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第25話 風竜
結界が弾けて、体が放り出された。浮遊感の中で浮いていた体に急に重力が掛かる。重くなった体を何かが受け止めた。
目を開くと、那智が大きな雲で全員の体を受け止めてくれていた。
「御怪我などござりませぬか?」
那智に顔を覗き込まれて、直桜は自分の体を見回した。
「大丈夫、だと思う。それより、全員いる?」
周囲を見回す。那智の他には円と智颯が座り込んでいる。
「護殿と保輔殿とは着地の段階で逸れてしまったようでござりまする」
直桜は咄嗟に護の神紋に神力を流した。護の気の流れを感じる。
「とりあえず同じ空間にはいると思う。多分、無事なはずだ」
直桜は辺りを見回した。
周辺は鬱蒼と茂った山の中だ。吹雪いてはいないから南月山の亜空間には入れたんだろう。
「保輔も、一緒にいますか?」
心配そうに問う智颯に咄嗟に返事ができなかった。
神紋を通して護の気配は感じられても、保輔に関しては手掛かりがない。
「わからない。でも、この場所にいる可能性は高いと思う。二人を探しながら、人狼がいる場所に向かおう」
立ち上がった直桜の隣で、那智がしきりに周囲の気配を探っている。
「あの奇妙な声、皆にも聞こえた?」
円と智颯、那智が頷いた。
「人狼の里に無体を働く妖怪の声で間違いないでしょう。この気配にもあの声にも、多少覚えがありますれば。亜空間の山全体を覆う気配は奇妙でござりますがな」
那智が奇妙な気配と表現したのは、恐らく穢れた神力だ。
この場所に来てから肌で感じる、吐き気がするような瘴気混じりの神力だ。
智颯と円は、直桜と護の解析で穢れた神力を知っている。直桜と同じ不気味さを感じ取っているのだろう。
「穢れた神力を使っているのは間違いないと思いますが、那智さんが知っている気配は、妖怪ですか?」
智颯に向かい、那智が難しい顔をした。
「妖怪連、という組織が西方にはござりまする。人とつるむ妖怪の寄合のような連中です。特殊係なら怪異対策室の京都支部がよく鎮圧に向かっておりまする。時々には大峰山の天狗も助力するので、知っておるのです」
少し意外な話だった。
那智は先月の出雲で忍に再会するまで、13課とは関わりがなかったのかと思っていた。
「頭領は、出雲で会った白蛇の蓮華でござりまする」
那智が直桜に向かって告げた名は、意外でもなかった。西方では大物と那智は話していたし、何よりあの禍々しい妖気は尋常じゃない。那智があれ程に警戒した意味が今更分かった。
「妖怪連には蓮華が信を置く五人の妖怪がおり、有象無象を束ねておりまする。便宜上、我々は奴らを五妖と呼びまする。その中の誰かが来ておるものと存じます」
誰か、と那智は言ったが、誰なのか気が付いているように見えた。
直桜は集中して気を尖らせた。周囲の気配を注意深く探る。
「この近くにはいなそうだね。神力を広範囲に展開すれば、もっと気配を探れるけど、同時に浄化しちゃうから相手にも気取られちゃう。それは、まずいかな?」
「広範囲とは、どの程度で?」
「この山全体なら余裕で」
那智の問いに当然のように答える。
那智が息を飲んで考え込んだ。
「我等の侵入には、相手方も勘付いておりますからな。推測ではありまするが、護殿と保輔殿が逸れたのも、或いは偶然ではないと考えまする。神力の展開は、かえって効果的であると存じまする」
「やっぱり那智も、そう思うよね」
那智と直桜のやり取りに、智颯と円が顔を引き攣らせた。
「保輔と、化野さんは、意図的に、妖怪に連れていかれたって、ことですか?」
「来ておるのが妖怪連であれば、可能性は高いかと。妖怪連の中には鬼ノ城の鬼も参しておりまする。鬼を欲しがるのは自然かと考えまする」
那智の返答に、円が顔を蒼くする。
「穢れた神力は精神操作が可能だから、上手くすれば護と保輔を連れて帰れるね。目的を切り替えたのかな」
妖怪連の妖怪が目的にしていたのは、あくまで人狼だったのだろう。13課の介入を最初から掴んでいたとは考えにくい。更に言うなら、直桜たち惟神や護たち鬼が来ることを掴んでいたとは思えない。この状況は、あくまで偶然の産物に過ぎない。
直桜の質問に那智が首を振った。
「吹雪の様子からして、人狼を手懐け終えたとは考え難い。ただ、諦めたとも思えませぬ。突然に降ってきた偶然の幸運を掴まえた、程度の話でしょう」
「つまり両方、持って帰る気でいるワケだね」
「恐らくは、そうではないかと」
現世の吹雪は明らかに他者の侵入を拒んでいた。目的を終えたのなら、あの吹雪は必要なかったはずだ。
奇妙な声は「簡単に攻略させない」と断言した。
罠が存在すると考えて間違いない。
こういう時の那智のはっきりした物言いは、かえって思考をすっきり整理できて助かる。
「状況は大体、把握できたね。この山、いや、亜空間全体を浄化しよう。神力を展開して人狼と護たちの場所を把握する。把握出来たら、その後は時間の勝負だ。智颯と円くんは那智と人狼の元へ。俺は護たちの所に向かう。って感じで、どう?」
三人が三様に異論の表情をしている。解せない。
那智が、ずずいと前に出た。
「直桜様をお一人にはできませぬ。私が共に参りましょう」
