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第44話 足りなかったもの
一月五日、仕事と学校が始まる前日に、瑞悠たちが帰ってきた。
全く何の前触れもなく会いに来た瑞悠が、保輔の部屋で腹の神紋を眺めている。
瑞悠の姿を、保輔は大変恥ずかしい気持ちで見詰めていた。
「ちぃの神紋とは違うんだね。円ちゃんのお腹の神紋は山に風だったよ」
感心した声をあげると、瑞悠が保輔の腹の神紋に触れた。
体が大袈裟に跳ね上がって、余計に恥ずかしい気持ちになった。
「もぅ、ええやろ。お前、円の神紋も見たんか。腹、触ったんか?」
智颯が円に神紋を与えた話は、年明けに円からのメッセージで聞いた。
年末、保輔が集魂会に行っている間に智颯と円は神紋の定着まで済ませていたらしい。
「見たよ。触ってないけど。触ろうとしたら、ちぃがダメって」
「そら、そうやわ」
その場に智颯がいたと知って、安堵した。
二人きりじゃないなら、まだマシだ。
「良かったね、保輔。これでもう、保輔は勝手にいなくなったりしないね」
嬉しそうにアイスコーヒーを飲む瑞悠を眺める。
そういえばメッセージでも瑞悠はそんな話をしていた。
「俺って、そないに急にいなくなりそうなん?」
「うん。突然、どこかに行っちゃいそう。野良猫みたいに」
さっくりと答えられてへこむが、これまでの経緯を振り返ると否定も出来ない。
「なら瑞悠が、俺を繋いどってよ。どこにも行く気にならんように」
自分でもらしくない声色だと思った。
振り返った瑞悠が、保輔に腕を伸ばした。
「わかった。じゃ、みぃの神力も分けてあげる」
瑞悠の顔が近付く。
保輔は慌てて身を逸らした。
「待て待て、お前は眷族、作れへんのやろ」
「作れないし、保輔はもう直桜様の眷族でしょ。けど、みぃのバディだから。みぃが何も貢献しないのは、ちょっと悔しいもん」
腕を首に絡めて、瑞悠の唇が保輔に重なりそうになる。
直前、強い衝撃が保輔のこめかみを強打した。その勢いで、座っていたベッドの上に転がる。
「ちゃんと神紋開いて直桜の神力感じながら受け取れよ! じゃねぇと意味がねぇからな!」
朱華が瑞悠の膝の上で仁王立ちしていた。
あの小さな足で蹴っているのに、いつもそれなりに痛くて大変イラっとする。
「この玩具、なに?」
朱華の両腕を掴んで、瑞悠が引っ張った。
「直桜さんと護さんの気から作った、直桜さんの眷族」
「へぇ、可愛いねぇ。直桜様、こんなのも作れちゃうんだ。さっすが~」
ぬいぐるみの朱華の体を揉んだり伸ばしたりしながら瑞悠が感心する。朱華も嫌がらずに、されるがままになっている。
「俺は保輔より先に直桜の眷族になってるからな。力の使い方とか、調節とか、色々指南してやってんだ」
「優秀なんだね、凄い。先生がいて良かったね」
「あんまし、良くない……」
朱華には殴られたり蹴られたり罵倒されてばかりで、あまり仲良しでもない。
鬼力の訓練も全く捗っていない。
結果を出せていないので、ムカついても朱華にはあまり強く出られない。
「それよりホラ! 神力感じてんのか?」
「やっとる、直桜さんの神力、満たした」
全身に神紋から流れてくる気を満たして、起き上がる。
「んじゃ、瑞悠。負担にならねぇ程度でいいから、なるべく多めに流してやってくれよ。保輔には瑞悠の神力が必要だからさ」
保輔と瑞悠は同じ顔で朱華を眺めて、同じ顔を見合わせた。
「よくわかんないけど、わかった。それで保輔が成長できるんなら、みぃの、たくさんあげる」
ドキリとして、顔が熱くなる。
(そん言い回しは狡い、なんかエロいぞ)
仕切り直しとばかりに瑞悠の白い腕が保輔の首に絡まる。
bugsの隠れ家で、二人でリバーシをしていた時を思い出した。
瑞悠にキスをせがまれて、ギリギリで止めた自分を褒めてやりたいと思った。
(あん時よりずっと前から、俺が瑞悠を見とったって、瑞悠は知らんのやろな。いや、少しは話した、やろか。けど、あの日、俺がどないな想いで、お前と一緒におったんかは、知らんやろ)
