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第202話 八房と伏姫
「伏姫の子供たちの魂の父親は拙者である。」
と思い込んだ鋺大輔は出家してチュ大法師と名乗り、子供たちを探す旅に出た、と八犬伝には書かれている。
今では八犬士たちの末裔は、人間は生きづらいので犬の生き様を選んでいる。人間が一番偉い訳ではない。一番辛い生き物かもしれないが。
チュ大は犬になった子供たちを、浅ましい犬の祟りだ、と勘違いしているようだ。
「人間が一番偉い。」という傲慢な考えは、戦国時代では仕方の無い事だったかもしれない。
鋺大輔は怨念のためにその思念が未だ彷徨っているのだろうか?
八房が橋を渡ってたどり着いた所は、あの和彫り野郎石田とは違って、500年前の戦国時代だった。城が見える。
「ああ、この景色、見覚えがある。
あの城は安房館山城。
安西景連の首を所望され命がけで戦った城だ。
殺生な事をした。野蛮な時代だった。」
八房は自責の念に駆られた。
「今ならわかる。戦さの無益な事。犬にわかることなのに、500年経った今でも、人は戦争をやめない。なぜ人間は戦いをやめないのだ。
戦国時代から現代社会になっても、何の成長もしてないのか。」
なにか、理不尽な気がした。
「八房ぁー。」
伏姫がやって来た。伏姫だ!思念となってそばに来た。もちろんこの景色も城も、八房が抱いているイメージの具現化なのだろう。
それでも伏姫はここにいる。八房を抱きしめてその毛並みを撫でてくれる。優しい伏姫だ。
伏姫も犬の姿になって耳の後ろを嗅いでくれた。
(やっぱり、犬同士がいいなぁ。)
八房はしみじみ思う。
二匹の犬はまた、橋を渡って帰ることにした。
誰の意思でも無い。自分たちが帰ろう、と思えば帰れる。信念を持って帰ろうと思えば帰れるのか?(思念だから?)
伏姫をずっと見張っていた鋺大輔は、犬になって幸せそうな二人を見つけて激怒した。
「拙者は伏姫を見守っていたのだ。畜生道に落ちないように。共に成仏出来るように。
畜生なんかに誑かされないように。
おのれ、八房めが、許せん!」
八房と伏姫が橋を渡って帰る時、あの鋺大輔も一緒に来てしまった。
「義憤に駆られ八房を撃ち殺したはずなのに。
拙者が間違っていたのか。
畜生と愛し合うなど、あり得ないことだ。
妖犬八房を退治して伏姫までも自害に追い込んだのは辛い事だった。
子供たちを探し出し、魂の父は私だ、と名乗りたい。」
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