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第38話 集魂会の碓氷蜜白
黒介から報せを受けてすぐ、直桜は護と共に保輔を連れて集魂会に向かった。
待ち構えていた行基と黒介が、事情を説明してくれた。
「十月の頃からフェロモンの暴走は始まっていたんだ。そうなると、理研生まれの人間は長くない。これでも長く持った方だと思う」
忍と共に集魂会を二度目に尋ねた十月中旬、フェロモンが暴走した蜜白に護が誘われた。あの時、確かに武流も同じ話をしていた。
「武流は、何も言うとらんかった。何で、教えてくれへんかってん。知ってたら、もっと早くに会いに来れたやないか!」
掴みかかる保輔に、されるがままに行基が見下ろした。
「あの頃のお前ぇはbugsで反魂儀呪の配下になってただろ。俺たちはお前の態度を計りかねてた。武はきっと、心配かけないために内緒にしてたんだ。お前ぇの真の目的を知ってたのは、あの時は武と蜜だけだったからな」
腕を降ろして、保輔が悔しそうに唇を噛み締めた。
「せやかて、やったら、せめて13課に入ってからでも、報せてくれたら良かったんや」
押し殺したような声で保輔が呻いた。
「保輔が13課に入って、蜜はとても喜んでた。だから、報せないでほしいって頼まれていた。けど、今、会わないと、もう……。だから俺の独断で報せた。すまない」
黒介が保輔に向かい、頭を下げた。
保輔が俯いたまま、動かない。
「保輔、とにかく会っておいで。今、会わないときっと後悔するから」
直桜は護を見上げた。
「護、一緒に行ってやって。俺は部屋の外にいるから」
蜜白の心情を考えれば、きっと直桜は行くべきではない。
「わかりました。行きましょう、保輔君」
黒介が先導する後を、護が保輔の肩を抱いて歩き出す。
その後ろを少し離れて、直桜と行基が付いて行った。
「藤埜室長さんには伝えてんだが。理研のmasterpiece二人が行方不明になってる。保や武や蜜と一緒に保育園にいた候補生の同期なんだが、逃げたのか攫われたのか、いまいちわからねぇ」
行基が話してくれた情報と同じ話は清人から聞いていた。
流離が反魂儀呪に下った時、槐もその情報をくれたらしい。約一カ月前の話だ。
「理研でも詳細は、まだ掴めてないんだね」
「理研てぇより、俺たちが掴めていねぇんだ。千晴の言葉や態度がはっきりしねぇ」
集魂会は13課組対室の外部組織として動き始めた。だがあくまで非公式で、表向きは理研の下部組織として動いている。
理研で生まれたbugやblunderの子供たちを請け負いながら、理研の情報を仕入れ、13課組対室に流してくれている。
口が巧い坊さんの行基だからこそ出来る間者的な立場だ。
「藤埜室長さんにはある程度、纏まった話をしてあるから、確認しといてくれ。今日のところは保輔が心配だ。蜜の状態だって、アイツはきっと受け止めきれねぇだろうからな。masterpieceの二人の話はしねぇほうがいい」
行基の表情も、いつもより暗い。
保輔も蜜白も行基にとっては自分の子供のようなものなんだろう。憎まれ口を叩いても、心配する気持ちが溢れ出ている。
「そうだね。それにしても、タイミングが悪すぎるな」
美鈴が死に、連が死んで、今、蜜白が死にかけている。
その上、同じくらい仲が良かった同期が二人行方不明となったら、保輔の心が壊れてしまいかねない。
(連君がいた以上、天磐舟が絡んでるかもって考えちゃうよな)
だとしたら、また敵として保輔の目の前に現れるかもしれない。
(マヤさんの言葉はこういう意味だったんだ。どうして保輔ばっかり、こんなに辛い目に遭うんだよ)
立て続けに襲う不幸に苛立ちさえ覚える。
「……蜜、蜜!」
保輔の叫び声を聞いて、直桜は行基と、そっと部屋の中を覗いた。
ベッドに横たわる蜜白は、二カ月前の面影がないくらいに痩せていた。
真っ白な顔で保輔に笑いかけた。
「報せないでって、言ったのに。黒介でしょ、お節介だな」
声も酷く弱々しい。
痩せこけて骨ばった手を、保輔が震える手で、そっと握った。
「ごめん、ごめんな。俺が好き勝手ばっかりしてたから、蜜と武に迷惑ばっかりかけたから。もっと早ぅに来るべきやったのに。ごめん……」
