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2-1 樺国の国主

 長寧を出発して五日が経ち、婚礼用の豪奢な馬車は山道に差しかかっている。 「祥永様、お疲れではありませんか?」  侍女の気遣う声に、窓を開けて外を眺めていた祥永は柔らかくほほ笑んだ。 「いいえ。山の景色がめずらしいので楽しいわ」  絹張りの座席に座った祥永は華やかな紫蘭の衣裳をまとい、複雑に結い上げた黒髪には金と紅珊瑚の髪飾りがシャラシャラと揺れていて、翡翠の腕輪に揃いの耳環をつけている。  目は生き生きと輝いて、新緑が美しい五月の山の景色を楽しんでいた。 「あっ、今、見えたのは何でしょう?」 「あれは角鹿でございます。鹿肉は滋味があっておいしいですよ」  窓の外で騎馬の護衛が答える。 「捕まえて後ほど御膳にお出ししましょう」  祥永は「それは楽しみだわ」とおっとりとほほ笑んだ。 「この先は虎も出るとか。虎よけの笛を吹きますから姫はご安心ください」  行列は順調に山中を進んでいる。王都から出たことのない祥永にとって人生初の旅は二度と故郷に帰れない嫁入りの旅だった。 「しかしかわいそうになあ。せっかく病から回復されたのに異国へ嫁ぐなんてなあ」 「王都で育ったうちの姫がそんなところで暮らせるわけがない」 「まったくだ。しかも樺国の王は乱暴者だと言うじゃないか」  後方の護衛たちは口々に自分の聞いた噂話を話し始める。 「樺国は武の国だからな、戦場では武神のように強いと聞く。兵たちにも容赦ないとか」 「だがとんだ怠け者で朝議(ちょうぎ)にはまったく現れないとも聞いたぞ」 「ああ、俺も聞いた。何しろずぼらで話にならない阿呆だとか。戦場では強くてもそれだけじゃな」 「じゃあ、朝廷はどうなってるんだ?」 「先代の王が亡くなったのは三年前だ。先代の側近たちがうまく国をまとめてるんだろう」 「この先、姫がどんな生活を送ることになるか不安だよ」  護衛たちは沈んだ顔になってうなずきあった。王都から従って来た護衛たちは国境で引き返すことになっている。その先は樺国の迎えが来ているのだ。  山はますます険しくなり、馬車一台がようやく通れるほどに道は狭くなった。  祥永は山々が連なる風景に見入った。  仙人が住むというのはこういう場所かな? 絵で見たような光景に異国に来たのだと実感する。 「まもなく国境に着きます」  山頂に建立された寺院に樺国からの迎えが来ていた。馬車に乗ったままの祥永は見ることができないが、迎えの護衛たちは金属の鎧ではなく革の鎧をつけていてとても軽装だという。  これなら盗賊が襲えば姫を守り切ることはできないだろうと、この先で起こるはずの悲劇を知っている家僕が喜びを隠せない笑顔になった。  そうかな? そんな簡単にいくと思わないけど。  涙ながらに劉家の護衛たちに見送られ、祥永は樺国の護衛たちに守られて先へ進んだ。  貴族の姫が結婚前に素顔を見せることはないため、馬車の窓には日よけを兼ねた簾(すだれ)が下りて中が見えなくなっている。  その中で祥永はこっそり着替えて武器を用意した。優美な絹の衣裳の下に体にぴったり沿う燕衆の装束を着て、数種類の武器を仕込んだ。  祥永が男だと知った家僕たちが、依頼内容の変更を里に知らせなかったことを祥永は知っていた。嫁入りの件を隠していたと燕衆に知られるのもまずいし、他国の王の暗殺となれば報酬が跳ね上がる。それよりも手っ取り早い手段を取ることにしたのだ。  つまり祥永の抹殺だ。

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