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第27話 人狼の南月

 浄化の雨が降り注ぐ中を、智颯と円は走っていた。金色の神力が穢れや邪魅を浄化する。その中でも、より闇が濃い方へ、穢れが濃い方へと走る。   「円、あれ!」  智颯が走る先を指さした。  目の前に狼が倒れている。  立ち止まり、そっと触れると、温かかった。 「気を失ってるだけ、みたいだ」 「穢れの残滓を感じる。きっと穢れた神力に犯されていた狼たちなんだ。さっきの雨で浄化されて、意識を失ってるんだ」  智颯が狼の首元に手を添えて神力を送り込む。狼の体がピクリと動いた。  萎えていた妖力が徐々に力を戻すのが感じられた。 「向こうにも、その先にも!」  智颯が指さした方には、何匹もの狼が意識を失って倒れていた。  狼たちが倒れる先に、黒い穢れが煙のように立ち上っている。  先ほどの広範囲の浄化では浄化しきれなかった穢れだろう。 「こっちで、間違いなさそう、だね」 「うん。この先に、円の御先祖様の友達がいるんだ」  智颯と円は顔を見合わせて立ち上がった。  鉄扇を開くと、智颯が大きく振り上げた。神力の乗った風が駆け抜けて、倒れている狼たちが生気を戻していく。 「凄いね、智颯君……」  今までの智颯からは想像もできないような強い神力に、円は舌を巻いた。 「これくらいできなきゃ、円を眷族になんか、できないだろ」  振り返った智颯の顔に迷いはない。穏やかな自信が溢れて見えた。 「全部、ちゃんと終わったら、ここに神紋、頂戴ね」  智颯の手を取って、自分の腹にあてる。  ちょっと照れた顔で、智颯が円を見上げた。 「こういう時の円は、雄みが強くて、なんか、狡い」  そう呟く智颯はいつもの可愛い顔で、円の方がギャップにやられる。 「とにかく今は、進もう。人狼を助けるのが先だ」  率先して走り出した智颯の紅い耳を眺めて、円は満足した気持ちでその後を追いかけた。  円たちが着地した亜空間の山の中は、山頂付近であったらしい。  穢れの煙が立ち上る場所は山の頂だった。  真昼に白く浮かび上がった月を背に、一人の女性が座り込んでいる。  その女性に黒い液体を与える妖怪がいた。  どろりと粘り気がある黒い液体を、女性の口に垂れ流している。女性は、さも美味そうにその液体を口を開けて受け、喉を鳴らして飲み込む。  黒い煙は女性の頭から立ち昇っていた。 「まるで、解析の時に見た直桜様と一護みたいだ」  智颯の言葉には嫌悪の色が浮かんでいた。  あの黒い液体が穢れた神力であるのは間違いない。 「でも、あの穢れた神力は、妖怪の手から出てるわけじゃ、なさそうだね」  猫が擬人化したような風体の妖怪が手にしているのは、黒い玉だ。それを潰して中の黒い液体を与えているように見える。  智颯が鉄扇を構えた。 「浄化しよう。円の鏃に僕の神力を灯す。その矢であの女性を射抜いて」 「わかった」  円は弓を霊現化した。 「浄化すれば妖怪が動く。一気に取り押さえよう」  頷いて、円は弦を引いた。  矢の先に智颯が神力を灯す。秘色の炎が大きく揺れた。  座り込んで穢れた神力を飲む女性に向かい、一気に放つ。  矢を放った瞬間に、円と智颯は地面を蹴った。 「にゃにゃっ! ちょっとちょっとぉ、食事中ににゃにさぁ」  飛び込んだ円が妖怪に向かい、小太刀を抜いた。  自分の爪で刀を弾くと、妖怪が後ろに引いた。 「ぁっ」  後ろで小さな叫び声がして、振り向いた。座り込んでいた女性の中の穢れが浄化されていく。よく見ると下半身は狼だ。  正面から顔を見て、円の動きが止まった。 「南月……」  知らないはずの名前が口から勝手に零れ出た。同時に、涙がとめどなく溢れた。  南月の後ろに回り込んだ智颯が背中に手をあてて神力を送り込んで、浄化してくれている。  南月の虚ろな目が円に向いた。 「正、様……、やっと、迎えに来てくれた。やっと、会えましたね」  南月が嬉しそうに笑んだ。 「円、後ろ!」  智颯が鉄扇を振って風の輪を飛ばした。  円のすぐ脇をすり抜けて、後ろに飛んで行った風の輪が猫の妖怪の耳を掠めた。 「ぎゃー! トレードマークの耳がぁ。どうしてくれるのさ。もうちょっとで陥落だった人狼の群れまで浄化しちゃってさぁ。迷惑ったらないよ」  円は涙を拭き、振り返って猫の妖怪に向き合った。 