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第47話 瑞悠TS事件

 二階の保輔の部屋に行ってみると、智颯が円に後ろから羽交い絞めにされていた。 「智颯君、落ち着いて、落ち着いてから扉、開けよう」 「扉を開けなきゃ落ち着けるかどうか、わからないだろ! 離してくれ、円。今回ばかりは僕も一発くらい保輔を殴らなきゃ気がすまない!」 「落ち着く気、ないね⁉」  円と智颯のやり取りを聞いていたら、直桜の動揺が落ち着いてきた。  部屋の中から、声がする。切羽詰まったような、助けを求めるような声だ。  慌てた護が扉を開けた。部屋の奥、声の方へ駆け込む。 「護さ……、智颯君! 助けて、頼むから、助けてくれ!」  智颯の姿を見付けた保輔が涙目で腕を伸ばした。  ベッドの上で男に押し倒され馬乗りにされているのは、保輔だ。  上に乗っている男が振り返った。 「あれ? 皆、どうしたの?」  声は低いし、何故か髪も短いが、表情と話し方が瑞悠だ。  何より、感じる神力が瑞悠だった。 「何、してるんだ。どうして、瑞悠が、保輔を押し倒してるんだ」  智颯が、落ち着いているというより呆然として問うた。  自失する寸前に見える。 「なんかねぇ、ヤスの血魔術のお酒飲んだら男になっちゃってね。何やっても戻らないから、もう一回みぃの神力流し込んでお酒飲んだら、どうかなって思って、試そうとしてたの」  くねっと首を傾げて、瑞悠がふにゃりと笑う。  一見すると智颯が保輔に馬乗りになって可愛い仕草をしているように見える。  隣に立つ円が、顔を強張らせていた。 「酒は何回飲んでも変わらんかったやろ! この酔っぱらいが! それより直桜さんか智颯君に浄化してもろた方がよっぽど現実的や!」  保輔が蒼白な表情で必死に訴える。  二人の態度が対照的すぎて、何も言えない。  特に智颯が怒りの矛先を失っているように見えた。 「でもぉ、二人で色々試したほうが楽しいよ。折角、恋人になれたんだしさ。子供が出来たら、結婚しよ」  瑞悠が保輔の上に寝そべる。 「そいうのは卒業するまで、あかん。てか、今は何しても子供はできん」  涙目で弱々しく保輔が呟く。  保輔の様子から、直桜たちが来るまで恐らく瑞悠に襲われていたんだろうなというのは想像がつく。  見ているこっちが気の毒になってきた。  瑞悠の体がもぞりと動いて、保輔の体がビクリと硬直した。  保輔の目が智颯に向く。 「ち、智颯君……、いや、誰でもええから、瑞悠を俺の上から退けてや。抑え込まれると、瑞悠のが力強ぅて、逃げられん」  ああ、と納得の顔になってしまった。  普段から大薙刀を軽々と振り回している女子だ。  護が瑞悠の脇に手を入れて、ひょいと体を持ち上げた。 「あぁ! 化野さん、離してよぉ。みぃ、もっとヤスとくっ付いてたい」  酒のせいなのか、瑞悠の話し方や仕草がいつもより女子っぽい。  姿は男なので、なんだか変な感じだ。 「保輔君が困っていますよ。今は少し、離れましょうね」  護に優しく諭されて、瑞悠が仕方なく抵抗を止めた。  保輔が起き上がり、大きく息を吐くと、すぐにベッド上に正座になり頭を下げた。 「智颯君、すまん! なんでこうなったんか、俺にもよくわかれへん。瑞悠の神力で鬼力が何とかなった。その後に、たまたま流れてた血魔術の酒を瑞悠が舐めてしもてん。それで、気が付いたら男になっとった」  じっと保輔を眺めていた智颯が、瑞悠に目を向けた。 「気にしなくていいのにぃ。みぃはもう少し、男のままでも良いけどなぁ」  保輔の慌てぶりに反比例するように瑞悠は落ち着いている。  それどころか、この状況を楽しんでいるようですらある。  智颯が瑞悠に歩み寄って、その頬を張った。  全員が、ドキリとして動きを止めた。 「保輔が今まで、どれだけ我慢してどれだけ考えて、瑞悠を大事にしてきたと思ってるんだ。