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第9話 古い契り
嬉しそうにする保輔を、直日神が優しく見守っていた。
「血魔術の使い方は護に習うといい。鬼の力の使い方は鬼が一番よく解しておるからな」
直日神の視線を受けて、護が頷いた。
「一緒に訓練しましょう。清人さん、特訓のカリキュラムに私と保輔君の血魔術も入れておいてください」
「そうだな。血魔術なら護しか教えられる奴がいねぇからな。最初の予定より大掛かりな特訓になりそうだなぁ。こりゃもう、全面的に見直した方が早ぇな」
かなりの予定変更に清人がぼやいている。護が楽しそうに笑っている。
保輔が、ちらりと直桜を窺った。
「瀬田さん、訓練中は化野さん、借りるわ。許してな」
保輔らしからぬ様子と言葉だなと思った。
さっきの直日神と直桜のやり取りを気にしているのかもしれない。
「さっきのは直日が俺を揶揄っただけだよ。保輔には瑞悠ってパートナーがいるし。誰もいなければ、俺も保輔を眷族にって、もしかしたら考えたかもしれない」
「おおきに。けど俺はやっぱり瑞悠が良い。瀬田さんと化野さんみたいなバディに、瑞悠となりたいわ」
そう言って笑う保輔は良い顔をしている。
良い笑顔過ぎて、直桜の方が照れてしまう。
「直日神様のお陰で、口吸いの才出しも前より精度上がりそうや。俺も智颯君も糸口見付けた。最後は円や」
保輔に名前を呼ばれて円がそっと目を逸らした。
すっかり蚊帳の外で放置されていた円は、自分から存在感を消していたかのように薄く見えた。
そっと逃げ出さなかったのはきっと、隣にいる智颯がしっかりホールドしていたからだろう。
「やっぱり、俺も、やる、よね」
弱腰の逃げ腰になっている円の腕を智颯が、がっしりと掴み直した。
「俺、鬼でも、神様でも、ない、只の人、だけど。智颯君の、バディで、いいのかな」
すっかり自信を失った顔で、円が俯く。
言われてみれば、今この場には惟神と鬼ばかりで、シンプルに人間は円だけだ。
「人の何が、あかんのや。自信がのぅなったのなら俺が取り戻したる。口開け」
円がおずおずと顔を上げて、口を薄く開く。
その顔がやけに色めいて、可愛く見えた。
腕を掴んでいる智颯が複雑な表情で円と保輔を見詰めている。
唇が重なって保輔が舌を差し込むと、円の体がピクリと震えた。
円の彷徨う手を智颯が握っている。
もう片方の手が保輔の背中に回って服をぎゅっと掴んでいる。
遠巻きに見ていると不思議な光景だなと思う。
くちゅりと小さな水音を立てて、唇が離れた。
保輔が躊躇するように口元を抑えた。
「円、お前……、ガキん頃とか、何かあった?」
「何って、何が?」
神妙な面持ちになった保輔を、円が不安な表情で見上げている。
「霊元に何か、絡まっとる。そのせいで半分も力、使えとらんねや。まるで封印、いや、呪い? よくわからんけど、気味が悪い。最近のもんやない。古い術や。その向こう側に何かある。きっとそれがマヤさんが言うとった眠っとる力なんやろけど」
そこまで言って、保輔が黙り込んだ。
「何? そこまで言ったら、全部教えてよ」
怯えながらも円が保輔を急かした。
「あんまり、人っぽくない気配がする。どっちかっていうと、妖怪っぽい」
「へ……? 俺、妖怪なの?」
「いや、そうやのぅて。妖力が移植されとるような、流し込まれて閉じ込められとるような、変な感じや」
保輔にしては珍しく曖昧な説明だなと思った。
「その封印、呪い? 僕が浄化しちゃ、ダメなのか?」
智颯が円の胸に手をあてながら保輔に問い掛けた。
保輔が首を捻っている。
円の胸に手をあてた智颯も怪訝な顔をした。
「これ、呪いではないと思うぞ。封印て感じもしない。なんだろう」
直桜は円の隣に腰掛けて、智颯と同じように手をあてた。
「俺にも、触らせて」
智颯と直桜に囲まれた円の体が緊張している。
霊元に向かい神力を流す。霊元に何かが埋め込まれている感じだ。その上から薄い膜で覆って封じているようではある。微量に流れ出ているのは妖気だ。
「これは呪いでも封印でもないのぅ。だから智颯も気が付かなんだろうなぁ」
「ふむ。契りだな。約束を覚えておらぬのか?」
いつの間にか傍にいた気吹戸主神と直日神が円に語り掛けた。
口をパクパクしながら、円が首を横に振る。
気吹戸主神には慣れているだろうが、直日神に相当緊張しているようだ。
「契りってことは、昔、円くんが誰かと、多分妖怪と何かを約束したんだね。覚えていないのは記憶を消されたか、シンプルに忘れているだけかって感じかな」
直桜に向かい、直日神が頷いた。
その表情から、どうやら悪いものではなさそうだ。
「もしくは遺伝だな。血に刻まれた契りなれば、開く術は伝授されておるはずだが、聞いておらぬか」
円が何度も首を振った。
「花笑は呪禁道に精通した草だろ。呪禁師協連にも名を連ねるほど古い呪禁師の家柄だ。その手の特殊能力があっても不思議には思わねぇが。堅持さんから、なんか聞いてねぇのか?」
