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◉2◉思惑_2 (⚠️強⚪︎有り、SM・暴力系です)
*
「う、ン……」
命の匂いがする。
穏やかに輝く黄金色の太陽に、まだ幼い木々の先端が喜ぶ香りがする。その下では土が水を吸い込み、小さなものたちが盛んに生きている匂いがする。
「あ、風……」
すうっと空気が軽くなるのが分かった。
肌を撫でるような穏やかな風が、この薄暗い部屋の中へも流れ込んできたのだろう。直接見る事が出来なくとも、肌でそれを感じることは出来る。季節は春になっていた。
せめてもう少し日が当たれば、その光の具合や温度の変化で時間を知る事が出来たのかも知れない。でも、どうやらここではそれも望めないようだ。
一つしかない窓はそれほど大きくもなく、分厚いカーテンが引かれている。そこにはドレープの隙間に時折見え隠れする僅かな景色があるばかりで、それ以外の何かを目で知ることはほぼ不可能だ。匂いや音という僅かな情報でしか、外の様子を知る事が出来ない。
地下というわけではないようなのだが、ここは壁がかなり厚いらしく、外とは完全に切り離された部屋だと言えるだろう。そんな場所にある鉄柵の大きな檻の中で、俺はあれ以来ずっと手足に枷をつけられて生きている。
「あー腹減った。なんか食わせてもらうか」
監禁というものにあたるのだろうかと考えたことがあるのだが、おそらくそれは違うのだろう。言葉としては、軟禁と呼ばれるものに近いはずだ。そんなどうでもいいことを呑気に考えてしまうくらいには、俺はこの状況に慣れつつある。細かいことはどうでもいい。そんなことさえ考えていた。
閉じ込められていながらどうしてそんなに余裕があるのかと言われれば、それにはちゃんと理由がある。手足に枷はついているが、それがあまり意味を為していないのだ。驚くほど自由に動くことが出来ており、軟禁という言葉以上の意味で快適に暮らせている。
枷は左と右を繋いではいるものの、それは独立性を邪魔しないほどに緩く、立ち上がって動く自由もある。その上、渡された端末で男に連絡を入れると、誰かが食事を運んで来てくれるのだ。しかも内容を自分で決めることさえ出来る。寝床は信じられないくらいにふかふかで、座り心地のいいソファもあった。そのどちらともを好きに使うことが出来て、さらにはゲームや映画という娯楽の類さえ与えられている。
ただ、社会的な活動は制限されているため、ソシャゲは出来ない。誰かと電話することも出来ないし、何より外出だけは禁じられている。何をしても、どれほど金を使っても構わないが、ここからいなくなることだけは許せないようだ。
ものを与える以外のことでも不自由していない。風呂やトイレはついているし、体を壊せば男がつきっきりで面倒を見てくれる。そうして甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる人がいるという事を考えると、ここへ来るまでの生活よりも、むしろ今の方がいい暮らしをしているのかも知れないとさえ思えてしまうのだ。
では心から快適な生活をしているかというと、もちろんそんな訳はない。成人男性が成人男性をわざわざ連れ去って来たのだ。明らかに犯罪行為であることをしてまで成し遂げたかった事があの男にはあって、俺はここで唯一、それだけを強制されている。
「——あ」
カツンと乾いた硬い音が廊下に響く。
それがやや高さを変えながらも規則正しく鳴り続け、徐々にここへと近づいて来た。どれほど広い家なのか、入り口のドアが開閉される音と共に聞こえ始めるこの音は、かなり遠くから聞こえている。
「もうそんな時間なんだな」
俺は大きな口を開けると、身体中に溜まっている退屈をすべて吐き出した。呑気な気持ちでいるわけにはいかない。ここからは、気を引き締めていかなければならない。
あの音は、仕事を終えて帰宅した男の足音だ。その音は、相変わらず苛立ちに満ちている。この音を境にして、俺の日常は様変わりするのだ。
日中は快適なこの場所も、夜にはなかなかハードな光景を繰り広げるようになる。ここへ連れてこられた時から繰り返されている、SMプレイのような行為の数々。これから始まるその日課を思い、俺はため息を吐いた。
「——さーて、働きますか」
そう呟いて、ベッドに腰掛けた。
どこかの扉についている、錆びついた蝶番が苦しそうな音を立てている。耳につくその音が長ければ長いほど、男の機嫌はいいということになる。しかし、今日は異様に短い。性急な動きをするときは、行為の暴力性が格段に増す。それを思うとうんざりした。今日の自分がどんなふうに扱われるのかを考えるだけで、思わず尻が痛くなる。
「いい子にしていたか?」