反魂儀呪の命令で始めた峪口瑞悠の監視は、自分に似た女を眺めるようで嫌気がさした。惰性で続けるうちに、時々ぼんやりとどこかを眺める癖があると気が付いた。
その時の目は決まって、ガラス細工のように綺麗だった。
あの時と同じ綺麗な目が、自分の目の前にあって、自分に向けられている。
そんな今が、信じられない。
(絶対に手に入らん思ぅとった。欲しいもんはいつも指の隙間から滑り落ちて消えていく。手に入れたら壊れて失くしてまう。だから、俺が手に入れたら、あかん女なんやって、傷つけてしまうのやと思ぅとった)
可憐に見えた女は保輔が思うより心も体もずっと頑丈で、自分の方が先にくたばりそうだ。
それが、とても安心できた。
(俺より瑞悠のが強いかもしれんけど、俺かてお前を守りたいねん。同じ場所で同じ目線で同じもん見ていたいんや。せめてそれくらいの力は付けな、隣にいられん)
保輔は、瑞悠に腕を伸ばした。
半開きの唇が保輔に重なる。いつもより何倍も色香が増した顔をした瑞悠が可愛くて、腕が勝手に細い体を抱き締めた。
温かな神力が、流れ込んでくる。
(いつもより、甘い)
何度か触れている瑞悠の神力が、今日は水飴のように甘く感じる。
気が付いたら強く求めて、瑞悠の唇を吸っていた。
「ん……、や、すす、け……ぁ」
艶っぽい声が聞こえて、目を開く。
いつの間にか瑞悠をベッドの上に押し倒して、首筋を食んでいた。
「え? あ……、すまん。そういう、つもりや、のうて」
起き上がろうとした保輔の腕を瑞悠が引いた。
「あかん、これ以上は、したら、止まらんし」
「ねぇ、右手。それって保輔の血魔術?」
「は?」
指摘されて自分の右腕に目を向ける。
琥珀色の気が腕に絡まって、円状に回転していた。
「なんや、これ。知らん、こんなん……」
「それが鬼力だ。良かったな!」
朱華が保輔と瑞悠に向かって、あるはずがない親指を立てた。
「鬼力……、あないに練習しても混ざらんかったのに」
「だから、保輔に足りないもんを瑞悠がくれたからだろ。自分を犠牲にしないで、ちゃんと含めて叶えたい強い願望って、保輔にとって瑞悠なんだな」
ベッドから飛び降りて、朱華が器用に部屋のドアを開けた。
「俺は直桜と護に報告に行くから、あとは好きに続きとかしてろよ」
ばちん、と片目を瞑ってイイ顔をすると、朱華が部屋を出ていく。
ぬいぐるみなのに表情が多様すぎて、つくづく不思議だ。
「報告されたら続き出来るかぁ!」
思わずベッドの上のクッションを投げてしまった。
「みぃは続き、してもいいよ」
伸ばした腕が、保輔の顔を引き寄せた。
間近に迫った瑞悠の顔にドキリとして、動けなくなる。
「いや、待て、今日はそうやのぅて、大事な話が」
言葉とは裏腹に、体が瑞悠に引き寄せられる。
勝手に動いた右手が、瑞悠の頬に触れる。
唾液で湿った唇を、保輔の親指がなぞった。
「保輔の大事な話って、何?」
聞きながら、瑞悠が保輔の親指を甘く食んで、舐めた。
柔らかくて温かな舌の感触に、頭が真っ白になった。
「だから、俺は、瑞悠が恋愛感情とかなくっても、その、アセクシャルについて色々調べて、それでもええって、一緒に生きていく相棒でいたくてやな」
瑞悠に大事な告白をされた日以来、アセクシャルについて、必死に調べた。
恋愛感情がないだけで愛情自体は持っている人々であること、個人差も大きいこと、アセクシャルであっても結婚する人も子供を産む人もいるということ。
もっともっと、たくさん調べて、話したい内容もシミュレーションしていたのに、頭が回らない。
「俺らには、俺らの形がきっと、あって、作っていければ、良いって、だから」
堪らなくなって、押し倒したままの瑞悠に抱き付いた。
潤んだ唇を強く吸って、顔を上げた。
「結婚しようや、卒業したら。月並みもええとこやけど、周りに納得してもろた上で、お前を独占できる方法が他に思いつかん、て。……え?」
目の前に、男がいる。
瑞悠が横たわっていたはずの保輔の腕の中に、初めて見る、いや、見覚えがある顔をした男がいた。
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