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第86話 五月雨

 五月雨の決意は固かった。教師を辞めるのは簡単では無い。  学期の終わる、キリのいい所まで、引き継ぎと残務整理だ。辞める理由も詳しく訊かれる。 「八岐くん、噂だが、キミは同性愛者だそうだね。それが原因で教職を去るのか?」  校長に訊かれた。同性愛者が教師をやってはいけない法はないが、やはり教育上不適切だ、と決めつけられる。ここは大人の対応で穏便な理由を答えるべきだろう。  保護者が 「ウチの息子がオカマにされたら困る。」 とか、 「ウチの息子が襲われたら困る。」 とか、あり得ない心配をしている。  ゲイの人間が男を見れば、誰彼構わず襲い掛かるとでもいうのか?  異性愛者だって襲われる可能性は同じだ。 そして同性愛者にも、異性愛者と同じように、選ぶ権利、がある。  一般的な異性愛者が、異性を見れば襲い掛かるとは誰も思わないだろう。  みんな何か勘違いしている。同性愛者は耽美主義な人が多く、美しくないものは相手にしない。  よくカミングアウトすると、 「襲わないでね。俺、そっちじゃ無いから。」 とか、いう奴がいるが、余計な心配だ。  ゲイは面食いだから、外見も内面も不細工はお断り。  大勢の保護者の中には、くだらない心配をしたり、興味津々なのを隠さない人たちがいる。  自身の欲求不満を拗らせて、人の性癖を暴き立てて楽しもうとするゲスな人々。  子供達の中にも潜在的に性の違和感を抱えている人間はいるだろう。一人で悩んでいる子は可哀想だ。病気でも何でもない。同姓を好きになる事だってある。恋とは、突然落ちるものだから。  世界には同性愛者は死刑になる国もあるらしい。人間の浅はかさだ。世界は未だ、未成熟なままだ。五月雨はあまりにも未熟な人類に絶望的になる。  人とは何だ?命とはなんだ? 五月雨は子供の頃から、自分は普通じゃないのか?という葛藤があった。普通がわからない。  神社には様々な秘密が隠れている。子供の頃、神社の境内で遊んでいて、迷って拝殿の裏に出た。目の前にあの石の橋。橋の入り口に大きなラクダがいた。岩のような大きなラクダが五月雨に言った。 「私が見えるのか?普通ならここには来れないはずだ。おまえはここに来た。私の声も聞こえるんだな。さすが、玉梓の子だな。  私は人間と思念との交差点のような存在らしいのだ。」  生命の神秘をラクダが教えてくれるのか?

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