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第6話
「え? このお部屋に僕が泊まってもいいのですか?」
アレクシアは信じられない思いで部屋を見回した。
ルードヴィッヒが案内してくれた部屋は、可愛らしい中庭に面していた。
中庭には小さな噴水があり、低木に囲まれた小道がそのまわりを囲んでいる。
大きな窓には真っ白なレースのカーテンが揺れている。座り心地が良さそうなクリーム色のソファ、優雅な猫脚の書き物机⋯⋯。
隣の部屋は寝室のようだ。天蓋付きの寝台が見える。
とても華やかで豪華な部屋だった。
「狭いか? ならばもっと大きな部屋に⋯⋯」
「いいえ、いいえ! 十分過ぎるほど広いです! 広すぎて僕にはもったいないお部屋です。もっと小さな、たとえば屋根裏部屋などはありませんか?」
「屋根裏部屋? そのような部屋を望むとは、悪役令息とは思えない言葉⋯⋯」
またしてもクスッと笑いながらルードヴィッヒがつぶやいた。
「え?」
——ああ、どうしよう、ほんとうに困ったな。悪役令息のふりをしたせいで、なにも断ることができない⋯⋯。どうしたらいいんだろう? 聖女だって言えたらどんなにいいか⋯⋯。こんなにお優しくて親切なルードヴィッヒさまを騙しつづけるのはもうしわけないし⋯⋯。ルードヴィッヒさま、嘘をついてごめんなさい!
心の中で深く頭を下げて謝った。
「しつれいいたします、ルードヴィッヒさま、アレクシアさま——」
そこに元気に飛び込んできたのは少年従者のカールだ。華やかな色とりどりのリボンで飾られた大きな衣装箱を抱えている。
「アレクシアさまのおめしかえの用意ができました!」
衣装箱の中には淡いブルーのフロックコートとそろいのズボン、手の込んだ刺繍入りの靴下、上質な革靴、そして艶のあるシルク製のオメガ襟などが入っていた。
高級な衣服に縁がない身でも、一眼で最高級の技術で仕立てられたものだとわかる品々だ。
フロックコートの襟元には花模様がびっしりと刺繍してあるし、シルクのオメガ襟には何枚も重なったレースの飾りもついている。すばらしく美しい⋯⋯。
——なんて素敵な服なんだろう⋯⋯。だけど辺境伯さまを騙している僕には、こんなに気遣っていただける資格はないんだ⋯⋯。
断らないとぜったいにだめだ、と強く決心した。
「ありがたいお申し出でございますが、急ぎのようがありますので、僕はもう旅立ちたいと思い⋯⋯あれ?」
手をギュッと握りしめ必死で断ろうとしたのに、ふりむいたら、いつのまにかルードヴィッヒの姿がないではないか?
「カールさん、辺境伯さまはどちらに行かれたのですか?」
「ルードヴィッヒさまは紳士でいらっしゃいますから、ご遠慮なさったのだと思います」
「ご遠慮? なにをですか?」
「アレクシアさまのご入浴とお着替えでございます。さあ、これからお風呂にお入りください」
「え? お風呂⋯⋯?」
「はい、そうでございます。長旅でお疲れでしょう? さあ、どうぞこちらへ」
「でも、僕は急ぎのようが⋯⋯」
なんとか断ろうとしたときだった。壁にかかった大きな鏡に映った自分の姿に気がついた。
「あっ⋯⋯!!」
思わず声をあげてしまったほど、みっともない⋯⋯。
もちろん、髪や服がボロボロなのは自分でもよくわかっている。だけどこうしてあらためて自分を見ると、目を背けたくなるほどの姿ではないか⋯⋯。
——こんな格好でルードヴィッヒさまのおもてなしを受けてしまったなんて⋯⋯。なんて失礼なことをしてしまったんだ。
恥ずかしさともうしわけなさに泣きたくなってきた。
「アレクシアさま、どうかなさいましたか?」
カールが不思議そうに首をかしげる。
「いえ⋯⋯、なんでもありません。ほんとうにいろいろとありがとうございました。あの⋯⋯、じつは急ぎのようがあるので、そろそろ失礼したいと思います。心のこもったおもてなしにたいへん感謝しております——と、ルードヴィッヒさまにお伝えください」
「なにをおっしゃっているんですか、アレクシアさま。アレクシアさまはルードヴィッヒさまの命の恩人でいらっしゃると聞きました。今ここでお帰りになったら、わたくしはルードヴィッヒさまにものすごーく叱られてしまいますよ! さあ、どうぞどうぞお風呂に行きましょう! 遠慮は無用でございますよ!!」
カールがぐいぐいと背中を押す。
「でも、あの⋯⋯」
結局は断れないままバスルームに連れていかれた。
「さあ、お脱ぎください! お手伝いしましょうか?」
「え? いえ、大丈夫です⋯⋯」
「お湯が冷めないうちにどうぞ!」
「⋯⋯あ、はい」
カールの勢いに負けて服を脱いだ。
真っ白な大理石のバスルームだった。壁や柱には美しい金色の飾りがある。小さな窓から低く入ってくる冬の日差しに、バスルーム全体がキラキラと光っている。
バスタブも真っ白な大理石製で、優雅な猫足は金色だ。
たっぷりのお湯が入っていて、湯の表面にはふわふわの白い泡が浮かんでいた。石鹸の泡のようだ。花々に包まれているような甘い香りが漂っている。
そのお湯の中に、そっと足を入れると⋯⋯、
——なんて気持ちがいいんだろう!
