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第23話 猫さんの名前

 持って来た食材で食事を作り夕食を済ませた後、保輔と円は二人で温泉に浸りに行った。  来た時より距離が縮まった感じがして、直桜はひそかに胸を撫でおろしていた。  直日神から円の種の記憶の話を聞いた。  記憶を共有できたのも、円が契りを解き、鬼力を得られた事実も、良い方向に繋がったのだろうと思う。  喧嘩していたという喜多野坊と気吹戸主神もすっかり蟠《わだかま》りが解けたようだ。直日神と気吹戸主神と喜多野坊は酒盛りを始めている。  その場にはいるものの、酒を飲まない那智が気になった。 「那智もお酒飲んで大丈夫だよ」  こそっと声を掛けると、 「此度は忍様の命による同行故、仕事中にござりますれば」  何とも予想通りの答えが返ってきた。  気吹戸主神と喜多野坊は喧嘩していたのが嘘のように肩を組んで盛り上がっている。そんな姿を横目に呑めないのも辛いだろうと思う。 「気にしなくていいよ。目的の内、一つは達成できたんだから、祝杯ってことで」  直桜の反対側から、直日神が那智に杯を手渡した。 「吾から渡されたのでは、受け取らぬわけにもゆくまい」  眉を下げて笑った那智が、直日神の杯を受け取った。 「気を遣わせてしまいましたな。なれば少しだけ、いただきまする」  直日神と酒を飲み始めた那智を眺めながら、直桜は布団に入った。 「明日、なるべく早くに人狼の里に行こう。喜多野坊さんのナビがあれば、俺たちだけで行くより入りやすいよね」 「喜多野坊さんと、それに円がいれば、招き入れてもらえると思います。きっと円を待っているはずだから」  智颯が、嬉しそうに笑んだ。 「自力で契りを破るなんて、やっぱり円は凄い。僕も頑張らなくちゃ」  ぐっと両手を握って智颯が決意を新たにしている。  何となく、その頭を撫でた。  智颯が照れた顔で直桜を振り返った。 「……護さんは、何をしているんですか?」  直桜を挟んで反対側の隣の布団に入っている護に智颯が問う。  護は布団にうつ伏せになって、掌から血魔術の炎を出す練習をしていた。 「円くんのように力を混ぜる練習をしているのですが、なかなか上手くいきませんね」  眉を下げて護が笑う。  もう一度、手を広げて炎を出す。 「まだ黒いな」  護の炎を眺めて、直日神がポソリと零した。  護が直日神を見上げた。 「穢れを多く含む炎は黒い。神力が増えれば色が変わる。護が目指すべきは朱、もっと言えば朱華(はねず)が望ましい」  直日神がいつになく具体的なアドバイスをしている。  今の護の炎は赤黒い。朱には遠い色だ。 「朱華か。淡い朱色だね。神力が多く混ざるから?」  朱は古来より魔を避ける色、弾く色だ。  惟神の神力は金色が多い。直桜の神力も金色だ。  神力に、更に己の霊力と妖力が混ざるから、個々人で色が違うのだろう。 「円の鬼力の色は、僕が渡した出雲の勾玉と同じ色でした。そういうのも関係あるんでしょうか?」  智颯の疑問に直日神が頷いた。 「折伏の種が目を覚ました時、智颯の神力が混ざった。二人の色が、円の鬼力の色だ。眷族となれば、円の鬼力はさらに落ち着き、増すだろう」 「だとしたら、俺たちの色は紅だよ」  指輪も勾玉も濃い赤色をしている。 「濃い紅か。逸脱の色、異端の色じゃのぅ。鬼神と直日神の惟神には似合いだが、鬼神の鬼力というなら、朱が望ましかろうなぁ」  喜多野坊が納得したように言った。 「なに、護ならばすぐに体得できよう。焦りは禁物ぞ。円に先を越されたからとて落ち込むな。眷族契約すれば、円はもっと強くなってしまうがの」  気吹戸主神が嬉しそうに話す。  吹っ切れた気吹戸主神は上機嫌だ。喜多野坊とも仲直りできたから、余計に酒が進むのだろう。 「朱華ですね。神力を多くするように意識して」  護が、また手から炎を出す。  やはりまだ赤黒い。朱色には程遠い色だ。 「難しいですね。何が足りないんでしょう。……むぐ」  頭の上に猫が落ちてきて、護が枕に顔を埋めて突っ伏した。 「な~ぉ、な?」  ぬいぐるみの猫が護の顔を覗き込む。 「慰めてくれているのでしょか。猫さんは優しいですね」  頭の上の猫を掴まえて、脇に手を入れる。あおむけの状態で、猫が護に腕を伸ばした。 「名前、付けないんですか?」  智颯が何気なく聞いた質問に、直桜と護が同時に振り返った。 「名前……、か」 「そういえば、考えていませんでしたね」  目から鱗が落ちたような顔をする護を眺めて、智颯が苦笑した。 「猫さんが名前なのかと思っていたんですが、そうでもないのかなって思って。猫さんでも良いとは思いますけど」  護が猫さんと呼ぶので、直桜も何となくそれで済ませていたが。考えれば護は世の中の猫を総て「猫さん」と呼ぶ。紗月の飼い猫も猫さんと呼んでいた。 