33 / 83

第32話 天磐舟の目的

 三匹の人狼の子供たちとじゃれる円や智颯、保輔を横目に、直桜は改めて南月と喜多野坊に向き直った。 「里を出る前に、南月さんと喜多野坊さんに聞いておきたいんだけど、天磐舟がここに来たのは、いつ頃? 何が目的だったか、わかる?」  南月が目を伏した。 「実は、もう何年も前から小さな襲撃は受けておりました。妖怪連とは話し合いもしましたが、そもそもが我らとは相反する考えの者たちです。組する申し出を断り続けていたところに、天磐舟の使者なる者がやってきました」  保輔の肩がピクリと震えて、俯いた。 「使者がやって来たのが、一月ほど前です。穢れた神力に毒された同朋に抑えこまれ、私もアレを飲まされた。抗い続けておりましたが、直桜様方が来てくださらなかったら落ちていたでしょう」  一月前と言えば十一月の中旬、bugsの一件が片付いた頃だ。 「一月前くらいから、結界の入り口が不安定になってなぁ。中には入れるが、南月や人狼の種族が暮らす場所に近付けなくなった」 「この亜空間内に結界が張られたのでしょうか?」  護の疑問に、喜多野坊が難しい顔をした。 「あれは攪乱かのぅ。人心を惑わす罠とでもいうのか。阿久良王が来ておったのなら鬼の妖術じゃろうて。其を弾くに難儀して、なかなか助け出せずにいたのじゃ」  つまり、天磐舟と阿久良王の介入は一月前から、それ以前は妖怪連からの攻撃的かつ一方的な勧誘だった。 「そこまでして人狼を欲しがったのは、何でだろう。妖怪連て、西方の妖怪集団なんだよね? こんな北の地まで足を運ぶメリットって何かな」  西の方が強い妖怪は、正直多くいるだろう。北にも勿論、珍しい妖怪も強い妖怪もいる。だが、南月を見るに、人狼は決して好戦的な種族ではない。妖怪連が欲しがる戦力とは思えない。 「恐らくは、円様であると存じます」  南月の目が円に向く。  話しの矛先が自分に向くと思っていたなったらしい円が、意外な顔をした。 「妖怪連、いいえ、天磐舟が欲しかったのは円様の折伏の力。種を開花させるために、我らを利用したかったのでしょう」 「そこまでして何故、折伏の力が欲しいのでしょう。それに、一体どこから花笑の種の情報を得たのでしょうか」  護の疑問は尤もだ。  秘密主義の花笑が本人にすら隠してきた異能の情報を得るだけの伝手が天磐舟にはあるのだろうか。 「円は自力で種を目覚めさせたし、僕らが人狼の里に来たタイミングも、まるで誘導されたみたいにぴったりでしたね」  智颯の言う通り、タイミングが良すぎて気味が悪い。 「どうして、もっと、早くに呼んで、くれなかったの?」  円の問いに、南月が申し訳なさそうに目を伏した。 「呼べませんでした。喜多野坊様が何度も打診してくださったにも関わらず、私は拒み続けました。もし花笑にいまだ事情を知る者があれば、きっとここに来てしまう。そうなれば契りが解け、種は目を覚ましてしまう。奴らの思う壺です」  南月の顔には申し訳なさと悲しみが浮かんでいる。  直桜たちがここに来たのはマヤの予言があったからだ。  誘導というならマヤの言葉だが。 「マヤさんは、穢れた神力より早く、って言ってたんだ」  直桜の呟きに、護が振り返った。 『穢れた神力より早く。彼らの準備が整うより早く』  マヤは確かにそう言った。 「準備、しているんだ。目的を果たすために。穢れた神力を作るために強い妖怪を狩る、とか。円くんの折伏は、その為に使える。だとしたら、護の鬼の本能の覚醒は……」  阿久良王が護の鬼の本能に執着したのは、単純に気に入ったからだろう。鬼の同朋として鬼ノ城に連れ帰りたかった、と考えるのが今のところ妥当だ。  猫鬼や連との関わりや会話から考えて、協力体制を強いていても連携が取れているとは言い難い。   (でも翡翠は、神殺しの鬼の本能を指摘した。惟神を自在に扱う力、神を殺す力)  加えて、護を欲しがる連中は直桜も欲しがると話した。 「連君は確かに、神殺しの鬼の本能を覚醒させて連れ帰れと命を受けていると、話していました」 「円の種が開花したから、人狼はもういらない。神殺しの鬼は取りに行こうと思ってたから来てくれて助かったって、猫鬼も言ってました」  護と智颯が次々に証言する。 「つまり天磐舟は、惟神が欲しいんだ。その為に本能が覚醒した神殺しの鬼が必要なんだ。惟神を自在に操り、神力を穢して第二の饒速日を作りたい。饒速日の神力が衰えている証拠だ」  喜多野坊が不機嫌な顔で目を細めた。 「なるほどなぁ。穢れた神力だけでは惟神の本物の神力に、あっという間に浄化されてしまう。神殺しの鬼の本能で惟神を意のままに操れば、神力は穢し放題、使い放題という訳か」 「そんな、食べ放題みたいに言わないでください……」  智颯が怯えた顔をする。  喜多野坊が智颯を抱いて、膝に座らせた。 「案ずるな、智颯。理に反し、過ぎた力を求める者は自ら滅ぶ。力とは、見合った分が見合った者に備わるが摂理よ。努力とは、そのために続ける自信だ」  喜多野坊がまるで天狗のような話をしている。真面目過ぎて意外だった。 「にしても、陰湿な集団じゃのぅ。やり方が気に入らぬわ。正面からぶち当たって砕けたら良いモノを」 「砕けとぅないから、ぶち当たらないのだろう。