身体中の力がすーっと抜けていくような感じがした。
お湯は心地よい熱さだった。息をするたびに甘い花の香りがする。
体を動かすと、湯の表面の泡が、ふわり、ふわりと透明なシャボンになって飛んでいく⋯⋯。
——夢の中にいるみたいだ⋯⋯。
長旅の疲れと緊張が、一瞬で溶けていった。
「アレクシアさま、お髪もきれいになりました」
「⋯⋯え?」
カールの声にハッとして目を開けると、目の前には着替えを手にしたカールがニコニコと笑っていた。
どうやら、あまりの気持ちよさにウトウトと眠ってしまっていたようだ。
しかもカールは髪も洗ってくれたらしい。ホコリだらけだった銀色の髪が今ではサラサラで花の香りまでしている。
「さあ、どうぞお着替えください」
「⋯⋯ほんとうにありがとうございます」
淡いブルーのフロックコートはピッタリと体にあった。ズボンを身につけ、ピカピカに光る革靴を履き、レースがたっぷりと飾られたオメガ襟を首に巻いた。
「わあっ! お美しいです、アレクシアさま!」
カールが感嘆の声をあげる。
きっとお世辞だと思った。だけど鏡を見ると、そこにはとても上品な雰囲気の貴族の令息がいるではないか⋯⋯。艶のあるサラサラの銀髪に紫色の瞳。風呂上がりの肌は、淡いピンク色に美しく色付いている。
「これが、僕⋯⋯?」
信じられなくて、穴が開きそうなぐらい鏡をじーっと見つめた。
そのとき、後ろから低くて男らしい声が聞こえた。
「とてもよくお似合いだ」
「えっ?」
振り向くと、見上げるほど背が高くがっしりとした体格のアルファ騎士——ルードヴィッヒ辺境伯がじっとこっちを見つめていた。
——ルードヴィッヒさま、いつのまに?
いなくなるのも現れるのも、まったく気配を感じさせないのは歴戦の勇者だからだろうか?
——いつからいらしたんだろう?
とたんに胸がドキドキとしてくる。オメガ襟の下の首がカーッと燃えるように熱くなっていった。
ルードヴィッヒに見つめられると、なぜか必ず首が熱くなるのだ⋯⋯。
——似合っている? ほんとうかな⋯⋯。こんなに品がよくて高級な服、僕には不釣り合いじゃないかな?
ものすごく照れくさかった。
「ありがとうございます、ルードヴィッヒ辺境伯さま⋯⋯。あの⋯⋯、食事も服も、ほんとうに感謝しています」
「感謝してもしきれないのは俺のほうだ。命を救ってもらった」
ルードヴィッヒが強い視線で見つめてくるので、鼓動がますます速くなった。
——どうしてこんなに僕をご覧になるんだろう?
こんなに見られたら恥ずかしくて仕方がないではないか。隠れるところがあるならば隠れてしまいたいほどだ。
カールが、「お茶のご用意をいたしますね」と部屋から出ていく。
ふたりきりになっても、ルードヴィッヒの視線はずっとこっちを見つめたままだ。
「あ、あの⋯⋯、あれは薬草がよく効いたからなんです⋯⋯。だからそんなに感謝していただいたら、恐縮してしまいます⋯⋯」
「薬草? そうだ、薬草園に案内しようと思っていたのだった。あまりにお美しい姿に見惚れてしまい、すっかり忘れていた」
「う、美しい⋯⋯?」
美しいなんてとんでもない⋯⋯。
——僕に『美しい』などという形容詞が似合うはずがないのに?
だけどルードヴィッヒはもう一度、
「ほんとうにお美しい」
とつぶやき、ますます強い視線で見つめてくる。
——こんなに見つめられたら、穴が開くんじゃないかな?
