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第4話
大学卒業後、大手電機メーカーに就職した彼は、希望どおり地元近くの支社に配属になり故郷に戻ってきた。地元に戻ってからも実家には帰らず、アパートを借りて一人で暮らしている。実家に同居している姉夫婦に気を遣ったんだと本人は言っているが、借りたアパートは《黒猫堂》のすぐ近くで、週末は必ずといっていいほど猫美の顔を見に来るのだ。
環境が変わるたびに友だちを増やし続けているのだろう彼に、なぜそんな暇があるのか、そのへんのところも大きな謎だ。
「陽平が、ここに住む? なぜ?」
首を傾げ尋ねると、陽平はそんなこと聞くなとばかりに落ち着きなく手を振る。
「あー、だから、おまえが一人だと何かと心配なんだよ。ちゃんと社会生活送れてるかとか、そういったレベルでな。それに、寂しくないのか? 一人で」
「心配ないし、寂しくもない」
思ったことを端的に伝えると、陽平はガクッと両肩を落とした。
「だよな……そう言うと思ったよ」
安心してもらえると思ったのだが、もしや逆にガッカリさせてしまったのだろうか。陽平は猫美が構えず普通に会話ができる貴重な人間の友人だが、やはり人の心というのは読みづらくて難しい。
「まぁとにかく、何かあったら即俺に言えよ。セコムレベルで二十四時間受けつけてるからな、おまえからの電話を」
そう言って、陽平は自分のスマートフォンを示す。ちなみに猫美は携帯電話を持っていない。猫捜索の関係の連絡は、すべて家の固定電話で済ませている。たまに陽平に依頼仕事を手伝ってもらうことがある――というか、本人が心配して勝手に手を貸してくれる――のだが、その件で電話するくらいで、個人的な用で猫美から彼にかけたことはない。
なるほど、電話でまめにコミュニケーションが取れないから、陽平は頻繁に家を訪れるのかもしれない。
「ところで猫美、今日は猫関係で、ちょっとおまえに協力してほしいことがあるんだ」
桜餅を食べ終わった陽平が、いきなり言い出した。「協力?」と猫美は首を傾げる。
「おまえ田端(たばた)地区の奥の、猫屋敷って知ってるか?」
「猫屋敷……ああ、謎のおばあちゃんが、いっぱい猫を飼ってるとかって……」
出入りの猫たちから聞いたことがある。雑木林に囲まれた一軒家に、相当な高齢女性がたくさんの猫と一緒に暮らしているらしい。その家の通称が確か、猫屋敷。噂レベルの話なので、本当にそんな家があるのか真偽のほどはわからなかったのだが。
「それだ。俺この間、仕事でたまたま田端地区に行ったんだけどな。話聞いたら、どうやら本当にあるらしいんだよ、その猫屋敷が」
「へぇ……」
「近くの人が心配しててさ、あのおばあちゃんは大丈夫なのかって。歳はもう九十越えてるし、脚が悪くて持病もあるんだと。それなのに、猫を何十匹も飼ってるらしくてな」
「そ、そうなの?」
なんだか胸が苦しくなってくる。高齢の体の悪いおばあさんが、そんなにたくさんの猫の面倒を見られるものだろうか。そしてもし、そのおばあさんに突然何かあったら……。
「それ聞いてからどうも心配で、気になってな。俺今日これからちょっと行って、力になれることがないか聞いてみようと思ってるんだ。おまえもぜひ同行してくれ」
フットワークの軽い陽平にさらりと言われ、猫美は「おれも……っ?」と聞き返してしまった。
「おう。俺はおばあさんとは話せるが猫とは話せないから、おまえがいてくれないと」
当然のように言われて、猫美は驚きに目を瞬いてしまう。
陽平は猫美が猫と会話できることを知っている。というか、黒崎家では代々そういう能力を持った者が生まれるというファンタジーな話を、それなりに受け入れてくれている。少なくとも猫美が猫とある種の意思疎通ができるらしいことは、迷い猫捜索の仕事を手伝ってきた中で多少感じてくれているのだろうとは思っていたが、よもや本当に信じてくれているとは意外だった。
