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第24話 人狼の里の入り口

 朝になり目を覚ますと、円が智颯を抱えて寝ていた。抱えるいうと語弊があるかもしれない。押さえ付けるように雁字搦めにしていた、が正しい表現だ。  歯磨きをしながら、それとなく聞いてみた。  案の定、円は智颯の睡眠時キス魔の悪癖を知っていた。 「前は小鳥みたいなキスしかしなかったのに、最近はちょっとエッチなキスをするようになっちゃったので。他の人にもしたら大変だから」  円がとても小さな声で流暢に、そう説明をくれた。  エッチなキスとやらをする相手はきっと円だけだろうし、何なら教えたのは円だろうなと思った。  智颯の癖については直桜と円だけの秘密ということにして、その話題はその場で終わった。  今日も悪天候だった。窓の外は猛吹雪だ。もしかすると、昨日より吹雪いているかもしれない。 「この吹雪って、俺たちを人狼の里に近付かせないための妨害かな?」  昨日の吹雪も今日も、微量の妖力が混じっている。昨日は到着したばかりで状況が把握できていなかったから判断が難しかったが。  喜多野坊からある程度の事情を聞くと、他者を寄せ付けない妨害行為に感じる。 「それもあるやも、わからぬなぁ。天狗が出向くようになってから吹雪が収まらぬ。斯様に気候を操れる輩がおるのじゃろうて」  喜多野坊が平然と答えた。  自然現象を操れる妖怪は長生きだし強い者が多い。  昨日、夜遅くまで酒を交わしていた喜多野坊は、一度は山に帰ったらしい。朝になって直桜たちを南月山に送るため来てくれたわけだが、その表情はあまり芳しいものではなかった。 「穢れた神力を使ってるかもって考えると、人間の術者がいるのかもしれないけど」 「穢れた神力を使う集団に妖怪が加担していると考えた方が妥当かもしれませんね」  直桜に続けた護の言葉に、全員が納得の顔をした。 「妖怪って、個々の繋がりは薄いのやろ? 人間と違ぅて徒党を組まんいうんか。せやから伊吹山の鬼は珍しがられたんよな」  保輔の疑問に那智が考え込んだ。 「種族であっても群れる者とそうでない者が居りまするが、圧倒的に後者が多いでしょう。思考が人に近付くほど群れる傾向が強く、人に寄る者も多いかと存じまする」 「思考が人に寄る、っていうのは、人の血が混じるか、妖力が高いか、だね」  円の判断は正しい。  それだけ強い妖怪が天磐舟に組しているか、別の理由で穢れた神力を使っている可能性がある。 「だとしたら行くしかないですよね。待っていても、きっとこの吹雪はやみません。それに、それだけ人狼が助けを求めている証拠でもあります」  智颯の決意した顔を見て、喜多野坊が嬉しそうに抱き付いた。 「智颯がそういうなら、連れて行こうかの! 智颯は儂が守ってやるから案ずるなぁ」  まるでデレた爺さんが孫を可愛がっている姿だなと思った。 「ありがとう、ございましゅ……」  強く抱き締められすぎて、智颯の語尾が変になっている。 「円くんの折伏術がなくても智颯の誑しがあれば仲間が増えそうだね」  思わず零した直桜の言葉に、円が危機感を顕わにした。  智颯の背から顕現した気吹戸主神が喜多野坊の顔を思いっきり押し退けた。 「汚い手で智颯に触れるな。智颯に抱き付いて良いのは円だけじゃ!」 「汚くなどないわ! 抱き付かれとぅなかったら、しっかと守っておくんじゃな!」  しれっとした顔で喜多野坊が気吹戸主神と円をチラ見した。  挑戦的な視線に、円が智颯の腕を引っ張って後ろから羽交い絞めにする勢いで抱き締めた。 「人間のガキに喧嘩売るなや。爺さん、長生きの天狗ちゃうの?」  呆れた保輔に苦言を投げられて、喜多野坊が豪快に笑った。 「まぁ、なんじゃ。智颯の言う通りじゃ。迷っておっても時が過ぎるだけよ。行くなら行ってしまおうかの!」  結局は喜多野坊の一言で、南月山への強行が決まった。  南月山は宿から北西の方角に位置する茶臼岳の隣の小さな山だ。 「山の中腹に人狼の里に入る結界の入り口がある。入ってしまえば気候は問題なかろう。中は別の空間になっておる」 「四季が住んでた淫鬼邑みたいな感じかな」  那智と喜多野坊が頷いた。 「感覚としては同じでしょうな。亜空間に邑を作り住む妖怪は多く居りまする。淫鬼のように人から身を潜めたい妖怪は尚でござりまする」  那智が喜多野坊を振り返った。 「入り口がわかるなら、放り込むか」 「それが良かろうなぁ。この悪天候、登山したら智颯が死んでしまうわ」  円に後ろから抱きかかえられている智颯の頭を喜多野坊が撫でる。  どうやら余程に気に入ったらしい。  ひぃ、ふぅみぃ……と数を数えると、喜多野坊が丸い結界を展開した。 「なれば、儂が放り込んでやるから、前鬼坊は中で受け止めよ」 「相わかった」  部屋を埋め尽くすほどに大きく膨れ上がった球体の結界に那智が飛び込む。 「さぁ、皆様、お入りくださいませ」  那智が直桜の腕を引く。  体がするりと中に吸い込まれた。続いて護が、保輔と飛び込んだ。  円が智颯の腕を引く。 「向こうで、智颯君の神力も解放しよう。出来たら俺を、智颯君の眷族に、してね」  円の表情は直桜の位置からは見えない。  しかし声は、いつもの円らしくないほど、強く意志が籠って聞こえた。 「僕が円に見合う強さを得られたら、僕の方からお願いする」  円の手を握って、智颯が結界に飛び込む。 「儂もすぐに追いかける故、先に行っておれ! 儂が行くまで無理してはならぬぞ!」  全員が入った結界を、喜多野坊の太い腕が持ち挙げる。  大きく振りかぶって思い切り投げた。 「え? ええっ!」  球体が宿の部屋をすり抜けて、凄まじいスピードで飛んだ。  山の側面にぶち当たった瞬間に、空間が歪んだ。   (この感じ、七里の辻の、淫鬼邑の入り口と同じだ)  景色が、ぐにゃりと歪んで入り口が開く。 「くくく……」  誰かの笑い声が聞こえた。 「天狗の爺さん、やってくれるなぁ。けど、そう簡単には攻略させてあげないよぉ」  甲高い声が響いて、球体が揺れる。  どう体を庇えばいいかわからずに、浮遊感に弄ばれる。 「直桜!」  護が手を伸ばしてくれているとわかるのに、握れない。  視界がはっきりしないまま、直桜たちは球体の結界ごと、あっさりと歪んだ入り口に飲み込まれた。

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