握った手に額を強く当てて、保輔が声を殺す。
「俺が報せてほしくなかったの。ヤスには、やりたいことがあるでしょ。俺と武は応援してるんだよ。俺たちにはない、才能を持ったヤスが、目的を果たしてくれるって。だから、邪魔したく、ないんだよ」
ベッドサイドの椅子に腰かけていた武流が身を乗り出した。
「報せなかったのは、俺だ。ごめんな、ヤス。こんなことなら、もっと早くに、話せば良かったな」
武流が後悔を滲ませる。
保輔が何度も何度も首を振った。
「悪いんは、俺や。俺は、間違ったのや。結局、誰も救えんかった。誰も幸せに出来んかった。蜜が辛い時も側におれんかった。全部、間違いやった」
「保輔君……」
護が何かを言いかけた時、蜜白が咳き込んだ。
保輔が顔を上げた。
「ぅっ、げほ、かはっ」
抑えた手に付いた血を、武流が慣れた様子で拭った。
「最近、少し話すと血を吐いちまうんだ。体ん中の臓器がだいぶやられててさ。ヤスは間違ってなんかいないぜ。俺たちはヤスに賭けたんだ。ヤスは俺たちの想い、全部背負ってくれてるんだから、そんな風に言わないでくれよ」
武流が気丈に笑って見せる。
護が蜜白の額に手をあてた。直桜が神紋から流した金色の神力を流し込んだ。
「気休めにしかならないかもしれませんが、少しは楽になると思います。当てていても、いいですか?」
護が蜜白に笑みを向ける。
蜜白が笑い返した。
「そんなことして、瀬田さんに叱られないの?」
「直桜も碓氷さんを心配しています。私の主は、狭量な人間ではありませんよ」
蜜白が小さく息を吸い込んで、吐き出した。
「そうだね、ヤスを連れてきてくれたの、化野さんと瀬田さんでしょ。俺は瀬田さんに謝らなきゃ。結果的に俺が騙されたけど、酷い真似しちゃったからね」
「それは俺のせいやろ! 俺が直桜さんに封じの鎖掛けて足止めしろって言ったから、武と蜜は無理したのやろ! 謝らなならんのは、俺や」
蜜白に覆いかぶさるように、保輔が抱き付いた。
その頭を蜜白が弱々しい手つきで優しく撫でた。
「違うよ、ヤス。ヤスが何を言っても言わなくても、俺はきっと化野さんに手を出してたよ。だって欲しかったから。羨ましかったんだ。何でも持ってて好きな人が傍にいて、強いと称賛される神様が。一つくらい、俺にくれてもいいじゃないかって、思ったんだ。嫉妬したんだよ」
蜜白の目が、部屋の外に向く。
直桜がいると気が付いているんだろう。直桜は部屋の中に入った。
「神力、流してくれて、ありがとう。さっきより楽に話ができるよ」
直桜は首を横に振った。
「俺には、これくらいしかできないよ。病気を治してあげられないし、護もあげられない」
「わかってるよ。今だけあげるとか言われても、情けなくなるだけだから嫌だしね」
蜜白が眉を下げて笑う。
「俺は碓氷さんが嫌いだ。だけど、大事な保輔の大事な友達だ。だから、できるなら元気になってほしいって、思うよ」
「なんで、瀬田さんが泣くの?」
指摘されて、自分が泣いていると気が付いた。
流れた涙を手で懸命に拭う。
「わかんない。けど、そんな顔見せられたら、文句も言ってやれないだろ。あの時の言葉、俺は忘れてないからね。いつか文句言ってやろうって思ってたのに」
「今、言ってるよ」
蜜白が可笑しそうに笑う。
「いっぱい文句言って、もっと話して、もっと碓氷さんを知ってみたいって、思ってたんだ」
どこか楓に似ている薄幸の青年と、もっと仲良くなってみたかった。
「そっか、機会があったら良かったのにね、残念。けど俺は、これくらいが寿命でちょうどいいかな」
保輔が勢いよく顔を上げた。
「何、言うとんねや。もっと長生きしろ、病気直せ。蜜がいなくなったら俺が嫌や」
「なにそれ、我儘だなぁ、ヤス。これ以上、生きてても、俺に幸運は降ってこないよ。だから理研生まれの人間は、短命なんだ。ある意味それが幸せなんだよ」
話しながらも蜜白が保輔の髪を撫で続ける。
その手つきが酷く優しくて、悲しくなる。
「長生きする人もおるやろ。重田さんは三十五やぞ。生きようと思えば生きられる」
「優は実験初期の人だからね。俺たちにみたいにいっぱい、いじられていないから。それに優は成功例だよ。霊元を持ってる個体は長生きだって、ヤスも知ってるだろ」
