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◉1◉隼人と孝哉、ドアの向こう側_2_触れる

「わ、ちょっと……!」  孝哉が体を支えていた肘を、内側からそっと手で払う。支えをなくした体は、俺の薄くなった胸元に勢いよく落ちて来た。 「ごめん! 痛かったよね」  そう言って俺を気遣い、すぐにそこから体を離そうとした。俺はそれを逃すまいとして、首に腕を絡めて引き寄せる。慌てる孝哉の襟足に指を差し込み、グッと引き寄せて離れられないようにした。そして、獲物を逃してはならないと息巻く獣のように、ガブリとその口に噛みついた。 「んむっ、ふ、ン」  唇をそっと舌先で摩ると、そこが嬉しいとばかりに震えた。小さな息を零しながら開いていく隙間を、先へ先へと進む。ちらりと覗いたかわいらしい舌を自分のもので絡め取り、こちらへと引入れた。 「んっ、ふあ、あ」  吸い付いては離して、お互いにそれを求め合う。  歌を生きがいにしている孝哉にとって、そこは声の形や色を作り上げる大事な部分だ。それを、舌先でゆっくりと撫で回していく。孝哉にとって、ここは他のどの部分よりも神聖な場所だ。  そこに触ることが許されているのは、間違いなく俺だけ。その事実は、俺の腹の奥の方で、じわりと熱を生んで行った。 「は、あ、んン」  繋がった口元から濡れた音を響かせながら、手を伸ばしてあの傷跡のある右手と繋ぐ。握ると少しだけちくりと痛んだ。その瘡蓋のような傷跡を摩ると、それすら愛おしいと思ってしまう。そのまま強く握りしめた。  鼻先で呼吸を継ぎながら、右手を肌に滑らせる。会わないうちに太くなった手足、厚みが出て広くなった背中、その全てから、甘くて愛しい香りがする。 ——香水じゃなくて、孝哉自身の肌の香り……。  それを感じると、ぶるりと震えた。  長く離れていたから、やっと抱き合えたから、この時間をすぐには終わらせたくない。少しでも長く触れ合っていたい。ただひたすらに、孝哉という存在をこの体に焼き付けたいと願っていた。  もう離れることは無いと誓い合ったばかりなのに、それでもまだいつか失う日が来てしまうのでは無いかという、どうしようもない不安が俺の中にはあった。 「あ、あ、っ……」  それでも、この腕の中で身を捩るその姿を見るたびに、ただ愛でたい、早く快楽の波の中へと落としてしまいたいと願う気持ちも生まれていた。 「手が滑ると気持ちいいのか?」 「うん、俺、隼人さんの手で撫でられるの、好き」  そう答えながら、痙攣するように体を揺らした。その肌は徐々に赤く染まっていく。それを見ているだけで、欲を止めておくのが難しくなっていった。 「でも、もっと……」  孝哉はそう言って強請るように俺を見上げると、その体を俺に擦り付けてた。そして、その大きな瞳を潤ませながら眉根を寄せると、意を決したようにそっと囁いた。 「お願い、隼人さん」  それは、俺のなけなしの理性を吹き飛ばした。それまで頭を悩ませていたものは、最初からまるで存在しなかったかのように、全て消え去って行った。 「わ! あ、あっ、んンっ」  孝哉を抱きしめたまま横に転がり、向き合ったまま片足を担ぎ上げた。深いキスを繰り返しながら、手にはずっと垂れ続けていたお互いの先走りを絡め取る。そのてらりと光る指先を、後孔へと連れていった。 「あっ、あ、あっ」  つぷ、と小さく音をたて、少しだけ中へと入った。そのあまりの抵抗の無さに、思わずふっと笑いが零れてしまう。そこには、明らかに自分で体を開いた証があった。  それほどに、今日の再会への孝哉の期待は大きかったのだろう。ここに来る前には既に準備万端だったのだと言わんばかりに、俺の指はするすると中へ招き入れられていった。その意味するところに気がついてしまうと愛しさが溢れて止まらず、思わず肩を揺らすほどに笑ってしまった。 「え、なんで? 何を笑ってんの?」 「だってお前……これって」  そこは誰でも触れていい場所ではない。だからこそ、本来ならばもっと硬く閉じられているはずだ。それなのに、驚くほどに柔らかかった。それはつまり、俺には触れてもいいと思われていて、寧ろ触れやすくしておきたくなるほどに、孝哉自身が触って欲しいと願っているということだ。 「だって……。今日、会えるから」  するすると入っていった指で、そのあたたかい場所を撫でていく。手元でヒクリと孝哉の中心が反応した。 「あ……、んっ」 「準備する時間も惜しくて、してきたのか」 「してきたっていうか……。隼人さんと仁木さんが駐車場に着くまで、ここでしてた。別荘でしてから移動するのはちょっと嫌だったから……」  そう言いながら、先端から透明なものを溢れさせていく。  ふと見ると、いつもはチェストにしまってあるグッズたちが、ヘッドボード付近に並べられているのが見えた。  しばらく使っていなかったのだから、新しいものを買ってきたのだろう。普段なら、一人でそういう買い物をすることすら、恥ずかしがるに違いない。その孝哉がここまでしているなんて……。  ズクン、と刺激が走った。俺は中心が痛むほどに欲情し、肌が粟立つほどに歓喜している。 「やばいな、お前。そんなに期待してくれてたのか。……じゃあ、もう入っていいんだな?」  担いでいた足を下ろし、背後から抱きつくように孝哉を抱きしめる。以前より膨らんだ胸に手を添えて、首筋に一つキスを落とした。 「あ、んっ……、うん、大丈夫」  こんな状態の体のどこにそんな体力が残っていたのか、今までその熱はどこに潜んでいたのか、不思議なことがあるもので、俺はいつの間にか二つの欲求を取り戻していた。 「ふ、あ、あ……ンン」  腕を絡めて抱きしめた体に、後ろからゆっくりと入っていく。少しずつ距離は縮まり、境界が無くなっていく。繋がりが深まれば深まるほどに、俺は自分を取り戻した。 「っ、孝哉……」  ゆっくりと先端にあたたかさがまとわりついて来る。その中を少し抜けると、ぎゅうぎゅうにしがみついて逃すまいとする。その反応が愛しくて、昂まる神経に意識が全て持っていかれそうになった。 「あ、嬉しい……俺、また隼人さんに抱かれてる」  欲に思考を奪われそうになりながらも、その孝哉の声と涙に胸が詰まるのを感じていた。俺も同じことを考えていたからだ。 「俺も……嬉しいよ、孝哉。またこの腕の中にお前がいてくれて……本当に、嬉しい」  他人には、たった半年だけじゃないかと思われるかもしれない。でも、俺たちにとっては気が狂いそうなくらいに長い時間だったのだ。  離れていた時間は生きる喜びを奪い、失明してもギターが弾けなくなっても平然と生きていたおれは、生まれて初めて希死念慮に襲われた。他のどんなものも、孝哉の存在には敵わない。それを思い知らされた半年間だった。 「あっ、あ、はあ、んっ」  律動するたびに、それまでどうやっても落とすことの出来なかったタールのような心の澱が、さらさらと溶け出すように消えていった。 「孝哉、孝哉っ」  夢中になって腰を打ちつけ、ただ孝哉の中で喜びを感じる。 「隼人さんっ、隼人さん……」  喘ぐ口から溢れる俺の名前は、痺れるほどに刺激的だった。体がボロボロだということも忘れて、夢中になって孝哉を求めた。そして、腕の中の体が真っ赤に染まりゆく頃には、俺たちの中には幸せだという感情以外は、もう何も残っていなかった。

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