「名を与えるのは、良いな。自我を得るに近付く。護の成長にも役立つであろうよ」  直日神にも勧められて、護が本気で名前を考え始めた。 「猫、ネコ……、ね、こ……」 「護、一回猫から離れよう。猫を意識しすぎる必要ないから」  護の眉間の皺がどんどん険しくなっていくので、直桜は慌てて思考にストップをかけた。  護がまた枕に顔を埋めて突っ伏した。沈黙した護が、がばっと顔を上げた。 「朱華(はねず)って、朱色の朱に華と書きますよね。読みを変えて朱華(しゅか)はどうでしょうか? 私の鬼力の目標でもありますし、気持ちが入ります」    直桜と智颯を振り返った護の顔が見る間に赤く染まった。 「可愛すぎますかね……」  恥ずかしそうに顔が枕に沈んでいく。 「良いと思います! 可愛いけど、良いと思います!」 「俺の感情が乗ってると思うとちょっと恥ずかしいけど、名前としては可愛くていいと思うよ」  智颯と直桜の必死のフォローにも、護の顔は沈んだままだ。 「直桜の名前の一文字を取って桜もいいなと思ったんですが、桜さんとお呼びすると、別な方を連想してしまうので」 「あぁ、そうだね……」  桜谷陽人を、紗月や優士は「桜ちゃん」と呼ぶ。直桜や護は呼ばないが、どうしても陽人の顔が浮かぶ。  猫が陽人の顔に見えてきたりしたら、やりずらい。  隣にいる智颯も微妙な顔をしていた。 「護さんに馴染んで呼びやすい名前が良いんじゃないでしょうか。僕は朱華ってお洒落で可愛いと思います」  智颯の言葉に、護が照れたように顔を上げた。 「智颯君にそう呼んでもらえると、嬉しいですね。さっきも、名前で呼んでくれたでしょう?」  今度は智颯が顔を赤くした。  自然すぎてスルーしてしまったが、そういえばさっきも智颯が護を下の名前で呼んでいた。 「すみません、あまり意識していませんでした」  自分でも驚いた顔をして智颯が狼狽している。 「やはり名前って、呼んでもらえると嬉しいものですね。直桜、猫さんの名前、朱華でも良いですか?」  護が本当に嬉しそうに笑うので、直桜も嬉しくなった。 「俺も良い名前だと思うし、護が気に入ったのなら異論はないよ。朱華って馴染むよね。ぬいぐるみの毛糸の色も何となく近いし、ちょうど良いね」  枉津日神が依代にしていた犬も護の猫もあみぐるみ仕様だ。犬はグレーっぽい色をしていたが、猫は珊瑚のような、落ち着いたサーモンピンクだ。きっと穂香の趣味なのだろうと思う。 「改めて、よろしくお願いしますね、朱華さん」  護が猫の頭を撫でる。 「な~ぉ、にゅぅ」  ゴロゴロと喉を鳴らして、朱華が護の枕の上で丸くなった。 「出張だけど、旅行みたいで楽しいですね。こんな風に大勢で遠くに来るのは初めてなので、嬉しいです。仕事なのに、こんな風に思ってはいけませんね」  猫を撫でながらうつらうつらとしていた護が、話しながら目を閉じた。そのまま眠ってしまったらしい。  そっと布団をかけて、直桜も布団に入った。 「智颯と護が仲良くなってくれて、嬉しいよ。集落にいた頃より、智颯は強くて優しくなったね」  振り向くと、智颯が目を見開いて直桜を見詰めていた。 「智颯の気持ちにも流離の気持ちにも俺はあの頃、気が付いてなくて。だけど、円くんと一緒にいる今の智颯の方が、ずっと生き生きして見えるよ。言訳に聞こえるかもしれないけど」  智颯が直桜から目を逸らした。 「僕も、同じです。集落にいた頃の直桜様より、護さんと一緒にいる直桜様を見ている方が安心する。だから13課に入って、集落の外に出て、僕らは良かったんだと思います」  ニコリと笑んで、直桜は手を出した。 「久し振りに、手を繋いで寝る? それとも円くんを待つ?」  智颯が戸惑いながら、直桜の手を握った。 「直桜様と手を握って眠るのは久し振りで懐かしいです。僕にとって直桜様は、いつまでも大事な兄様に変わりないですから」  集落では惟神が特別扱いで、親元からも早くに引き離された。両親が早くに他界している直桜や律と違い、智颯と瑞悠の両親は健在だ。  特に三歳で神降ろしに成功している智颯と瑞悠は、物心つく前から親と離され寂しい思いをしてきた。  だから眠る時は決まって律か直桜と一緒で、必ず手を繋いで眠っていた。 「俺にとっても智颯と瑞悠は可愛い弟と妹だよ。勿論、流離もね」 「流離の気持ち、一番わかってやれるのは僕です。直桜様と同じ気持ちでいられるのも僕だと思う。だから、安心、して、ください。僕は、いつでも、直桜様の、味方……」  直桜の手を握ったまま、智颯が寝息を立て始めた。 「ありがとう。おやすみ、智颯」  智颯の柔らかい髪を控えめに撫でる。  集落にいた頃とは別人のように成長した弟分に嬉しさと、一抹の寂しさを感じながら、直桜も目を閉じた。

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