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第10話 折伏の種①

 買い物から帰った直桜と護は、冷蔵庫に食材を仕舞い終えて一息ついた。  明日からは栃木へ出張だ。今回は若者も多いので車内で食事ができるようにお弁当を作ろうという話になったのだが。 「流石に買いすぎちゃったね。しばらく留守にするから、全部使いきっちゃいたいけど、作りきれるかな」  買い物の段階から張り切り過ぎた気がする。  護は思い付いた段階からワクワクしていたようにも感じた。 「今日の夜から仕込めば、大丈夫ですよ。男の子ばかりだから、持っていけば食べてしまうだろうし。ご飯は炊いちゃいましょうか。今日分と、明日のおにぎり分はセットするとして」  最近の護は料理している時、とても楽しそうだ。  好きな趣味に興じている時くらいは、翡翠のことを忘れられるかもしれない。悲しい気持ちが少しでも和らいでくれたらいいと思った。  しかし、それを差し引いても買い過ぎた感はある。 「二人とも、マンションの方に居たのか」  キッチンの扉が開いて、忍が顔を見せた。 「どうしたの? 忍。こっちまで来るなんて珍しいね」  事務所までなら入ってくるが、直桜と護のプライベート空間であるマンションにまで顔を出すのは珍しい。 「事務所に行ったら直桜と化野は出張前の休暇だと聞いたんでな。休みに悪いが、行く前にしておきたい話があって来た」  何気なく直桜が冷蔵庫を開けたのを眺めて、忍が言葉を止めた。 「明日から出張だが、大丈夫か?」  ぎっしり詰まった食材を見付ければ、当然の疑問だと思った。 「明日は車の移動なので、車内でお弁当を食べられるように作っていこうかと思いまして、今日は買い出しに行ってきました」  いつになく嬉しそうに語る護を忍が無表情に眺めた。 「……そうか。明日は那智も世話になる。手伝うか?」 「いいの? じゃぁ、卵焼き作ってよ。忍の卵焼き、また食べたい」 「別に構わないが、恋人がむくれているぞ」  指摘されて護に目を向ける。  文字通り護が頬を膨らませていて、驚いた。 「直桜は私が作る卵焼き、嫌いですか? 忍班長の方が好きですか?」 「いや、そうじゃないけど。忍のも美味しいんだよ。護も食べたことあるでしょ」  臍を曲げる護に、懸命に言い訳する。  禍津日神の儀式に備えた訓練を行った時、終了日に作ってくれた忍の卵焼きは美味しかった。あれは護も食べているから覚えているはずだ。  護が、表情を変えて、ふふっと笑んだ。 「冗談ですよ。あの卵焼きは美味しかったですよね。忍班長とお料理できるのは楽しいです。私からもお願いします」 「今日も明日も手伝ってやる。直桜はほとんど役に立たんだろう」  料理に関しては直桜は戦力外だから、何も言えない。ちょっと悔しいが、忍が手伝ってくれるなら美味しいお弁当になりそうで期待できる。  護の肩に忍が手を置いた。   「あまり無理はするなよ。仕事ではあるが、お前は今回、引率のようなものだ。温泉にでも浸かって浮世の垢を落としてこい」  念を押すように忍がポンと肩を叩く。  後から聞いた話だが、忍は清人と違って翡翠のことを覚えていたらしい。翡翠の忘却術は忍には効果がなかった。だから約束したのだという。本人が思い出すまで話さない、と。  護が13課にスカウトされた事件については詳しく聞いていないが、少なくとも翡翠はその時点で護の敵ではなかったそうだ。だからこそ余計に、今の翡翠が反魂儀呪にいる現実は辛いだろう。  その肩に手を置いて、護が小さく俯いた。 「お心遣い、ありがとうございます」  忍もきっと、護が翡翠について気に病んでいると気が付いているのだろう。  明るく振舞う姿も、元気に振舞う表情も、護が無理しているのは一目瞭然だ。今は何かに打ち込んでいる方が気が紛れるようだから直桜も敢えて休めとは言わない。  だが、忍の気持ちとしては休ませてやりたいのだろう。 「組対室は清人がオンコール、お前たちの出張中は基本的に閉鎖だ。現在、紗月が怪異対策室の助っ人に入っているから、折を見て訓練を開始する。律、瑞悠、修吾に清人が先行して訓練に入る。お前たちは、いつ帰ってくるか、わからないからな」  冷蔵庫の中の食材チェックをしながら、忍が世間話のように話す。  直桜が倒れている間からずっと、紗月は怪異対策室の助っ人に入っていたと聞いた。戻ったばかりの修吾と、現在バディがいない律のフォローだ。  護が三人分のコーヒーを淹れて、テーブルに並べた。 「保輔がいないのに、瑞悠が先に入っちゃっていいの?」  