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第179話 生と死の概念

 オショーがみんなに説明しようとした。 「やれやれ、石の橋を守っているラクダの事だけでも、この不思議だ。 橋の先はどうなっているのか?」  裏の石の橋についてはラクダがヒントをくれた。ラクダの存在も信じられないが、ラクダの言った人間と思念の交差点、という言葉が重要な意味を持つ。  確かに黄泉比良坂への通路だとすれば、この橋は未だ人類が解明出来ない死後の世界に通じる道だ。 「思念の概念を整理しよう。 思念だけの存在とは?玉梓にも関わる話だ。」 玉梓の事も解明出来ていないが、確かにここにいる。魂とか、霊とか、呼び方は何でもいいが、ここでは『思念』と言う事にする。  もっと科学が発展したその先には、思念だけの存在が残るのか。  脆く朽ち果てる肉体の縛りがあるために、寿命も限られてしまう。  だが、肉体が死んだ後の本質は、思念であり、実態はない。形もない。質量もない。そんなものかもしれない。だから思念には寿命もない。終わりがない。終わらない生命とは?存在とは?  確かに存在している、と言えるのは計測できる質量を持った肉体があるからだ、とすれば肉体のない思念だけの存在は、存在と言えるのか。  パラドックス。  肉体の縛りを離れて自由に生きる。生体反応からの自由。本来の姿は思念のみ。  不完全で脆弱な肉体を離れた後に残るのは精神、思念なのか。  肉体は有機分解されるだろう。この精神はどうなるのか。  以前のスサ名義の書き込みが、真理に近づいているのか。  この神社には色々と考えさせられる事が多い。  実際、犬たちの事も不思議だ。 「みんなが知ってる八房って何なんだ?」 五月雨は八房を知らない。でも、母の玉梓の事を思うと,八房の事も否定出来ない。 「五月雨は知らないけど、あなたのお父さんはいつもそばにいてくれたの。会った事もない五月雨には理解できないでしょうね。  あの橋は大切な場所なのよ。いつもラクダが見守ってくれた。」

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