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第12話
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ガラリと図書室の扉を開く。
腹が立ったのか、悔しかったのか…それとも嫉妬に潰されそうになったからか分からないが、兎に角、相神は蓮の傍から離れたくて逃げるように図書室を出た。そして下校を告げるチャイムにもう人もいないだろうと、間抜けにも忘れた荷物を取りに図書室へと戻ってきた。
閑散としていて電気が消えた図書室内は窓から入る夕日の明かりだけが光源だ。
薄暗い中、カウンター内に入り、自分の鞄を手に取る。踵を返して帰ろうとすると、静かなはずの図書室内にコトッと小さな物音が響いた。それはいつも昼寝に使っているソファの方からで、もしかすると他に生徒が残っているのではと其方を覗き見る。
「…っ」
そこには意外な人物がいた。
蓮だ。
ソファに横たわり、スースーと寝息を立てている。本を読みながら途中で寝てしまったのか、ソファからはみ出すように伸びた片腕の先に本が落ちている。
時間が経つにつれ薄暗さが増す室内。陽も落ち、外から入る光も殆どない。蓮の金糸の髪だけが薄明かりの中キラキラと光沢のある宝石のように光って見えた。
相神は音を立てないよう静かに近づいていく。
サラサラと音が聞こえてきそうなほど柔らかな髪。一回り小さな身体。薄い唇。
この体を抱いた。確かにこの腕で抱きしめて、キスして、その蜜部に己を埋め込んだ。繋がりあったと言葉にすると生々しく感じるが、確かにこの場で愛を告げられ、そして告げた。だが囁いた時にはもう目の焦点も合わなくなっていたから、相手の耳に届いていたかは分からない。
あの瞬間、確かにこの世の幸せというものを感じた。でも、ナツの言葉に踊らされ、蓮の言葉を信じられず、傷つけた。好きだと恋慕してくれるこの無垢な存在さえ疑ってしまう自分が嫌いになりそうで、蓮の気持ちを受け入れられなかった。
ナツの想いを知って、これほど蓮のことを想っているならば、自分なんかと一緒になるよりも幸せになれるんじゃないかと正直思った。
蓮が家に来た日、あの日最後に伝えた言葉を答えにして、今まで感じた、覚えた感情の全てを胸の奥深くに仕舞い込もうと。
「本当は…信じたいんだ」
呟いた言葉は偽りのない本心。蓮は自分の気持ちを否定出来ないと言っていた。確かにそうだと、今感じる。
否定出来ない。否定させてくれない。どんな否定しても胸の奥で好きだと叫んでいる。
自分だけを見てほしい。自分だけを欲してほしい。
いつか蓮も離れていくかも知れない。実の両親にさえ愛されていない自分を血の繋がりもない他人が、離れていかない保障なんて皆無に近い。だが、離れたくないのだ。
離れるな。
離れていってしまうことへの恐怖と、どこにも行けないよう鎖で繋いででも傍に置きたいと思ってしまう矯激な感情。止まらない欲望のようにドロドロとした感情に流されてしまいそうになる。
感情を抑えるようにそっと深呼吸をした。
ふんわりと柔らかな頭に触れれば髪の毛がサラサラと流れていく。
「さ…がみせん…」
寝言のように呟かれた名前にさえ優越を覚える。夢の中でも蓮は自分を見ているのだと。
全てが欲しい。身体だけじゃなく、心も、思考の全ても相神尋という男以外考えられないようにしたい。
どこにも行かないよう。置いていかれないよう。
じゃないと信じられないのだ。
相神はグッと拳を握った。自分の重たい感情を、誰も理解してはくれないだろう。しかし、その感情を自分自身どうすることも出来ないのだ。こんなにもコントロール出来ないほどの感情を、今まで知らなかった。
「蓮…」
久しぶりに口にする名前。その名前を口にするのは、蓮を抱いた日以来だった。
外見に似合わない名前だとずっと思っていたが、少し前、偶然手に取った本に書いてあったハスの花言葉。
雄弁。そして、清らかな心。
それを知った時、相神は蓮に似合いの名前だと思った。真っ白で、真っ直ぐな蓮の言葉を聞くと、訝しく思うことなく全てを信じたくなる。
静かに流れる金糸を梳くと、薄っすらと目蓋が開いた。
「せんぱぃ…?」
寝起きの働かない頭で認識するように呟くと、蓮の腕が伸び、首に回されたかと思うと、そのまま強い一気に引き寄せられた。どんなに外見が女みたいに見えても、力はれっきとした男だ。不意をつかれたとはいえ、こんな力で引っ張られて驚かないはずがない。
「テメェっ」
寝ぼけているのかと怒鳴ろうとした声は蓮の言葉で遮られた。
「先輩、これで最後にします…これで信じてくれない時は、諦めます」
だから逃げないで欲しいと言外で告げてくる。
頷いて返すと腕の力が緩み、蓮が離れていく。
蓮はソファに座りなおすと、一つ深呼吸を吐いた。相神はその正面に跪くように座り、向き合う。
「相神先輩が好きです」
久しぶりに聞く愛の言葉。相神はすぐに好きだと返したかった。この小さな身体を感情のままギュッと抱きしめたかった。でも胸裏にある不安が拭えない。言葉に出来ない。
捨てられる怖さはもう幾度も味わった。今の関係なら近すぎず、でも接点は保ったまま、先輩、後輩という関係を続けられる。心地よい距離が保てている。今のままじゃ駄目なのだろうか。