「でも、人狼の方にも妖怪がいるはずだから、智颯と円くんだけじゃ厳しいよ。そのうち喜多野坊さんが来てくれるはずだから、合流したら那智が俺を追いかけてよ」
那智が頷かない。やっぱり解せない。
「直桜様に何かあったら、僕は13課に戻れません。祓戸四神は大神を守るために存在するんですよ。僕が守られていたら、意味がありません」
譲れないとばかりに智颯が直桜の手を握った。力が強くて驚いた。
「喜多野坊さんの合流を見越して、俺と智颯君だけで人狼の方に行かせてくれませんか? 直桜様は那智さんと一緒に化野さんと保輔を探してください」
円が大変流暢に一番真面な妥協案を提案した。既に草モードなのだろうか。
「皆、俺を心配しすぎ。俺、そんなに弱くないつもりだけど」
直桜とて、多少の勝算がなければこんな提案はしないのだが。
(もし俺の予想通りなら、護はきっと大丈夫だ。むしろ保輔が心配だし、人狼の方が大掛かりだと思うんだよな)
とはいえ、根拠のない推論でしかないので、今はまだ直桜の考えを皆に話すわけにもいかない。混乱させるのは避けたい。
「わかった。じゃぁ、那智は俺と来て。智颯と円くんは無理しないこと。喜多野坊さんが来るのを、ちゃんと待つんだよ」
皆が頷いたのを見て、直桜は両掌の上に神力を展開した。
金色の風船が少しずつ大きくなる。人一人が余裕で入れる程度の神力の風船が二つ、宙に浮かび上がった。
「智颯の風で上空まで舞い上がらせて」
「わかりました」
智颯が二本の鉄扇を開き、構えた。
下から上へと空気を捲るようにして風を起こし、風船へとぶつける。
金色の風船が空高くに舞い上がった。
「円くん、弓、使ってみようか。あの風船二つを円くんの弓で射抜いて。矢に鬼力をしっかり籠めてね」
「俺、ですか? わかりました……」
戸惑いながらも、円が弓矢を霊現化する。秘色の美しい弓を構えた。
鏃の部分に円が鬼力を籠める。秘色が熱を増して炎のように蠢いた。
弦を引き絞り狙いを定めると、打ち放った。
矢が途中で二本に分かれ、二つの風船を追いかけて、割り射抜く。鬼力が直桜の神力に溶けた。
「良い法ですな。円殿の鬼力に人狼が気が付くやもしれませぬ」
那智が感心した声をあげる。
「円、格好良い……」
自分の矢を呆然と眺める円に、智颯が呟いた。
円に見惚れている智颯に、直桜は声を掛けた。
「感動している場合じゃないよ。次はまた智颯の番。弾けた神力を智颯の風で亜空間全体に流すんだ。智颯なら、どんなふうにする?」
突然にまた出番が回ってきて、智颯が慌てる。頭を抱えて考えていたが、何か思いついたように顔を上げた。
「竜、そうだ。雲の浄化の時の紗月さんみたいな、竜巻の竜。気吹戸、力を貸して!」
鉄扇を持った腕を交差して、智颯が構える。
気吹戸主神が智颯の背に顕現した。
「待っておったぞ、智颯。今がその時じゃな」
気吹戸主神を見上げて、智颯が頷いた。
智颯の肩に置いた気吹戸主神の手が金色に輝いた。
「存分に使え! この山総てが吹っ飛ぶほどにのぅ!」
「わかった!」
大きく振りかぶった鉄扇を何度も旋回して風を作る。風の渦が徐々に大きくなって、二匹の竜になった。
鉄扇を通して智颯が神力を流し込む。さらに大きさを増しながら、竜が空へと昇って行った。
上空に流れる直桜の神力を飲み込むと、左右に弾けた。弾けた竜が風になって空の上を吹き流れる。
直桜と智颯の神力が混ざり合って、空から空間全体に広がっていった。
「うん、いいね。風竜、格好良いね。神力の量も俺に負けないくらい多かった」
呆然と空を見上げていた智颯の目が、直桜に向いた。
「イメージした通りに神力が使えたのは、初めてです。こんなに多くの神力を使ったのも、ちゃんと自分の意志で、扱えたのも、全部、初めてです」
「智颯君、格好良い! すごく、凄い!」
円が自分事のように嬉しそうに智颯の手を握った。
「出来たよ、円。僕、できた」
「うん、できたね。智颯君なら、きっとできるって信じてた」
智颯の肩から、神力が流れ昇っている。
「ちゃんと全部、解放してあげた?」
直桜の問いかけに気吹戸主神が気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「もう出し惜しみする理由がないでの。しかし直桜は、智颯の使い方が巧いなぁ」
「もっと言い方、考えてよ」
「良いきっかけを貰ったわ。さすが、直日神の惟神。儂らの頂点じゃ」
直桜と気吹戸主神は笑みを交わして、拳を合わせた。
「……人狼と護たちの場所、案外近いね。人狼の気配が多くて、わかりずらいけど瘴気交じりの妖怪が二匹、人が一人、かな」
神力の満たされた空間の気配を探る。
直桜と智颯の神力が浸透したせいで穢れた神力の気配や妖力が薄れた。
「浄化しきらない程度に神気を薄くしたつもりだったけど、ダメだったか」
直桜の呟きに智颯が顔を蒼くした。
「何も考えずに神力使っちゃいました。ごめんなさい……」
「智颯はそれでいいよ。風を使うのにも神力使うし、まだコントルールとか難しいだろ。そういうのは、今後の課題ね」
智颯の頭を撫でて、直桜は向かう先を見詰めた。
「じゃ、打ち合わせ通りに。お互いに命優先で、無理しないようにね」
直桜の声をきっかけに、四人は走り出した。
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