僕にも気を遣って、瑞悠が祝福されるような迎え方が出来るように、どれだけ頑張ってくれてたと思うんだ」  智颯の言葉に、一番呆然としていたのは保輔だった。 「それを瑞悠が自分から壊すのか? 瑞悠にとって保輔がその程度なら、僕は祝福しない。保輔に申し訳ない」  張られた頬を抑えて、瑞悠が俯いた。 「いや、智颯君、その。嬉しいけど、違うねん。瑞悠が男になったんは俺のせいで、押し倒したんも神力を流そうと」 「そうじゃないよ。そうじゃないだろ、みぃ」  保輔の言葉を遮って、智颯が瑞悠を見詰めた。  瑞悠が、ちらりと目を上げた。 「……うん。ごめんなさい。最初は保輔を、慰めるだけのつもりだったの。でも、段々みぃも保輔とイチャイチャしたくなっちゃって、調子に乗りすぎた」  瑞悠が神力を展開して自分自身を浄化する。  姿が、あっという間に女に戻った。 「は? なんで? 何やってもダメやったのに」  一番驚いているのは、やっぱり保輔だった。 「みぃも惟神なんだから、自分で浄化できるよ。僕や直桜様でなくてもいい」 「……あ、そっか」  円が、皆の想いを代弁してくれた。  目から鱗とは、このことだと思った。 「つまり、瑞悠ちゃんは、男の姿で、保輔と、イチャイチャ、してたかった、の?」  円の問いかけに瑞悠が気まずそうに頷いた。 「保輔に元気出してほしかったから。男の子だったら、もし何かあっても子供出来たりしないし、保輔もいつもより近付いても怒らないし。最初は偶然だったけど、保輔の血魔術だってわかったから何回か飲ませてもらって、わざとそのままでいた」  瑞悠の言い訳を聞いて、保輔が盛大に息を吐いた。 「良かった、戻ったぁ。戻らんかったら、どないしよかと思ぅた。そうやんなぁ、瑞悠も惟神やん。浄化できるわなぁ。なんで思い付かんかったのやろか」  心底安心した顔で保輔が笑う。   「なんか、悪かったなぁ。俺が大事にしちまったみてぇだ。覗き見してたら瑞悠が突然、男になったから俺も慌ててよぉ。放っておいてイチャイチャさせてやりゃ良かったなぁ」  朱華が保輔の膝に乗り、ポンポンと腕を叩く。 「覗き見しとったんかい。やったら解決法にも気付けや」  保輔が朱華の頭を拳で挟んでグリグリしている。  その顔が、もう安心しきった笑みだ。 「保輔、ごめん。保輔がいつもくれる誠意に、僕と瑞悠の方が足りてなかった」  智颯が保輔に向かい、頭を下げた。  それに倣って、隣の瑞悠も頭を下げる。 「いや、えっと。そないに堅苦しく考えんでええよ。俺はやりたいようにしとるだけやもん。けど、智颯君の言葉は嬉しかったよ。やっぱり、お兄さんやわ」  保輔が照れた顔で頬を掻く。 「俺が普段からもっと瑞悠と、なんや、スキンシップ? とれてたら良かってんな。そしたら、瑞悠に寂しい思いさせんと。けど、恋人になったんはついさっきやしな。これからは、もうちょっと抱くわ」 「そこまでしていいとは言ってない。恋人になったのか? ついさっき?」  智颯が瑞悠を振り返る。  瑞悠が無言で頷いた。 「…………そっか、お、おめでと、う」  俯いた顔を手で覆いながら、智颯が地を這うような声を出した。  そんな智颯を円が苦笑いで眺めている。 「でも、なんで瑞悠は保輔の酒で男になったんだろうね。保輔の血魔術って、詰まるところ、どんな感じなの?」  直桜の中に在る一番の疑問は、そこだ。  保輔が腕を組んで首を捻った。 「俺にも、ようわからん。ようわからんて感じに、しときたい、今は。折角、智颯君も、ああ言ってくれたのやし」  捻った首が、ずんずん下がっていく。 「出来るわけないだろ。少しでも何かわかるなら、言え。何でもいいから、吐け」  智颯が保輔の首を絞めて顔を上向かせた。  いつもの光景だなと思う。 「だって、話したら智颯君、怒るもん。正解かどうかも、わからんし」 「つまり僕に怒られるような何かを、みぃにしたんだな」  智颯の手が保輔の首をグイグイ締める。 