清人の問いかけにも、円は首を振った。
「例えば、そういうのが、あったとしても、教えては、くれない、です、多分。自分で、探して、どうにかするのが、花笑のやり方、だから」
俯く円に、清人が納得な顔をしていた。
「秘密主義は身内にもって感じか。お前も苦労するな」
「秘密主義って言うか放任て感じだよね。能力を引き出さなきゃ、鍛えることも出来ないよ」
直桜の言葉に円が更に俯いた。
「出来ない奴が、現場に出ても、死ぬか、足を引っ張るだけ、だから。草は、基本、使い捨ての駒、だから。自分の能力、くらい、自分で、見付けないと。それも、修行、だから」
bugsの隠れ家に円が捕らわれた時の初と稀の言葉を、直桜は思い出していた。
「捕虜になった時点で死ぬべきだった」と言った二人の姉の言葉は、花笑の草が教え込まれてきた術の一環なのだろう。
直桜には受け入れ難い概念だ。
「円くんは使い捨ての駒じゃないよ。智颯のバディになった時点で、大事な仲間だ。これからは、何があっても死ぬって選択は無しだよ」
直桜は円の腕を掴んだ。
マヤは円に智颯の眷族になれと話した。未来を引き寄せるマヤの言葉だ。近い未来に円が智颯の眷族になる日が来るのだろう。
眷族になれば自分から死ぬという選択はできなくなる。むしろ眷族にしてしまった方が良いとさえ思った。
上がった円の顔が驚きに染まっていた。
「草は転々と主を変える分、仕事がシビアで死も術の内だったろうし、花笑は特に秘密主義で有名だからな。俺らには理解できねぇような鍛え方もあるんだろうぜ」
清人の説明は理解できる。
忍《しのび》と呼ばれる人たちの常識は、直桜の想像をはるかに超えて非人道的だ。そういう世界に生きている円の常識も、きっと直桜とは違うのだろう。
「円は草だけど、僕の大事な恋人だから。眷族になるかは、わからないけど、僕も円には命を大事にしてほしいし、一緒に能力を探したいと思う」
手を握ったままの智颯が、円に向き合う。
円が智颯の手を握り返した。
「うん、ありがと」
智颯の肩に顔を預けた円の表情は穏やかに見えた。
「ヒントはあるで。栃木の天狗の山に行けば、円の契りについて、何かわかるんちゃう? マヤさんが言っとった命脈の欠片が、関係あるのやと思うわ」
命脈の欠片には円が気が付くとマヤが話していた。保輔に、出向く前に才出しを試すよう伝えたのもマヤだ。
保輔の推論は、一応、繋がる。
「栃木出張は早ぇ方がよさそうだな。天狗の山なら、那智を借りられるか忍さんに打診しとくから、六人で行ってこい。護、車出せるか?」
「はい、この前と同じくらいのバンを借りられるなら」
清人と護が出張の段取りを始めてからも、直日神が円をまじまじと眺めていた。
正面から顔を見られているので、逃げられなくて円が震えている。
「何度か、会ぅておるか? この気配には覚えがある」
「円くんのこと? 俺はもう何度も会ってるよ。直日は二回目じゃない?」
護を助けるために呪法解析部で会ったのが恐らく初めてだ。あの時は、直日神が護に付きっきりだったので、円とはろくに会話をしていなかった。
直日神が楽しそうに円の顔をペタペタと触る。
興味津々と言った感じは珍しいなと思った。
「智颯の番は、面白き匂いがするな」
「面白い匂い?」
智颯の疑問を流して、直日神が気吹戸主神を振り返った。
「気吹戸は仲の良い妖怪があったな。何だったか」
「たくさんおりますなぁ。儂は妖怪も鬼も人も気が合えば好いてしまいますから。鎌鼬や山颪なぞは知己ですが。海坊主や覚なぞも酒飲み仲間ですな」
楽しそうに話す気吹戸主神を意味深に眺めて、直日神が円に向き合った。
「神と妖怪の境は曖昧だ。人と神も大差ない。吾は鬼を愛する神だ。気吹戸はこと妖怪を愛する。己を人と蔑むな。己は己だ」
直日神が円の額に指を置いた。
神力が淡く光って、円の皮膚に吸い込まれる。
「直桜が気に入っておる人間のようだから、少しだけ力を貸してやろう。智颯と気吹戸をよろしく頼むぞ」
「はい、ありがとう、ございます」
円が息を飲んで額に手をあてている。
「むむ、儂もよろしくされるのですかな?」
「僕より気吹戸の方がフラフラしていそうだからだよ」
気吹戸主神と智颯のやり取りを眺めて、円が直桜に目を向けた。
何かに動揺した目に、直桜は首を傾げた。
「直日神様の、神力が、温かいと、感じるのは、どういうこと、ですか?」
さっきの保輔のやり取りがあったからだろう。
円は少し前まで直桜の神力を強くて怖いと話していた。
直日神が直桜を振り返った。
「彼の名は、何と言ったか」
「花笑円くんだよ」
最近はかなりの人の名前を覚え始めた直日神だけに、名前を聞かれたのは久々だなと思った。
「円、吾の神力は温かいか」
円が無言で小さく頷く。
「契りが解ければ、きっとわかろう。吾にもまだ、わからぬ」
そう話す直日神の顔はとても満足げで、既に総てに気が付いているのではないかと思える顔だった。
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