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第102話 図書館カフェ
「文化がないんだよ、この町には。」
「本屋が潰れるようなところだ。」
「もっと生活に必要な店が欲しいんだが。
スーパーとか。」
「行政の方では、道の駅、を計画してるらしいよ。」
「道の駅、なんてたくさんあるけど、みんな閑古鳥が鳴いてるよ。」
軒並み土産物屋が潰れている実態がある。神社に集まって井戸端会議をしている年寄りたちがいろんなアイデアを話す。
オショーは参考になる意見を拝聴している。
ラップバトルに来る若者たちの話も興味深い。
「せっかく海があるのに、海の見えるカフェとかないんだよ。デートスポット。
彼女誘っても、みんな一ノ宮あたりに行きたがる。あそこはオシャレな店が多いから。」
「一番欲しいのは図書館だ。
出張所に小さな図書室があるけど人が来ない。
目立たないところだし,本も少ない。」
オショーはみんなの意見を聞いて、図書館カフェはいいな、と思った。」
ラップバトルに連れて来た三郎という若者が、適任だと思った。かなりの読書好きみたいだ。
「オショー、オレの恋人、紹介するよ。」
いつも無口なジョーが珍しく嬉しそうに言った。
傍に寄り添うように立っている若者を紹介した。
男同士だと言う事に、ジョーは何の屈託もない。
「はじめまして。僕、山田三郎と言います。」
「あ、私はこの神社の宮司で、みんなにはオショーと呼んでもらってます。」
「オショーの呼び名はラジニーシから、ですか?」
「よく勉強してるね。ラジニーシというと誤解する人もいるのだが。」
1990年にラジニーシが死んだのをキッカケに犬塚鍾馗はオショーと名乗り始めた。
ラジニーシは哲学の教授だったが、神秘家、あるいは精神指導者でもある。
一部には詐欺師スレスレのトリックスターだ、とも言われているが。
オショーの時代の若者たちは少なからぬ影響を受けていると思う。ニューエイジ。
人は信じたいものだけを信じるものだ。
オショー自身は、別にラジニーシの信者ではなかったが、その自由の捉え方に大きく影響を受けていた。
「バグワン・シュリ・ラジニーシ」が後に
「オショー・ラジニーシ」と呼び名を変えたのは日本の和尚さんと言う言葉からだそうだ。
鍾馗にとってオショーと名乗るのは、思い込みの強い既成宗教を洒落のめす意図が含まれている。
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