ぐっと言葉を飲んで、保輔がまた蜜白に抱き付いて顔を埋めた。
まるで子供じみた保輔を、蜜白が困ったように笑んで眺める。
「折角、会いに来てくれたし、ヤスにお願いしようかな。俺のお願い、聞いてくれる?」
がばっと起き上がって、保輔が蜜白に迫った。
「聞く、何でも聞く。聞いたら、病気治して長生きしてくれるん?」
「それは今更無理だよ」
「じゃぁ、嫌や。武と蜜がいなくなってもうたら、俺、どう生きたらいいか、わからんもん」
保輔の言葉にドキリとした。
その言葉は、以前に直桜が直日神に放った言葉と同じだったからだ。
(保輔にとっては、武流と碓氷さんが生きる道標で、支えだったんだな)
直桜は拳を強く握った。
「人はいつか死ぬんだよ。お別れはいつか必ずやってくる。仕方ないんだ。何度も繰り返してるんだから、よくわかってるだろ」
何度も、きっと何度も、こんな風に理研の仲間を送ってきたのだろう。
それが日常で、当たり前だったのだろう。
「蜜とは別れたない! もう仲間を失うんは嫌や! 美鈴も連も死んでもうた。俺は目の前にいたのに何もできんかった。蜜まで俺を置いて逝ってまう気ぃなん」
保輔が、ボロボロに泣いている。
その涙を蜜白が何度も拭う。まるで子供にするように、何度も何度も拭いとる。
「ちゃんと聞いてよ、ヤス。ヤスは間違ってない。武が言った通り、ヤスは俺たちの期待を背負った希望だ。その期待、重いだろ。でも、降ろしちゃダメだよ。何があっても背負ったまま生き続けて。それが俺からのお願いだよ」
涙を流しながら、保輔がぶんぶん首を振る。
蜜白の腕が、保輔の顔を抱き締めた。
「俺たちはbugでblunderで、理研に散々酷い目に遭わされたけど、結局、blunderのレッテルを貼られたヤスが一番のmasterpieceだったんだ。知った時は本当に痛快だったよ」
「bugもblunderもない。俺らは只の人間や」
蜜白が首を振った。
「ヤスは只の人間じゃない。それじゃダメだよ。ちゃんと幸せになれる人間だ。自分の幸せをちゃんと見つけて、先に逝った子たちの分まで、幸せになるんだよ。俺は向こうで、英里と一緒に見てるから」
保輔の顔が歪んで、また涙が溢れた。
「そないな、英里みたいなこと、言うなやぁ。皆、俺に期待、掛けすぎや。これじゃ、諦めることもできひん」
「当たり前だろ。諦めさせないためにお願いしてるんだから」
「蜜の意地悪。いつも蜜は意地悪ばっかりや」
蜜白に強く抱き付いて、保輔が顔をぐりぐりと押し付ける。
くすぐったそうに蜜白が笑った。
直桜は、こっそり護に耳打ちした。
「保輔、しばらく集魂会で過ごしなよ。清人には俺から伝えておくから。|13課《こっち》は、気にしなくていいよ」
直桜は蜜白に視線を向けた。
「保輔には今後、どうしても頑張ってもらわないといけないんだ。悪いんだけど、根性入れてあげてくれない?」
「それ、死に際の人間に託すの?」
蜜白が緩く笑む。
「碓氷さんにお願いしたいんだよ。碓氷さんと武流じゃなきゃ、きっとできない。だから、よろしくお願いします」
深々と頭を下げる。
「……わかったよ。大事な秘蔵っ子だもんね。御預かりします」
顔を上げると、蜜白が生気のない顔で笑っていた。
その顔を確かめて、直桜は部屋を出た。
「失礼を承知で、させていただきますね」
護の声が聞こえた。
きっと口移しで蜜白に神力を流し込んでいるだろう。直桜がした方が濃い神力を流せる。だがきっと、それでは意味がない。
ちゅっと小さな水音が聞こえて、蜜白が息を飲んだ気配がした。
「数日は、今くらいの体の楽さが続くと思います。辛くなったら、こちらを飲んでください。直桜の神力を霊現化した玉です。気休めでしかないかもしれませんが」
護の神紋から霊現化できる直桜の神力は三つくらいだ。せめてそれくらいは懐かしい時間を過ごしてほしい。
「本当に失礼だし、お節介だね。だけど、ありがとう。良い冥途の土産になったよ」
ちらりと部屋を覗く。
ぺろりと舌なめずりをした蜜白の顔は、嬉しそうに見えた。
碓氷蜜白の訃報が13課組対室に届いたのは、それから五日後だった。
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