31 / 83

第31話 紋紋

 ある日事務所に行くと松田さんは奥の部屋で彫り師を呼んで背中に刺青を入れている最中だった。 「おう、石田の坊ちゃん、彫り物、見ていくかい。」 「凄いっスね。痛くないスか?」 「紋紋の別名、我慢って言うんだよ。 痛いか、なんて聞くんじゃねぇよ。」 彫り師が 「少しづつ入れるんです。 それでも高熱が出るんでね。」 「背中一面に入れたらみんなに尊敬されるね。」  石田は自分も入れたくなった。寝てる間に彫って貰えるなら自分にも出来そうだ。 「松田さん、俺も我慢してみたくなった。」 「馬鹿言わないでくださいよ。凄く高いよ。 でも、金じゃねぇ。生半可なことではありません。坊ちゃんの親父さんに殺されるよ。」  石田の頭にはもう費用の事しかなかった。 是非とも入れてみたい。それもこの辺のヤンチャなガキが誰も入れてないようなカッコいいやつを。 「坊ちゃんが、両肩に『金太郎の鯉掴み』を入れるなら、金は私がお出ししますよ。  昔、網元だった親父さんに世話になったからね。マジで素晴らしいのを入れるんですよ。」  松田さんの顔が怖かった。松田さんは背中に『昇り龍』見事な和彫りを入れる所なのだ。 「鯉はやがて滝を登って龍になる。それを掴む金太郎。いいじゃありませんか。」  彫り師が彫り物の画帳を見せながら説明してくれた。 「石田の坊ちゃん、和彫りの墨を入れたら、もう後戻りは出来ませんよ。  堅気の人生は送れない、かもしれません。 よくよく考えて来てください。」  そう言われると刺青を入れる事が益々魅力的に感じられる。  この頃の閉塞感を打ち破る唯一の手段に思えて来る。他に何も考えられない。  前から、松田さんは綺麗な人だと思っていた。 極道とは、ルックスが大事なんだなぁ、といつも憧れて松田さんを見ていた。背が高くてスラッとしている。スーツなんか着てる所に出会うとドキドキした。死ぬほどイケメンだ、と思っていた。 (この人の喜ぶ顔が見たい。何でもする。) そんな気持ちにさせるのがヤクザの常套手段だと、気づかずに、まんまと石田は取り込まれた。

ともだちにシェアしよう!