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第53話 三郎

 東京にいた時から三郎はひきこもりだった。 5年前、房総半島のこの海辺の町に引っ越して来た。両親と犬一匹、猫三匹と共に。  ここに来てからは完全にひきこもり状態だ。 唯一、犬の散歩だけが外出の機会になっていた。  犬の名前は小次郎。チワワとペキニーズのミックス犬で今年、14才になった。  その日も三郎は犬の散歩に出かけた。 向こうからちょっと大きい秋田犬っぽい奴が歩いて来た。リードも付けず飼い主も近くにいない。珍しく、一匹、単独で歩いている。 (ヤバい!迷い犬かな?吠えられたら怖いな。)  小次郎は外で犬に出会うと猛烈に吠えるが、この時はなぜかおとなしくしていた。  犬を避けるようになるべく街の端を歩いたが、何と犬の方から声をかけて来た。  犬同士はお互いに匂いを嗅ぎ合っている。 「小次郎、待っていたよ。ここで会える事はわかっていたんだ。  三郎殿、私は八房(やつふさ)と申します。」 「えっ?えーっ?犬がしゃべってる⁈」 (長い隠遁生活でついに僕は幻想を実体化するほど正気を失ってしまったのか?  来るべき時が来た。精神の境界を超えてしまった。これが発狂するって事か?  誰に話したって信じてもらえないだろう。 長いひきこもり生活で、孤独の毒が自分を蝕み始めたのか?怖い!怖すぎる!)  一瞬でこんな事を考えてしまった。よく見れば 妙に立派な雰囲気を持つ、貫禄のある八房に、三郎は思考停止状態だ。  するとこともあろうに小次郎も人の言葉を話し始めた。話す、というより直接頭に入って来るような感じ。 「八房殿、ここでお会い出来ると思ってました。 八犬士の事も、犬の伝承で知っております。」 「な、なんだよ、コジしゃべれるのか?」 (14年も一緒に暮らしているのに、今まで隠してたのか。東京育ちの犬なのに九十九里に知り合いがいるなんて、なんか馬鹿げてる。  構造的に犬が言葉を話すのは無理だ。特に小次郎は舌が長すぎていつも口の端から垂れ下がっているからしゃべれるわけが無い。  これは僕の頭がおかしくなったって事だろ。 それに犬の伝承ってなんだ?  テレパシーでも使えるって言うのか?) すると八房と名乗る犬は、三郎にもわかるように説明を始めた。  どんな説明も到底納得出来るとは思えないが。

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