本気でそう心配するほどの視線の強さだ。
「あ、あの⋯⋯。ではぜひ、薬草園を案内してください⋯⋯」
なんとか話題を変えようとすると、
「ああ、そうしよう」
ルードヴィッヒはやっと視線を外してくれた。
ホッとしてルードヴィッヒのあとにつづいて部屋を出る。
長い廊下を歩いていると、少しずつ胸の鼓動も落ち着いてきた。
「あ、あの⋯⋯、辺境伯さま?」
「ん?」
「ほんとうに僕を雇ってくださるのですか?」
「もちろんだ」
「でも、僕は、身元もはっきりしないのですが⋯⋯」
「追放された悪役令息ならば、とうぜん身元は隠したいだろう。それはよくわかっている。アレクシアどのの過去を深く詮索するようなことは絶対にしない。だから安心してくれ」
安心してくれ——ルードヴィッヒのその言葉を聞くと、心の中のもやもやしたものがさーっと消えていくような気がする。
大きな安心感が心に満ちていく。こんな感覚は初めてだった。幼いころからいつもなにかに怯えていたのに⋯⋯。
——いいのかな? このまま、ルードヴィッヒさまの優しさに甘えていいのかな?
だけど同時に、自分がルードヴィッヒを騙していることも気になって仕方がない。
——僕はルードヴィッヒさまに嘘をついている。こんなにやさしいお方を騙している。
心苦しさでいっぱいだ。
「あの⋯⋯、でも、やっぱり僕は⋯⋯」
「薬草園を見たら、きっと断りたくなるかもしれないな」
「え?」
どういう意味だろうか?
「我が城の薬草園はもうずっと薬師がいない。手入れをしていないので、雑草が生えている。ひどい状態だ。そんな状態の薬草園を任されても嫌だろう?」
「えっと⋯⋯、どうでしょうか⋯⋯。あの、⋯⋯薬師の方を、今まで雇われなかったのはどうしてですか?」
「国王が住む首都にならば薬草術を教える学校があるだろうがここにはない。ゆえに薬師も多くはない——ということだ。そういえば、首都にあるセント・リリィという名の修道院が、薬草術の最高峰だと聞いたことがあるな⋯⋯」
——セント・リリィ修道院!?
その名前を聞いたとたんに、アレクシアの体はビクッと大きく震えた。
セント・リリイ修道院はアレクシアがいた修道院だ。アレクシアに罪を着せた場所だ。
——落ち着け、落ち着け、僕の心臓⋯⋯。
そっと両手で胸を押さえて、心の中の動揺をがんばって隠した。
——ルードヴィッヒさまは首都のことをよくご存知なんだ。だったら、きっと、王を呪った罪で逃亡中のオメガ聖女のことも、お聞きになっているはず⋯⋯。
「アレクシアどの?」
「え?」
「——ここが薬草園だ」
「あっ⋯⋯」
顔を上げると、そこには眩しいほど明るい冬の日差し⋯⋯。そしてその光をたっぷりと受けたとても広い薬草園が広がっていた。
「雑草ばかりだろう?」
「⋯⋯はい」
たしかに雑草がいっぱいだった。あちこちに枯れて茶色くなった薬草らしきあとがあるが、それ以外はすべて雑草だ。
「薬草は領民の役に立つ。アレクシアどのの薬草の知識があれば、ここも復活できると思ったが、嫌なら仕方がない」
ルードヴィッヒの声はとても残念そうだ。
——領民のみなさんのため? たしかに、この広い薬草園が完成したら、たくさんのポーションを作れるに違いない⋯⋯。そうすれば人々を癒すことができる。それに、もしかしたら、⋯⋯もしかしたらだけど、こんな僕でも、お役にたてるかもしれない?
生まれてからずっとセント・リリィ修道院で暮らしてきたのだ。貴族出身のオメガ聖女たちのように授業を受けさせてはもらえなかったが、こっそりと薬草術の本を読んできた。薬草の知識はたくさん持っている。
その薬草の知識に聖女の奇跡の力を加えることがもしできたならば、きっと素晴らしいポーションができる⋯⋯。
——こんなに親切にしてくださったルードヴィッヒさまにご恩返しができるかもしれない。いつかは逃亡中のオメガだと知られるとしても、それまでは、ここで薬師として働く⋯⋯。ああ、そうできたら、どんなにいいだろう!
「ほんとうに、放浪中の僕のような者で、よろしいのですか?」
「ここは国境の地だ。中央のような保守的な思想では生きてはいけない。放浪中でもまったく構わない。過去は問わぬ——と、言ったであろう?」
「では、あの⋯⋯、どこまでできるかわかりませんが、やらせていただきます。マジョラムやネロリなら比較的簡単に⋯⋯。うわっ!」
と大きな声をあげたのは、ルードヴィヒがいきなり手を握ってきたから⋯⋯。
「アレクシアどの——」
「え? は、はい⋯⋯?」
「心から感謝している——」
ルードヴィッヒの声はすごく優しくて、大きな手はとても温かかった。
続く
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