「もう怒っとるやん」 「智颯君、それ以上締めたら、保輔も話せないから」  円に促されて、智颯が仕方なく手を離した。 「多分、俺が望んだから、やと思う」  円と智颯がパチクリ、と目を瞬かせた。 「俺の血魔術は酒や。気化した煙を円状の刃物にして攻撃も出来るけど、一番の威力は酒の成分やねん」  保輔の腕に琥珀色のバングルが捲き付いていた。  腕を上げるとバングルが形を変えて大きくなり回転して、まるで月の刃ようになった。 「色が変わったね。鬼力の色?」  直桜の質問に、保輔が右手を上げた。 「ん、瑞悠に神力分けてもろて鬼力が成ったら血魔術もちょっと変わってん」 「そういうことか」  琥珀色は瑞悠と保輔の勾玉の色だ。  瑞悠の神力が混ざった為に、鬼力だけでなく血魔術も進化したのだろう。 (保輔が自分を大事にするために必要な想いは、瑞悠だったんだな)  自分も瑞悠を守りたい、隣に居たい。そんな思いがきっと鬼力を成すために必要だったんだろう。 「俺の酒は毒にも薬にもなる。俺が願えば成分が変化する。どこまで変化させられるかは、俺の想像力次第や。せやから、やな」  保輔が言い淀んだ。 「みぃが男だったらいいなって、思ったのか?」  智颯の驚いたような声に、保輔が小さく頷いた。 「直桜さんと護さんとか。智颯君と円とか。羨ましかってん。俺は理研生まれでこないな体やし、もし瑞悠が男やったら思う存分抱けんのになって(よこしま)な発想をしました、だからすんません!」  勢いで話すだけ話して済崩し的に保輔が土下座した。  智颯も円も何も言えずに呆然としていた。 「流石に保輔を責められないね、智颯。瑞悠と同じ気持ちだったワケだからね」  先手を打つが如く、直桜は釘を刺した。  理研生まれの保輔が精子をいじられている事実は、皆知っている。受精率が九十パーセントを超える上に発情すると我を忘れてしまうから、迂闊に瑞悠を襲わないようにと悩んで苦労しているのも知っている。  そんな自分から瑞悠を守るためにしている保輔の忍耐や努力を、智颯は特に身を持って知っている。 「瑞悠も、わざと神力を抑えて保輔の酒を舐めたんだろ? じゃなきゃ、体に入ってすぐに浄化される」  瑞悠が直桜の視線から目を逸らしたまま頷いた。  惟神である瑞悠に血魔術は効果がない。狙って罹りにでもいかない限り、術はきかない。もっというなら、速秋津姫神が協力したのだ。瑞悠に保輔の血魔術が掛かるように神力を抑えた。  二人の話や状況から考えて、瑞悠すらも気が付かないレベルの速秋津姫神のささやかな悪戯がきっかけだったのだろう。  普段、四神の中で一番慎重なはずの神様は、保輔に関する事柄だけは手が早い、というか甘い。 (保輔が俺の眷族になったから、焦ったのかな。でも、眷族契約は秋津も賛成でむしろ急かされたって保輔は話していたけど)  どういう理由かわからないが、どうやら速秋津姫神は瑞悠と保輔の関係の進展を望んでいるようだ。  智颯が思い詰めた顔で俯いた。 「時々なら」  智颯が、ぽつりと呟いた。 「時々なら瑞悠が男になって二人でイチャイチャしても見て見ぬ振りくらいなら。いや、僕に気付かれないようにやってくれ!」  ぎゅっと目を瞑った智颯が大きく声を張った。 「智颯君、頑張ったね。偉い」  円が優しく智颯の肩を抱いて労っている。  保輔と瑞悠が顔を見合わせて苦笑いした。 「でも、みぃが男になったら抱くのはみぃかも。保輔、可愛かったし」  爆弾発言が投下されて、全員が唖然となった。 「それなら、許せるかもしれない」  何故か智颯が真顔で納得した。 「ちぃが許してくれたから、男になったら保輔がみぃに抱かれてね。いっぱいイチャイチャしよ」  瑞悠の指が呆然とする保輔の顎を、くぃと持ち上げる。  その姿がもう喰われているなと、直桜は思った。

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