計算高く身を隠すのが巧い。気が付いた時には喰われている怖さがありまするな」  ずっと黙っていた那智が、思わずといった感じで口を開いた。  今回の那智は、なるべく口を挟まずに直桜たちの行動を見守ってくれているように感じる。きっと意識してそうしてくれているのだろうと思う。そのやり方は忍に似ていて、どこか安心する。 「じゃぁ、天磐舟の狙いは惟神と化野さんと、俺?」  円が智颯のように怯えた顔をしてる。  種が開花して鬼力を得ても、それが相手の狙いだったとしたら、確かに怖いだろう。 「そうなりまするな。護殿と円殿は惟神の皆様と違って穢れた神力による精神操作が可能。そのあたり、帰ったら訓練になるかと存じまする」  那智がさらりと言ってのけたので、円が呆然となった。 「そういえば、穢れた神力を凝集した黒玉というのがあるらしくて、真人様という人が作っているのだそうです。真人とは恐らく、天磐舟のリーダー格なのでしょう。幾つか飲まされたらしいのですが、私には効果がありませんでした」  直桜は思わず護の顔を凝視した。 「化野さん、効果なかったん? 俺、連の穢れた神力だけで頭バグったけど」  保輔が呆れたような感心したような顔をする。 「保輔も飲まされたの?」 「うん。なんや気ぃ付いたら連の手から黒いどろどろの液体みたいんが出てて、口ん中に流し込まれとった。最初、不味くて吐き出したかったけど、飲んでるうちに美味なって、そこからは、ようけ覚えてへんねん」  保輔の証言は、直桜が一護に穢れた神力を飲まされた時と同じだ。  解析で見ていた円や智颯、同じ体験をした護なら、わかるはずだ。 「俺に穢れた神力を飲ませながら、連が化野さんにでっかい黒飴みたいの、何個か口に突っ込んでて。そん時もほとんど意識なかったけど、黒い玉飲んだら、化野さん完全に気ぃ失ぅてしもて。俺もその辺までしか覚えてへんのやけど」 「そうでしたか……」  一言、呟いて、護が考え込んだ。 「黒玉は液体の穢れた神力より濃いような話を連君がしていました。ですが、神紋から流れてくる直桜の神力だけで十分浄化できました。正直、翡翠……、一護の神力よりずっと薄いと感じました」 「薄い?」  繰り返した直桜の言葉に、護が確信した顔で頷いた。 「広範囲に展開されて降り注いだ直桜と智颯君の神力の浄化の雨だけで保輔君は正気を戻しました。もしあれが一護の神力だったら、もっと直接的に浄化しなければ戻れなかったと思います」  考え込む直桜に、護が躊躇いながら口を開いた。 「直桜、一護は、翡翠は……。人魚の姿をしたマレビトです。彼自身が半分は神様です。同時に、長い生の中で人を喰らったとも聞きました。だから翡翠自身の神力が既に穢れているんです。あの時、饒速日の神力が混じっていたのはきっと、我々に天磐舟のヒントをくれるためだったんじゃないかと、思うんです」  護が初めて、自分から翡翠の話をしてくれた。  とても重要な内容だ。しかし、翡翠の話を言葉にできるくらいには、護の中で消化できたのかと思えて、それが嬉しかった。 「饒速日の神力を借りなくても、翡翠には充分、強い神力があるってことだね」  直桜の確認に、護が頷いた。  護の腕を取って、握る。背中に腕を回して抱き付いた。 「話してくれて、ありがとう。まだ翡翠の話するの、辛いだろ。無理しなくていいから。話せるようになったらで、いいから」  護の手が戸惑いながら直桜の背中を抱いた。 「大事な話、ですから。翡翠との思い出は、もう少し後に、ゆっくり、聞いてください。直桜にはいつか、聞いてほしいから」 「俺も聞きたい。護が話せるようになったら、たくさん聞かせて」  耳元で囁き合う声に熱を感じて、やっと安心できた。 「番が仲が良いのは、いいのぅ~。可愛らしいのぅ。智颯もちゃっちゃと自分の番と眷族になってしまえばよいのぅ」  喜多野坊が嬉しそうに智颯の頬を摘まんでムニムニしている。 「喜多野坊さん、空気読んでください。直桜様と護さんが久し振りに人前でイチャついているんだから」  喜多野坊を咎めているようで智颯の言葉も棘があるなと思った。  直桜と護はどちらからともなく、そっと離れた。 「しかし、円殿と智颯様の眷族契約は急ぐのがよろしいでしょう。護殿が神紋から流れてくる神力で穢れた神力を浄化できたのなら、円殿にも同じ効果が期待できるのではござりませぬか?」  那智の真っ当な意見に、直桜は首を捻った。 「多分、同じ効果はあるよね、理屈的に。智颯が今より神力を増やさないといけないけど」  智颯をちらりと覗く。不安しかない顔をしていた。 「僕、やっと全力になったばっかりですが、まだ足りませんか?」 「全力二人分くらい欲しいね」  直桜の間髪入れない返しに智颯が絶句している。 「大丈夫やで、智颯君。その為の訓練やん。俺が絶対値、底上げしたる。円も、濃い神力、受け取れるだけの霊元、鍛えなあかんよ」  話を振られて、円が蒼褪めながらも強く頷いた。 「もう、誰も死なせん。その為に、俺ができることは何でもするから」  握った拳を見詰めて、保輔が噛み締めるように呟く。  その顔を見詰めた智颯と円は、口を引き結んで強い眼をしていた。

ともだちにシェアしよう!