 「信じない」 「え…」  だが、蓮の想いは相神に届かない。心を閉ざされてしまった。 「もう、何も信じない」  そう言った相神の顔は先刻までと違い、悲しげに瞳が揺らいでいた。  動けないのに、助けて欲しい、置いていくな、と叫びたいのを我慢している子供の目に似ている。  蓮はその固く閉ざした心を開いて欲しかった。 「相神先輩…好きです。好きなんです、先輩が」 「っ、嘘だ」 「好きです」 「煩いっ! 聞きたくない! 黙れっ」 「黙りません! 好きです」 「黙れっ!」  ダンッと背中と後頭部に衝撃が走った。  目の前に映るのは相神と天井。押し倒されたのだと気づいたが、それでも蓮は言葉が止まらなかった。 「どんなことをされても先輩が好きなんです! どんなに否定しても、僕はこの自分の気持ちを否定することなんて出来ないんです! だから…だから先輩も…本当の気持ちを聞かせて下さい。自分の気持ちを否定しないで下さい」  グッと何かを飲み込むように、耐える顔をして相神は蓮の上から退き、壁に凭れるようにして座った。蓮も倣うように相神の隣に腰を下ろす。 「こんな家柄だから、小さい頃からずっと厳しく育てられてきた。でもどんなに上手く出来ても、それが当然なんだと、褒めてくれる人間なんかいなくて……両親に愛されてるなんて感じたことは一度もない…世話係がいて、俺の世話は全部その人に押し付けていたから。だからって、それが嫌だったわけじゃない。その人はきちんと俺に愛情を注いでくれた…この人は一緒にいてくれるんだって思ってた」  淡々と話す相神の過去を思うと蓮は胸が痛くなった。  両親から与えられるはずの唯一無二の愛情を貰えなかった、と、愛されていなかった、と…今どんな思いでそのことを話してくれているのだろう。 「でも、結局誰からも愛情なんて貰えていなかった。皆仕事だったからそう接していただけで…中には両親に取り入ろうとして優しくしてきた奴もいたし、愛人もいた。両親は自由な人達で、いつもいろんな愛人がいて…人ってそんなものなのかなって思った。それでも……それでも俺だけを…俺だけを愛してくれる人が……信じられる人が、欲しかった」 「うん…」  頷くだけで、蓮は静かに相神の話を聞いていた。それだけしか出来なかったし、相神もそれ以上のことを望んでいないような気がした。 「こんな俺を受け入れてくれる人が…」  そう話す相神が愛しい。  口が悪くて、人が信じられなくて、強がっているけど、誰よりも頼りなく、儚い…この存在が愛しい。 「相神先輩…僕じゃ駄目ですか? 僕じゃ信用に足りませんか?」  相神に愛されたいし、愛したい。心が、体が、全てが相神のことを好きだと言っている。 「……好きだ…っ」  初めて聞かされた言葉に、蓮の胸は喜びで満たされるようだった。  相神の視線に胸が熱くなって、心臓がドキドキと高鳴る。心から、誰に言われる言葉よりも嬉しいと感じた。 「じゃあ先輩、僕と」 「駄目だ」 「え…」  喜々としていた感情が一気に地獄に落とされたような絶望感に覆われる。  好きなのにどうして。 「どうし…」 「駄目だ…駄目なんだ」  相神の言っている意味が分からない。言葉が理解出来ない。まるで異国の人と話しているような、そんな錯覚を覚える。 「もう帰れっ」  せめて理由だけでも聞かないと納得いかない、とごねる様に蓮は聞き出そうとしたが、相神は決して喋らなかった。

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