(陽平は俺のこと、なんでも信じてくれる……)
自分のことを無条件に信じてくれる人がいるというのは、猫美のような自信のない人間にとってはとても心強いことだ。
「なぁ、猫美」
真面目な顔になった陽平がちゃぶ台に身を乗り出し、猫美の背筋も自然と伸びる。
「おまえ最近、猫関係の仕事あまり入れてないよな。どうかしたのか?」
猫美は「うっ」と小さく唸って視線を泳がせる。やはり陽平には隠せなかったようだ。確かに猫美は、ここのところ本業の古書店のほうだけに専念している。理由はスランプだ。
独り立ちしてもう三年になるのに、猫美はまだ祖母のようにスムーズに迷い猫を見つけられない。猫からのちょっとした相談事ですら、解決するのに時間がかかってしまう。
人間とはもちろんのこと、猫との会話も祖母のほうがずっと上手だった。猫美の能力は私以上だと祖母は言ったが、きっと買いかぶりだ。こんなことでは祖母だけではなく、ご先祖様方にも顔向けできないし、何かと手伝ってもらっている陽平にも申し訳が立たない。
そんな具合にごちゃごちゃと考えすぎて、このところやや鬱々としていたのだが、顔にはまったく出ていないと自分では思っていた。
だが陽平はちゃんと、猫美のその鬱状態を察してくれていたようなので驚く。
「俺には話せよ。相棒だろ? なんだか食も細くなったし、どっか具合でも悪いのか?」
心配そうにのぞきこんでくる友人をこれ以上気遣わせてはいけないと、猫美はふるふると首を振る。
「悪くない。ただ、このままでいいのかなとか、考えてて……」
「ん?」
「おれ、おばあちゃんみたいに、いろいろうまくできないから……」
だんだん声が小さくなり俯いてしまう。いつでも前向きな幼馴染みに、しゃっきりしろよ、と叱られるかと身を縮めていたら、ハハハと明るい笑い声が届いてびっくりして顔を上げた。叱るどころか、陽平はさもおかしそうなニコニコ顔だ。
「なんだ、そんなの当たり前じゃないか。晴江ばあちゃんとおまえとじゃ年季が違う。おまえはまだまだこれからだろう」
「そ、そう……? でもおばあちゃん、おれの歳にはもっとすごかった、と思う」
「ばあちゃんはばあちゃん、おまえはおまえ。今はおまえらしく、できることをがんばればいいんだよ。足りない部分は、俺がいくらでもフォローしてやる」
頼りにしてくれよ、と陽平は片目をつぶる。
確かにこれまでも、陽平に助けられてきた部分は多い。彼がいろいろと手伝ってくれるから、猫美もなんとか猫の相談事解決の仕事を続けていられるのだ。
――きっと猫美にとって、大切な人になるに違いないから。
懐かしい祖母の声がよみがえり、なぜか急に頬がほてってきて、猫美は手でパタパタと顔を扇いだ。
「仕事続けろよ猫美。おまえのペースでいいから。おまえは間違いなくたくさんの猫を救って、飼い主を笑顔にしてる。それをそばで見てきてる俺が言うんだから間違いない」
力強く言われると、そうなのかなという気持ちになってくる。陽平の言葉は、いつも不思議なほど猫美に元気をくれる。
「う、うん……陽平、ありがとう」
照れくさくなってひょこっと小さく頭を下げると、陽平はパチパチと瞬いた目をわずかに細め微笑んだ。じっと見つめられ、なんだかドキドキしてくる。
「じゃあ、猫屋敷の件はいいリハビリになるだろ。今近くにリアルタイムで、困ってるかもしれない猫たちとおばあさんがいる。おまえ、放っておけるか?」
「おけない」
猫美には珍しく即答した。猫助けを生業にしている者が、つらい思いをしている猫と飼い主がいるかもしれないのに、知らぬふりなど絶対できない。そんなことをしたら、もう《黒猫堂》の看板は下ろすようだ。
「おれも行く」
ぎゅっと拳を握って頼りになる相棒を見る。陽平は満足そうに笑って頷いた。
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