清人はバディが一緒に訓練しないと意味がないような話し方をしていた気がする。 「基本は、問題ない。直桜と化野、藤埜と紗月、それに智颯と円は、惟神の中でも特別だ。三組は共に行わなければ意味がないが、それ以外は個々の対策を優先だ」  含みがある言い方だと思った。  律と修吾は現在、バディがいないから良いとしても、瑞悠と保輔は既にバディを組んでいる。 「智颯君と円くんも、やはり特別なのですね。椚木さんが眷族の含みを告げていたからでしょうか?」  椅子に腰かけながら、忍が頷いた。 「実は、その話をしに来た。花笑の種についてだ。堅持の許可を得るのに手間取って遅くなった。本当はもっと早くに話してやりたかったが、花笑は草の特性上、一族を守るために秘密主義だ。今の世には理解し難い決まり事も多いが、わかってやってくれ」  直桜にとっては草の決まり事は理解に苦しむものばかりだ。だが、忍が言うように、一族を守るため古来より続く方法であるのなら、納得せざるを得ない。時代錯誤な部分も多分にあると感じるが、今は口を噤んだ。 「花笑の種? 円くんの中に眠っている能力の話、ですか?」 「ああ。保輔の口吸いの才出しのお陰で、その種を円が持っていると知れた。堅持が五人の兄妹の内、誰かが持っているだろうとは話していたんだがな。道理で開花が遅いわけだ」  嘆くでも憐れむでもなく、忍が淡々とコーヒーを含む。  堅持とは花笑家宗主であり、諜報・隠密担当の統括で、円の父親だ。班長副班長不在時は代行を任せるくらい忍が信頼を寄せる13課の古株でもある。 「それって、花笑の一族に受け継がれている力なの? 全員じゃなくてランダムで誰かが才能を開花させるってこと?」  忍の今の言い方だと、特定の誰かが引き継ぐ特異な能力のように聞こえる。 「隔世遺伝だから、そうなるな。基本的には一代おき、長いと何代もいない場合もある。種を持つ者が現れたのは、昨今は久しいな。俺が知る限り、円の先代は戦前だ」  つまりは戦前から花笑家は特殊係に所属していたのだろう。  戦後に一度、特殊係が全滅した時も、生き残ったということだ。 「種を持つ子が生まれれば、父親か母親が気が付くようだが、気付くタイミングは生まれた時とは限らんらしい。堅持も華も最近だと話していた」  忍が直桜に目を向けた。 「孵化を感じたのは今年の春頃と話していたから、智颯が呪法解析室に助っ人に入った頃だ。惟神の神力が影響を与えた可能性は高い。力の高揚を感じ始めたのは、ここ最近だそうだ」  直桜は護と目を見合わせた。 「それって、保輔が13課に来たから、更に力が高まったってこと?」  才出しができる伊吹山の鬼が近くにいるだけで、影響にはなりそうだ。円と保輔は直桜の目から見ても相性が良さそうに映る。何より、円の中に眠っていた力は妖気を帯びていた。妖怪である鬼とは、きっと相性が良い。  忍が難しい顔で頷いた。 「問題は、それだけきっかけがあったにも関わらず開花しなかった原因だ」 「円くんが草の力を嫌っているからでしょうか」  護が心配そうな顔で呟いた。  引きこもる前から円を知っている護には、きっと直桜にはわからない心配事があるのだろう。 「それも無いとは言わんが。本人の意志とは無関係の何かが遮っている可能性を考えている。マヤの予言なら外れはせんだろうが、一筋縄ではいかんだろう」  円の話も然ることながら、忍のマヤに対する信頼の大きさに驚いた。 「マヤさんのアレって、予言なんだね。書庫の能力も魔法みたいだったし、俺が言うのもなんだけど、浮世離れした人だったよね」 「オカルト担当は、警視庁が一般の事件か怪異絡みか判別がつかない場合に立ち会う窓口だと記憶していましたが、そういう場所には思えませんでしたね」 「え? オカルト担当って、そういう部署なの? 書庫じゃないの?」    驚く直桜に、忍が平然と頷いた。  護の今の説明で、オカルト担当の仕事の内容を直桜は初めて知った。  あのマヤが一般人と真面に会話している姿など、想像もつかない。 「実際の仕事は化野が言った通りで、怪異の書庫はあくまでマヤの趣味だ。集めた命脈に繋がる未来が視えるのもマヤの霊能だ。今回はマヤの方からお前たち五人を指名して書庫に呼んだ。余程の事態だ」  忍の言葉と表情に、直桜は息を飲んだ。  円の能力の開花はそれだけ切羽詰まっているのかもしれない。円の能力開化がなければ最悪の未来は変えられないのかもしれない。

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