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第28話 阿久良王
那智に抱えられて上空を飛んでいた直桜は、山頂近くに小さな山小屋を見付けた。中からは、かなり強い鬼の気配を感じる。
(こんな気配、さっきまでなかった。いや、力を抑えていたのか)
那智の顔色も悪い。
「ごめん、那智。俺の読みが外れた。こっちの方が大変みたい」
「いえ、私も感じ取れなんだ気配です。申し訳ござりませぬ。恐らくは阿久良王、鬼ノ城に組する純血の鬼かと存じまする」
山小屋の中からは禍々しい妖気を感じる。
何百人と人を喰った濃い瘴気の匂いだ。
「阿久良王か、直桜と会わせたくなかった鬼の内の一人だな」
直桜の中から直日神の声だけが響いた。
同時に、護の声が聞こえた。
「鬼の本能を、目覚めさせるつもりみたいだ。鬼ノ城は天磐舟に味方してるのかな」
「取り返しに行くぞ、直桜。護を悪鬼に渡すわけにはゆかぬ」
いつになく力強い直日神の言葉だ。
直桜は迷いなく頷いた。
「那智、あの屋根、剥がせる? 小屋を壊してもいいから」
「できまするが、護殿と保輔殿は大丈夫なので? 中におりまするぞ」
狼狽する那智を振り返る。
「問題ないよ。護はその程度で吹き飛んだりしないし、ちゃんと保輔を守る」
直桜の表情を見て取って、那智が天狗の羽団扇《はうちわ》を取り出した。
「それでは、遠慮なく」
後ろに振りかぶった団扇を、那智がすいと振る。
強風が巻き起こり、山小屋がガタガタと揺れた。作りの荒い屋根はすぐに吹き飛んで、中の様子が顕わになった。
護と保輔が、青年に手錠をかけて立っている。
向き合っている小柄な男が鬼だと、すぐにわかった。
「このまま降りよう」
那智が急降下し、壊れた山小屋へ一直線に落ちた。
〇●〇●〇
阿久良王と向き合っていた護は、思わず天井を見上げた。
直桜の神力と、強い妖力を感じる。恐らくは那智だ。
「よそ見をするな。お前はもう、俺たちのモノだ。男に子を孕ませる妖術がある。俺とお前の子ならきっと面白き子になるぞ」
「妖力もヤバいけど、発言もヤバいな。いつの間に、そないに好かれたん?」
保輔が引き気味に聞いてくる。
同じように思うが、何故好かれたのか、護にもわからない。
「保輔君、マヤさんに貰った本の中に、他には何を入れてきましたか?」
「鳥居さんのサンプル回収ボックス、朽木統括の回復術、藤埜室長の結界術、縄、非常食、とかやね」
護の問いに即座に答えた保輔の言葉に、安堵した。
マヤの本は命脈の欠片を閉じ込めて繋がりを作るものだ。閉じ込める部分を巧く使っているなと思った。
「私が時間を稼いでいる間に、清人さんの結界術、展開してください。すぐにこの小屋が吹っ飛びます」
「なんで?」と顔に書いてあるが、すぐに表情を改めて保輔が頷いた。
質問を無駄な時間と判断したのだろう。保輔らしくて、やりやすい。
保輔を隠すように前に立ち、護は両手に神力を展開した。円状に渦を巻かせて、阿久良王に向ける。
「貴方の子を孕むつもりはないと伝えましたよ。私は直日神の惟神の眷族の鬼神です。貴方のモノにはなりません」
阿久良王が詰まらなそうに息を吐いた。
「家畜の眷族か、面白くもないな。お前は喰われる側でいたいのか? 食う方が楽しいと、鬼ノ城でたっぷり教えてやろう。その本能を引き出してな」
阿久良王が護に向かい手を伸ばした。
見えない何かが飛んでくる気配がする。両手に展開した神力で受け止める。
「保輔君、今です!」
本を開いて待機していた保輔が、結界術を解放した。空気を固めたような透明の四角い箱が護と保輔、足下に蹲る連を囲い込んだ。
