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第36話 直日神と護の秘密
直桜は前の座席に腕を伸ばして那智の頭に手を添えると、神力を送り始めた。
「申し訳もござりませぬ」
同じ言葉を繰り返す那智は、なんとも辛そうだ。
一体、どれだけ飲まされたのだろうと思う。
「喜多野坊は、喜んでおりましたぞ。惟神が全員揃った今と、皆様が強く優秀な術者である事実を」
那智が弱々しいながらも、話し始めた。
「惟神が全員揃うは数百年振り、特殊係が出来てからは初でござりまする。苦難続きだった特殊係は戦後に一度、大きな事件があり殲滅しかけた。あの頃の忍様は御辛そうだったと、四季が話しておりました」
四季が特殊係に来た時、忍は「助けられるのは二度目」と話していた。
「特殊係の危機を、四季は助けに来てくれてたんだね」
「あの時、私は駆けつけられなんだ。だからこそ今は、忍様の御力になりたい。しかし、今の忍様はあの頃とは違うと、四季が申しておりました」
那智が後ろを振り返り、直桜に目を向けた。
「大きな災厄は必ずやってくる。神が揃うとは吉兆であり凶兆でござりまする。起こり得る災厄に相対するための、力。ですがきっと、乗り越えられましょう。此度の件で、私はそう感じましたぞ。喜多野坊も同じだったのでしょうな」
那智が表情を緩ませて、前に向き直った。
「それで飲みすぎましてござりまする。ちと羽目を外し過ぎましたな」
シートに頭を預ける那智は、さっきより調子が良さそうだ。
「ねぇ、那智。阿久良王の妖術って、妖怪にも効果があるの?」
ずっと気になっていた。
霧に紛れた毒に那智が倒れたのが意外だった。
「奴の霧は血魔術、故に捕食対象にはすべからく効果がありましょう。雑食なのでしょうな。人喰する鬼には好みがありまする。それに応じて惑わす対象を絞るものです」
ぞっとしない話だが、阿久良王は天狗などの妖怪も食うのだろう。
「私も阿久良王には疑問があります。奴は一度死んで、白狐になっているはずです。御魂を呼び出したのか、それとも黄泉返りでもしたのでしょうか」
護は阿久良王を知っているのだろう。
伊吹山の鬼にも詳しかった。同じ鬼は情報を持っているものなのだろか。
「何とも申し上げられませぬが。鬼ノ城の温羅が強い鬼を集めている噂は数十年前よりありましてございまする。温羅の妖術と考えるのが、妥当やも知れませぬな」
「鬼ノ城の温羅、ですか……」
護が嫌悪感を隠さない声で呟いた。
あれだけ強かった阿久良王が敬称を付けて呼んでいた温羅という鬼だ。それ以上の妖術があるのだろう。
「温羅もまた、直桜に近付けとぅない鬼の一人だな。今では護と保輔にも近付けとぅない」
直日神が、直桜と保輔の間に顕現した。
「クイナも好まなかった鬼なの?」
直桜の問いに、直日神が振り向く。
「それ以前の話よ。人喰の鬼は挙《こぞ》ってクイナを食いたがった。彼《か》の鬼にとり、人は食糧でしかない。中でも惟神の血肉は鬼に、より力を与える。クイナの名は鬼が勝手に呼んでいた名だ」
直桜は目を丸く見開いた。
「え? もしかして、クイナって、喰えって漢字で、喰いな、ですか?」
呆れとも驚きとも取れない表情の智颯に、直日神が頷いた。
「それって、名前っていうか、掛け声っていうか」
円がぞっとしない声で言う。
「そうやって鬼をおびき寄せて人や異形を守っていたので、呆れたのだ。生き物が生き物を食うは理の一部だ。人だけが喰われぬ世など有り得ぬ。それにしても解せぬと思ぅた」
直日神の言葉は真理だ。
食物連鎖の頂点に立っていると思い込んでいる人間は、自分たちが喰われるなどとは微塵も思わない。だが自然界では食って食われる連鎖が常に起こっている。人がその輪から外れる方が、ある意味で異常だ。
「直日がクイナを放っておけなかった理由が、何となくわかったよ」
自分を餌にして仲間を守ろうとする人間は長生きしない。しかも、惟神になれるだけの霊力を備えた人間が喰われれば鬼の力は増す一方だ。
やり方が保輔と同じだと思うと、直桜もクイナを放っておけない気持ちになる。
「護も保輔も鬼だが、人喰を忘れた鬼だ。本能を無理に呼び起こせば食えぬでも無かろうが、最早美味いとは感じぬだろう。温羅の妖術に掛かれば、わからぬがな」
保輔が顔色を変えた。
連を思い出しているのかもしれない。
自分が阿久良王と同じ行為をするのは嫌だろう。
「俺……、やっぱり、俺を眷族にしてや。眷族になったら直日神様の神力がもっと強なって、人を喰ったりせんのやろ?」
必死に直日神の袖を引く保輔の頭を、大きな手が諭すように撫でた。
「直桜と護が望んだ眷族だ。吾も賛成だが、よく考えよ。一番は保輔の想いぞ。眷族にならずとも温羅の妖術を退ける術はある」
直日神の袖を掴んだまま、保輔が俯く。
「私も保輔君には直桜の眷族になってほしいですが、鬼の本能を覚醒される懸念なら、必要ないと思いますよ」
直日神の目が護に向いた。
「何か、思い出したか、護」
「私も保輔君も神力を頂いた鬼です。本能が目覚めようと、人は喰わない。けれど、私の場合は神殺しの鬼なので、神に無体を働いたりはするのだと思います」
翡翠の言葉を思い出す。
神の意識を奪ったり自在に操ったり、殺したりできるのは、神殺しの鬼だけだと、翡翠は話していた。
「無体、か。護になら、少しくらい無体を働かれても許してやれそうだな」
直日神が訳知り顔で納得している。
「無体って、何? 具体的にどういうこと? 一護が……、翡翠が、話していたようなこと?」
焦燥した声の直桜に直日神が微笑んだ。
「なに、些細な悪戯よ。前にも話したが、神殺しの鬼は惟神を守るために存在する。その為に、神を制する。それが他者には操って殺しておるように映るのだろう」
「全然、わかんない。もっとわかるように説明してよ」
直桜は直日神に強く迫った。後ろで智颯も前のめりになっている。
口を開こうとした護を直日神が、ちらりと目で制した。
護が困ったように笑んだ。
「今は、その、うまく説明できませんが、心配いりませんよ、直桜。その時が来れば、きっとわかりますから」
「その時って、何? どういう意味?」
前のめりに護に迫る直桜を、直日神が制した。
「今はまだ、護と吾の秘密だ。桜谷集落が神殺しの鬼の存在を惟神に秘した最たる理由が、きっと直桜にも智颯にもわかる。近いうちにな」
直日神にそう言われてしまうと、何も言えない。
きっと不満が顔に出ているであろう直桜の頬を直日神が指で突いた。
「同じ顔をしておるぞ。直桜と智颯は似ておるな」
直桜と同じように直日神が智颯の頬を指で突く。
智颯と顔を合わせて、直桜は不貞腐れた。
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