「友達は、返してもらうよ」  小太刀に加え、脇差を抜き放つ。二本の刀を逆手に構えて、智颯と南月を庇うように前に出た。 「へぇ、友達なんだぁ。てことは、アンタが花笑の種の持ち主かぁ。しっかり開花してる感じだねぇ」  猫の妖怪がニタリと笑んだ。 「目的達成確認できたしぃ、別にいいよ。ストックの黒玉もなくなっちゃったしぃ。これ以上、穢れた神力を使っても、どうせその惟神が浄化しちゃうでしょ。もっと良いモノ手に入ったから、それは返してあげるぅ」  猫の妖怪が、後ろに引いた。 「もっと、いいモノ? まさか、化野さんと保輔、か」 「神殺しの鬼、欲しかったんだよねぇ。取りに行くつもりだったから、持ってきてくれて嬉しいよ。人狼より、よっぽど価値があるからさぁ。お礼に人狼は返してあげるよ。じゃね~」  素早く飛び跳ねて、猫の妖怪が木々の闇に紛れ込んだ。 「待て! 化野さんと保輔を返せ!」 「円、人狼が!」  追いかけようとした円を智颯が引き留めた。  振り返ると、智颯の膝の上で人狼がぐったりと目を閉じている。 「南月! しっかりして!」  駆け寄って手を握る。手が冷たくて、脈打ちが酷く弱い。 「穢れた神力を流し込まれ続けて、抗っていたんだ。霊元がかなり疲弊してる。神力を送り込んでるけど、回復には時間が掛かると思う」  智颯の表情が逼迫した状況を語っている。  南月が細く目を開いて、円に手を伸ばした。その手を強く握りしめた。 「ごめん、俺は正さんじゃ、ないんだ。正さんはもう何十年も前に亡くなってて、俺はその子孫で……。迎えに来るのが、遅くなって、ごめん」  静かに円の言葉を聞いていた南月が、弱く笑んだ。 「人の命は、儚い。調様と共に旅をして、武蔵に住み着いて、調様の子孫と共に歩んで、正様と別れて、この地に来た。主のいない日々は、寂しゅうございました」  握った手を南月が力なく握り返した。 「正様は、幸せになれましたか?」  南月の問いには、円も智颯も答えられない。  智颯の背中から顕現した気吹戸主神が、悲しい目を向けた。 「正は、幸せにはなれなんだ。南月と離れ、種を封じた正の力では、惟神の相棒は務まらなんだ。惟神が先に死んだ。隼人は正を幸せにできぬまま、この世を去った」  後悔が滲んだ声が、空気を小さく揺らす。 「正は南月を御山に置いて行った自分の行動を悔やんでおった。しかし、迎えにも来れなんだ。隼人の死後すぐに、正も死んでしまったのだ」  種の中の記憶が円の中に蘇る。  その時の情景も、正の心境も、気吹戸主神が語ってくれた話を裏付けるように流れ込んでくる。 「儂が、折伏を嫌った。隼人も同じじゃった。だがあの時、少しだけでも考え方を、見方を変えて、花笑の種は折伏ではなく友の契りだと隼人に伝えておったなら、こうはならんかった。すまなんだ、南月」  気吹戸主神が南月に寄り、手を握る。  金色の神力が溢れて、南月に流れ込んだ。 「温かい……。斯様に温かな神力を持つ神を、どうして責められましょうや。正様のことは、悲しい。けれど、それも人の持つ理なのでしょう。最期に花笑の主様にお会いできた奇跡に感謝いたしましょう」  南月の腕が円に伸びた。  自分に向かい伸びた手をじっと見つめる。  弱々しく真っ白な手が、力なく円を求める。 「奇跡じゃ、ないよ」  その手を取らずに、円は力を籠めて、放った。 「奇跡なんかじゃない。会うために来たんだ。迎えに来たんだ。だから、最期じゃない。南月はこれから俺とまた、生きるんだよ」  空を彷徨っていた手を握る。 「死んじゃダメだ」  円の手から鬼力が溢れる。秘色をした鬼力が、智颯の神力と混ざって南月の中に流れ込んだ。  気吹戸主神の手からも直接、神力が流し込まれた。  体の中に溜まりに溜まった穢れが見る見る浄化されていく。  南月の顔に朱がさして、血色が戻った。  力のなかった手が、円の手を強く握り返した。 「神様と主様に、これほど生きろと後押しされては、死ねませぬ」  気吹戸主神の手を借りて起き上がった南月が円に腕を伸ばし、抱いた。 「南月は果報者にございます。花笑は南月の永遠の主様にございます」 「うん、これからは、一緒に俺の主様を守っていこう」  円の中の種が熱を増す。  伊吹山の弥三郎から譲り受けた種が、再び戻ってきた人狼を喜んでいるようだった。

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