男は見下すような視線を俺に投げつけると、檻の前で徐に鍵を取り出し、鍵を開けた。そして、予想通り怒りを滲ませた表情で中へと入ってくる。どうやら、今日はかなり機嫌が悪いらしい。眉間に刻まれた深い皺と吊り上がった目に、折れてしまうんじゃないかと心配になるほどにギリギリと音を鳴らしている歯。蹴りと拳の威力を考えるだけで、胃が痛んだ。
俺は痛いのは嫌いだ。この後の自分の怪我を思うと、実は泣きそうになってしまうほどに恐ろしい。しかし、そこはグッと堪える必要がある。俺にも目的がある。そのためにはここからの時間の過ごし方がとても重要だ。
——ここからは、俺のショータイムだ。
そう思いながら、男を見上げた。
「おかえりなさい」
俺は男の顔を見つめながら目を潤ませる。元々そういう暮らしをしていたからだろうか、俺は相手を騙す事には長けていた。
「早く帰ってきてくれて、すごく嬉しい」
そう嘯くのも、そう思って目がうるうるして仕方が無いんだと思わせることも、そう勘違いさせるような仕草も、すべてがお手のものだ。男はこんなに手の込んだことをしておきながら、意外にも純情でちょろい。いつも俺のこの演技に騙され、愛されることに歓喜する変態じみた笑い声を涎とともに溢すようになる……ふりをする。
「——俺が帰ってきて嬉しいのか。お前は本当に可愛いな」
そう言って俺の頬を両手で包む。その目は、自分の犬が愛おしくて堪らないと言いたげに怪しい光を湛えている。最初はいつもそうだ。大切そうにふわりと顔を包むその手には、壊れてしまわないように大切に扱おうとするような、溺愛彼氏のような雰囲気を纏わせている。
「ンあ……っ」
そうして、吐き気がするような甘いキスを俺に寄越す。舌を深く絡ませ合いながら、優しく吸い上げられる時には、うっかり俺も気持ちよくなってしまう事が多い。どこをどう吸えば俺が喜ぶのかを知り尽くしたようで、この時ばかりは思わずうっとりとしてしまう。
そうして俺はそんな自分にハッとさせられ、嫌悪する。吊り橋効果で恋に落ちるバカのようなことはしてやるものかと思い、男の顔を悍ましいものを見るような目を作って見つめてやるのだ。
「なんだ、気に入らなかったのか? そんな顔をして。——いい身分だな」
俺がこの顔をすると、男は帰宅直後の苛立ちよりも更に激しい怒りを身にまとい、空気を鳴らすほどの勢いで手を上げる。
「ぅぐっ……!」
頬に強烈な衝撃を食らい、ぐらりと視界が揺れる。そこへ追い打ちをかけるように、手入れの行き届いた革の感触が頬を打った。
「っあ、いっ……!」
革靴の中の足は、おそらく窮屈そうに縮こまりながらもきちんと収まっている。その中でしれっと俺の頬を打ったという快楽に震えていることだろう。人を傷つけて喜ぶなんて、ゲスのすることだ。胸が焼けそうなほどの嫌悪を感じながらも、表情はそうであってはならない。歯噛みしてその色を殺した。
「——ふふっ」
この時の俺は、うっかり嬉しさが漏れ出てしまったという表情を見せてやらなくてはならない。しかもそれを全面的に喜んでいると思われてもならず、基本的には無理に暴力を振るわれているという演技をしなくてはならないのだ。
「酷くされたくないから、喜んでるふりをしているんだね。はは。——かわいそうだな」
もしかして、男はそんなことを思っただろうか。しかし、それは杞憂だ。俺は男に許されたくてこんな事をしているわけではない。これは、俺が好んでしていることなのだ。
想像してみてくれよ。
今、目の前の男は、必死になって俺を殴っている。時折足を振り回すような、幼稚な蹴りをお見舞いしてくることもある。絶えず苛立ち続ける神経を少しでも凪させようとして、ただひたすらに俺を痛めつけることに専念しているのだ。
その時間、男は俺に捉えられている。
他の何でもなく、俺だけを見ている。
鬼のような形相で、ひどく狭まった視野に、その中心の特別な位置に、俺だけを置く。
なんて素敵なことだろうか。
この世に数多あるどんな人にも、物にも、気候にも気を取られることなく、ただ目の前にいる俺だけに興味を持ち、この顔が苦痛に歪む様子を見て、少しでも溜飲を下げようとしているのだ。男は俺に好意など持っていない。ただちょうど良かったから連れてきた。それだけだろう。それなのに、俺だけを見ている瞬間に、この男は自分の人生の意味を見出している。
でも、男はそのことに気がついていない。
今まさに、俺たちの間にはある関係性というものが出来始めているのだ。
男は連日俺を殴る。
俺は激しく抵抗はしないものの、それを嫌悪しているふりをしている。
そして、嫌悪しているのに少しばかり快楽を貪るようになってしまい、そんな自分に気づき始めている。そのことに恥を感じていると、そう思っているはずだ。
だが、それは見当外れだ。
俺はただ、準備をしているに他ならない。
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