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第2話

 羽柴(はしば)陽平は地元の小中高と同級だった、猫美の幼馴染みだ。  小学生の頃は近所の腕白少年たちを束ねるやんちゃなガキ大将。中学に上がるとバスケ部で活躍。二年生からはキャプテンを務め、周囲から推されて生徒会長にも就任。高校入学時には新入生代表として学校の歴史に残るユニークな名挨拶をし、初日から全生徒の心をわし掴みにした。バスケ部は彼の活躍でインハイ初出場。学業成績も優秀で、全国模試では常にトップ百位以内に名を連ねる有名人だった。  顔よし、人よし、頭よし。およそ欠点というもののない彼の小学生のときの目標は、《友だち百人作ること》だった。そしておそらく、その目標はもうとっくに達成されているに違いない。  そんな、いわゆる究極の人気者であり社交派の羽柴陽平がなぜ、六歳から現在、二十四歳に至るまで十八年もの間、これまた究極の非社交派である猫美の《友だち》でいてくれているのか。それは猫美にとって、ナスカの地上絵は誰がどのようにして描いたのかよりも興味深く、大きな謎だった。 「行かない」  確信を持って、猫美は繰り返す。陽平がなぜ大人になった今でも猫美をやたらと気にかけ構ってくるのかはわからずとも、彼と桜を見に行きたい人間が、それこそ百人いるだろうことはわかる。 『猫美ったら……なんだか陽平が気の毒になってきたわ』  変わらず呆れ顔のシロが、立てていたしっぽをヘニョッと下げた。 『とにかくね、もし誘われたら断っちゃダメよ。晴江(はるえ)が亡くなってから猫美、お花見に行ってないでしょ? 綺麗なお花を見れば気分転換にもなるし、いい思い出もできるわよ』  晴江というのは祖母の名前だ。シロは祖母が特に可愛がっていた猫なので、彼女がその名を口にするときはいつも少しだけ寂しそうな表情になる。 「誘われないよ」  あっさり否定する猫美の足に、シロが抗議するように肉球をパシパシぶつけたとき、 「よぉ猫美! 来たぞ!」  噂の主が今日も爽やかに片手を上げて、《黒猫堂》の狭い入口から窮屈そうに入ってきた。  はっきりとした目鼻立ちは、男らしく凛々しくて華やかさがある。年明けから伸ばしている髪もいい感じにしゃれていて、このうらびれた下町では目立つくらい都会的な雰囲気を醸し出している。猫美と違って明るい色の服を好んで着る彼が足を踏み入れると、本でびっしり囲まれ薄暗く見える店内がパッと明るくなる気がする。 『じゃ、私もう行くわね。騒がしいの苦手なの』  こそっと囁いたシロがくるりと身を翻し、陽平の足もとをすばやくすり抜けていった。 「おっ、シロじゃないか! おい、シロ! ……なんだよあいつ。愛想ねぇなぁ」  逃げるように去っていったシロを残念そうに見送ってから、陽平は猫美に顔を向けニコッと太陽のように笑いかけてきた。 (あれ……?)  その瞬間、トクンと心臓が変な動きをした気がした。このところ陽平に笑いかけられると、こんなふうに鼓動が不規則になることが多い。理由がわからずそのたびに困惑してしまい、彼の顔がまともに見られなくなる猫美だ。 「猫美、久しぶりだな。元気してたか?」 「でもない。してたよ」 《久しぶりでもない》と《元気にしてたよ》の省略形だ。子どもの頃から猫とばかり話していたので、人間とのコミュニケーションが億劫で苦手になってしまった猫美は、極端に少ない言葉数でしゃべる。  正直、人間は苦手だ。言っていることと思っていることが違ったりすることがたくさんある。その点、猫は裏表がない。猫と話しているほうが気を遣わず、ずっと気楽だ。  長いつき合いの陽平は、そんな猫美のことをよくわかってくれている。その独特な話術にもすっかり慣れていて、言いたいことを的確に理解してくれるからありがたい。 「そうか、確か先週の土曜も来たっけな。久しぶりってのは、なんていうかこう、おまえと一週間も会えなかったっていう俺的な感覚なわけだ」  わけのわからないことを言ってハハッと笑い、陽平は右手に持った商店街の和菓子屋の袋を持ち上げる。 「これ、服部屋(はっとりや)の桜餅な。おまえ好きだろ? お仏壇にあげてから一緒に食おうぜ」  ちょっといい茶葉も買ってきた、などと言いながら勝手知ったるなんとやらで、陽平はぼうっと立っている猫美を押しのけるようにして家に上がりこむ。  店のすぐ奥の和室の仏壇に、祖母と両親の遺影が置かれている。もともとは宮司を務めていた黒崎家だが、神社もとうになくなった今ではすっかり一般の家庭と同じだ。別に宗旨替えしたわけでもなく、単に遺影を置く場所として小さな仏壇があるのだった。  その前に敷かれた座布団に長い脚を畳んできちんと座り、袋から取り出した和菓子の包みを供えてから、陽平は目を閉じ手を合わせた。猫美の家に来るとき、彼はまず最初に必ずそうする。  いつもにぎやかでころころと表情を変える彼の厳粛で真面目な横顔を盗み見つつ、猫美は改めて最大の謎について考える。友だちが軽く百人を超えるはずの陽平が、なぜ十八年もの間、猫美を友だち枠に入れてくれているのか、という謎だ。  幼い頃より猫美の友だちは猫だった。それこそ赤ん坊のときから猫と遊び、猫とばかり話してきたので、小学校に入学しても同じ年頃の人間の子どもと何を話していいのかわからなかった。いつも校庭の隅でノラ猫とじっと見つめ合っている変わり者の猫美に、進んで声をかけてくるような物好きな子もいなかった。  唯一ちょっかいをかけてきたのが、ガキ大将の陽平だ。当時からクラス一身長が高く、勉強も運動もできてかっこよかった彼は、何人もの仲間を引きつれて、校庭の隅までわざわざやってきた。  ――おっ、化け猫の猫美がまた猫と話してるぞ!  猫美を見つけるたびにやけに嬉しそうに駆け寄ってきた陽平は、決まって小突いたりいきなりくすぐってきたり、髪をこしゃこしゃにしたりしてきた。気に入らないなら放っておいてくれればいいのにいつも猫美を捜し出し、何かというと構ってきたものだ。  猫美としては《いじめられていた》と認識しているが、そう言い切るには彼の行動はいささか妙だった。陽平に便乗してほかの者が猫美を突き飛ばしでもしようものなら烈火のごとく怒り謝らせたし、草むしり当番を押しつけられたときは、《ったくしゃーねーな》とか言いながら一緒に残って手伝ってくれたりした。クラス全員の前に立たされ、担任に《黒崎はもっとみんなと協調するように》と注意されたときは、憤然と立ち上がり大人のような口調で反論し担任をやりこめた。  ――一人でいるのが好きなのはそいつの個性です! 変に周囲と慣れ合うより、俺は黒崎らしさっていうのを大事にするべきだと思います!  声も態度も身長も大きくて荒っぽい陽平のことが猫美は怖かったけれど、そのときは嬉しかった。陽平が、祖母と同じことを言ってくれたからだ。

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