「先輩…」
捨てないで、と懇願するような眼差しを向けられる。その眼差しに、相神は本当これが最後なのだと悟った。
もし拒否すればこの関係はどうなるのだろうか。今まで通りに接してくれるのだろうか。それとも、この先が無いということだろうか。離れていくということだろうか。
最後の考えが相神の全身を強張らせる。いなくなるのだと考えると恐ろしかった。蓮が傍から離れた後、自分がどうなってしまうのか分からず恐ろしかった。
縛り付けておきたいほどの想いがあるからこそ、失ったらきっと耐えられない。
「ずっと一緒にいて下さい。傍にいて下さい。ずっと、ずっとずっと、ずーっと傍にいさせて下さい」
耐え切れないとばかりに口を開いた拙いながらも懸命に紡ぐ蓮の言葉が相神の胸に響く。
「ずっと…」
「はい、ずっとです」
蓮の目に力が篭った。それは真摯な眼差しだった。
ずっと、とは一体どれくらいの時だろうか。
秒、分、時間。
幾日、幾月、幾年。
そんな単位じゃ表すことの出来ないくらい長い時だろうか。一体いつまで一緒にいてくれると言うのだろう。離れないと言うのだろう。
「死ぬまで?」
「はい。先輩が望むなら来世でも再来世でも」
そう言いながら蓮は微笑を浮かべた。まだ現世すら十数年しか生きていないのに、望めば次の人生も共に歩むと言っている。もうそれがどれだけの時間かなんて計り知れない。計り知れないほど、長い。
「……長いな」
「あ、やっぱり重たいですかね…?」
呟いた言葉に、蓮は憂い顔を見せる。声が震えている。いや、言葉だけでなく、膝の上で組んでいる手も微かに震えている。相神はその姿を見ただけで、どれだけ蓮が勇気を出して想いを告げているのか伝わってきた。
「否…そんな長い間一緒にいるのが俺でいいのか? もっと他にいい奴がいるんじゃないのか? 俺は…俺の愛は、本当にお前の一生を縛るぞ?」
「構いません。僕の全てを先輩に捧げます。それぐらいしか出来ないけど、それでも、先輩がいいんです」
相神がいいのだと訴える眼が必死で、揺るぎがない。他にはいないのだと、信じて欲しいと訴えている。
「あ、りがとう…」
長い時間をかけて、相神は漸くそれだけ呟いた。
蓮の気持ちが嬉しかった。あまりにも嬉しすぎて、それ以外言葉にならなかった。
「俺を選んでくれて、ありがとう」
いまだ震える蓮の手に触れる。その瞬間蓮は顔を真っ赤にし、目に涙を浮かべた。
何て可愛いのだろう。この身全てを懸けて想いを告げてくるこの存在が愛しい。愛しくて堪らない。
知り合ってほんの数ヶ月しか経っていない。しかも委員会でしか顔を合わせることもないのに、どうして蓮はこんなにも好いてくれるのか。どうしてこんなにも蓮が好きなのか。それは分からない。ただ、初めて会ったときは珍しい奴だと思った。一言口を開くだけで大抵の奴は近づかなくなる。それなのに、蓮は無謀にも言い返すばかりか、敢然と食って掛かる勢いで嫌味混じりに返したのだ。
その後もどんなに嫌味混じりに言っても必ず言い返してきて、今思えば、それを楽しいと感じることさえあったかも知れない。いつからこの感情が入れ替わったのか分からない。でも、それでも、過ごした時間の長さなんか関係なく、性別すら気にならないほど、蓮を好きになっていた。だったら、もうそれだけでいい。好きな気持ちだけでいい。離れてしまう不安や恐怖は、もう忘れてしまおう。もしその時期が来るとするなら、その時考えればいい。不安に囚われるのは止めて、今この瞬間から、蓮だけを見つめよう。蓮の言葉を、全てを信じよう。今まで何度も気持ちが違えて傷つきながらも、その痛みに耐えながら、それでも好きだと言い続けてくれた。そんな蓮を信じたいと、相神は心から思った。
頬に手を添え、その薄い唇に口付ける。離れてしまう感触が切なくて、何度も何度も口付ける。
ずっと、ずっと……もっと。
もっと、深く。
触れた唇からまるで一つになることを望むように深く舌を絡め、吸い付いた。蓮が苦しげに眉を顰め始め、目元の涙が外光で光る。
名残惜しくも唇を離すと、ツウッと二人の間に糸が引いた。どちらのものとも言えない糸がプツリと切れ、今この瞬間も繋がっていたことを視覚でも感じる。
「はぁ……はぁ…」
肩で息を吐く蓮の姿が可愛い。懸命に応えようとしてくれたのだと分かる。
蓮の細腕を掴むと、勢いよく引き寄せた。しかし、急な勢いとキスの余韻に蓮は上手く立つことが出来ないようで、ふらふらと相神へと凭れかかってくる。
「す、すみません」
恥ずかしそうに俯き、慌てて身体を離そうとする蓮を相神はギュッと抱きしめる。己の腕の中にある小さいけれども、誰よりも大きな存在。それを確かめるようにきつく、そして優しく抱きしめた。
「好きだ。俺のモノになれ……俺だけのモノに」
耳元で囁くと、蓮が静かに頷く。相神はその耳が赤く染まっているのを見逃さなかった。赤く染まったそれに口付け、笑みを漏らす。相神は自分だけを愛してくれる存在に出会うことが出来たのだと漸く実感し、ふわふわとした暖かかくて柔らかいものに包まれたような感覚に震えた。
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