瞬間、山小屋が大きく揺れた。
ばりばりと派手な音がして、屋根が吹っ飛んだ。小屋の壁もほとんどが吹っ飛んでいる。
何かが落ちてくる気配がして空を見上げる。
猛スピードで突っ込んできた直桜が、護たちの前に立った。
「俺の鬼神に、何か用?」
落ちてきた直桜は、最初から全力だった。
迸った神力が肩から漏れ流れている。
阿久良王に向けた言葉は尖って、かなり好戦的だ。
直桜の姿を眺めていた阿久良王が嬉しそうに笑みを昇らせた。
「良い! 楽しいぞ、直日神の惟神! お前は喰うに値する人間だ。欲しい、欲しいぞ。そこな二匹の鬼と共に鬼ノ城の温羅様に持って帰ろうぞ!」
阿久良王の声が興奮している。高揚した妖力が全身から吹き出す。
妖力の圧が結界の中にいても感じられるほどだ。
しかし直桜は臆することなく、目の前に立っている。
(見たこともない気魄だ。直桜、怒っているのか)
阿久良王が直桜に向かい、徐に手を翳した。
瞬間、妖力の塊が直桜に向かって一直線に飛んだ。
「直桜!」
結界から出ようとする護を、那智が止めた。
阿久良王の妖気の塊は、直桜の目の前で弾けて溶けた。
「その程度の妖力じゃ、俺に届く前に浄化されて消えるよ」
直桜が纏う神力が確かに浄化した。
円形に展開した神力が直桜の全身をまるで結界のように守っていた。
そっと傍に寄った那智が護に呟いた。
「護殿と保輔殿は、そこから出てはなりませぬ。隙を付いて連れ去られては事ですので、耐えてくださいませ」
保輔が怯えた様子で頷いている。
(耐えろ、か。眷族の心情を理解している。那智さんだからこその言葉だな)
忍に仕える前鬼だからこそ、わかるのだろう。眷族である鬼神の護が主に守られる辛さも切なさも情けなさも。
「そうか、なればこれは、どうだ」
阿久良王が先ほどと同じように直桜に手を翳した。
何も見えないが、妖力が霧散しているのを感じる。
那智が前に出て、天狗の羽団扇を振るった。激しい風が巻き起こって、残っていた小屋の残骸ごと、阿久良王の妖気を吹き飛ばした。
「奴は霧使い。霧に妖力を混ぜて毒のように人に沁み込ませる陰湿な術を使いまする。お気を付けくだされ」
阿久良王が表情を落として、詰まらなそうに那智を眺めた。
「大峰山の天狗がおったか。詰まらぬ。詰まらぬから、面白くしよう」
いつの間にか、阿久良王の手の中に連がいた。
さっきまで結界の中にいたはずだ。
「なんで……、連! 何しとんのや、戻れ!」
保輔が必死に声を掛けている。
「なんでぇ? 俺は天磐舟のメンバーで、阿久良は俺の味方だよ。むしろお前たちが俺の敵なの。今更、友達面するなよ」
話している内容は確かにその通りだ。
さっきまでの阿久良王と連の会話を聞いていれば、理解できる。
しかし、連の表情が正気ではない。眼球が上転して、口元が緩んで笑んだような顔になっている。何かに毒されているのは一目瞭然だ。
「阿久良王様はぁ、俺を喰ってくださるんだってぇ。俺みたいな不味い人間でも食ってくださる阿久良王様って優しいよねぇ」
「何、言うとる、連……」
保輔が結界の外に飛び出そうとするのを、護は抑え込んで止めた。
「ダメです、保輔君。今出ては、保輔君が危険です!」
「せやかて、連が! あんなん、正気やない! あの鬼に何かされたのや!」
さっきの霧は直桜への攻撃ではなく、餌をおびき寄せるための撒餌だったのかもしれない。
この中で霊元が一番弱いのは、恐らくあの連という青年だ。
清人の結界術すらすり抜けて術を掛けたのだろう。
「穢れた神力など使わずとも人心を惑わす術なら鬼の方が長けている。神を囲い瘴気で弱らせ穢して神力を使うなど、愚か過ぎて咎める気にもならん」
「その通りです、阿久良様ぁ。早く食べてェ」
連が楽しそうに笑んでいる。その顔は最早狂気だ。
阿久良王が連の首筋を指ですぃとなで、舐め挙げた。
身を震わして連が歓喜に顔を紅潮させる。
「あの子、保輔の知り合い? 天磐舟のメンバーなんだね?」
「せや、理研の仲間やった奴や。頼む、瀬田さん。連を助けてくれ!」
へたり込んだ保輔が必死に懇願している。
直桜が蛇腹剣を霊現化した。
「那智、連君の奪還、絶対に喰わせない」
「心得ました」
那智が飛び上がり、直桜が走り出した。
蛇腹剣を阿久良に向かって投げつける。飛んできた切っ先を、阿久良が事も無げに避けた。避けた先に回り込んだ那智が火の玉を投げつける。
更に阿久良王が避けた先で待ち構えた那智が、隠し持った刀を引き抜き振り下ろした。
大きく後ろに下がった阿久良の肩を那智の剣先が掠めた。
阿久良王体が初めて大きく傾いた。
その隙に直桜が蛇腹剣を連の体に巻き付けて、強く引いた。
阿久良王の手が蛇腹剣を掴む。焼けるような溶けるような音がして、阿久良王の手が爛れた。
「剣にも神力が仕込まれておるのか。この痺れは雷か。悪くない。心地よいぞ」
阿久良王がニタリと笑んだ。
ビクリと肩を震わした直桜だったが、蛇腹剣を伝って阿久良王に向け稲妻を流す。
那智が振り下ろす刀を前後左右に避けながら、阿久良王が蛇腹剣の稲妻を甘んじて受けている。
「だったら、水はどうだ!」
直桜が大きな水の塊を投げつけた。
水が阿久良王の顔全体を覆う。
そこに稲玉を投げつけた。
阿久良王の体が感電し、震えた。
一瞬、緩んだ腕から零れ落ちた連の体を那智が拾い上げる。
連を抱えて、那智が後ろに下がった。
「くくく、楽しくなってきた」
水の中でにっかりと笑って、阿久良が大きく口を開けた。
顔を覆っていた水を総て飲み干した。
「流石に化物ですな。やはり純血の鬼は強い」
那智が零した言葉は本音だろう。
直桜も那智も決して弱い術者ではない。
なのに阿久良王の態度は、まるで子供でも相手にしているようだ。
(何か、俺にも何かできることは)
強く握り込んだ拳に熱を感じた。
握り過ぎて爪が喰い込んだ手から血が流れていた。
血が気と混ざり、色を変える。
「な~ぉ」
肩に乗っていた朱華 が護の腹にぴたりと吸い付いた。
自分の手を見詰めて、集中する。
(あの鬼を倒せるくらいに強い力を、直桜たちを助けられる力を)
腹の神紋が熱い。
直桜の神力と朱華の気を強く感じた。
「連君は確保した。隙を見て撤退しよう。あの鬼は流石に今の俺たちじゃ無理だ」
直桜の判断は正しい。
頷いた那智の体が、ぐらりと傾いた。
「那智? 那智!」
那智に向かって阿久良王が妖気を飛ばす。
直桜が体当たりして那智を遠ざけ、阿久良王の妖気を受け止めて浄化した。
「霧の毒か」
「人には毒だろうな。天狗にも効果があるとは、知らなかった。天狗も妖怪だろうに。食ったら美味いのかもしれんな。それも食うか」
鞭のように伸びてきた阿久良の妖気を直桜が神力で弾いた。
攻撃を防ぎながら那智の頭に手をあてて、浄化している。
「浄化していては俺と戦えんな、詰まらん。そろそろ仕舞いに……」
阿久良王の目が護に向いた。
その手に展開する鬼力に、目を見開いた。
「終わりにします。お前を退けて、仕舞いです」
両手を重ねて、朱華 の色をした鬼力の炎の玉を強く速く、阿久良王に向かい撃ち放つ。
阿久良王の腹にぶち当たった炎が腹の肉を抉り体を浮かせて、見えなくなるほど遠くへ弾き飛ばした。
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