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第52話 養子縁組の本音

 結局初日は『封じの鎖』の基本対策で終わった。  基本的な破り方を覚えた後は、封じる四季の妖力を強くしたり、状況のシミュレーションをして、より実践的な訓練になった。  惟神本人の力の使い方、眷族とのコンビネーションなど確認するうちに、あっという間に三日が経った。  特殊訓練開始五日目、直桜たちはようやく次の段階である『穢れた神力』対策、つまりは精神操作対策に入った。 「俺、直桜さんたちのマンションに泊まらせてもらえて良かったわ。白金台から電車で移動してくんのすら、しんどいかもしれん」  五日目の朝、地下八階にやって来た保輔がそんな弱音を零していた。  年末から保輔は直桜たちのマンションで暮らしている。年明けに一度戻ろうとした保輔を、陽人が止めた。訓練を想定するならより近場が良いという陽人からのアドバイスだった。 「それで今朝は朝ごはんに来なかったんですね。ご飯はちゃんと食べないとダメですよ。体力が持ちませんから」  いつもなら時間になれば直桜たちの部屋に朝食をとりに来る保輔だが、今朝は来なかった。どうやら寝坊したらしい。 「そんなことだろうと思って、おにぎりを作ってきましたから、今のうちに食べてください。今日もきっとハードですよ」  護からおにぎりを受け取った保輔が目を潤ませて見上げている。 「お兄ちゃんや」  護に抱き付く保輔を、直桜はまんじりと眺めた。 「別にもうやめろって言わないけどさ。保輔は何で護にだけそんなに抱き付きたがるの? 他の人にはしないよね。家だと陽人にもしてるの?」  振り返った保輔が嫌そうに顔を顰めた。 「陽人さんに抱き付くとか、罰ゲームでもしたないわ。一回でもそないな真似したら末代まで祟られるで」 「怨霊じゃないんだから」  気持ちは解らなくもない。直桜も陽人に抱き付こうとは思わない。 「じゃぁ、俺に抱き付くかい? 化野にばかり抱き付くと、瀬田君に嫌われるよ」  優士が後ろから保輔を抱き締める。  保輔が蒼い顔をした。 「アンタも陽人さんと同じや、同じ匂いがする人間や。やめてや」  保輔が割と本気で焦っている。  陽人といい優士といい、保輔には癖が強い人間に好かれやすい傾向があるなと思う。 「おはようございます」  訓練室に入ってきた智颯と円が、じゃれ合う保輔と優士を見付けて、首を傾げた。 「親子の、触れ合い?」 「ついにお父さんて呼ぶ決心をしたのか、保輔。おめでとう」  円と智颯があまりに普通のテンションで語る。 「いつから一緒に住む? 俺は今日からでもいいけど」  優士が、そう言いながら保輔を強く抱き締める。  最早、親子の会話にすら聞こえない。 「呼ばんし、住まん! 乗っかんなや。智颯君と円も揶揄うなや」 「保輔はもう僕と住んでいるし、今後は僕をお父さんと呼ぶ予定だから、抱き付いても祟ったりしないよ」  優士の後ろから陽人が顔を出して、保輔が顔を蒼くした。 「突然来て何、怖い話してますのん。やめてや。陽人さんの口から出ると本当になりそうで怖い」  保輔の怯え方が尋常じゃない。  優士が保輔を抱き締め、いや、羽交い絞めにしたまま陽人を振り返った。 「てことは、決まったのかな。お父さんのポジション取られちゃうのは、残念だな」 「父親は何人いてもいいだろ。僕もシゲも保輔の父親ってことで」  優士と陽人の間だけで完結する話をしている。  直桜にとっては嫌な予感しかしない。 「突然来て、どうしたの、陽人。保輔を揶揄いに来たの?」 「お前たちを鼓舞しに来たんだよ。皆、仲良くやっているようで良かった。訓練も順調なようだしね」  陽人の目が忍に向く。 「封じの鎖対策は惟神全員が体得済みだ。思ったより順調だぞ。今日から、穢れた神力対策に入る」  陽人が満足そうに笑んだ。 「ケータリングでも用意しておくよ。頑張ってくれたまえ。それと保輔は僕の息子として、今年中に桜谷家の養子に迎えると決まったからね。詳細は追って話すよ」  ついでのように言い添えて、陽人が背を向ける。  ぽかんと口を開けて、保輔が呆けた。  すぐに我に返って、その背中を保輔が掴まえた。 「ちょっと待ちや、そないな話、聞いとらんし。俺は養子になんか、なるつもりない! 勝手に決めんなや!」  振り返った陽人が保輔を横目に眺める。 「逃がさない、と伝えたはずだ。僕以外の誰かの元へは行かせられない。お前には一生、僕の監視下にいてもらう必要がある。その為の縛りとして、養子縁組は妥当だろ。お前に拒否権はないよ」    拳を握り締め、保輔が歯ぎしりした。 「何や、それ。アンタには世話んなっとるし、尊敬もしとる。普段から横柄な話すんのは只のキャラやと思ってたけど、違うのやな。俺は、桜谷家の養子になんかなる気ない。俺は一生、伊吹保輔のままや!」 「構わないよ。伊吹の姓を使いたいなら、使うといい。ただし戸籍上は、僕のモノになってもらう」  保輔の啖呵を、陽人はさらりと躱した。 「モノってなんや。俺はモノやない。俺はアンタのモノにはならん。そんなん結局、千晴と同じやないか。なんで、なんで皆して俺を良いように使いたがんねん。なんで、放っておいてくれへんのや」  歩み寄った護が、保輔を後ろから抱き締めた。 「違うんですよ、保輔君。大丈夫、桜谷さんは、保輔君を悪いようにしようとは思っていません」  その隣に立って、直桜は呆れた目で陽人を眺めた。 「保輔を守るためだって、はっきり言いなよ。何で普通に話せないの?」  直桜は保輔を振り返った。 「陽人は元々、保輔を養子にしたいって考えていたんだよ。けど、保輔は律姉さんに気を遣ってただろ? それも知ってるから決めかねていたけど、理研が保輔を取り戻そうとしていると分かった。警察庁副長官の息子なら、流石の理研でも迂闊に手が出せない」  保輔が動きを止めた。体の力が抜ける。  顔は依然、強張ったままだ。 「それに、瑞悠とも結婚の約束、してたよね? 桜谷集落は狭い田舎だから、家柄とか煩いんだ。集落筆頭桜谷家の養子なら峪口家から文句も出ないし、集落も一応は納得する。桜谷家から峪口家に保輔が婿に入るなら、律姉さんへの気遣いも無用だろ? 保輔に安心できる立場をあげたいだけなんだよ」  直桜の一通りの説明を聞いて、優士が吹き出した。 「あーぁ、瀬田君に全部ネタ明かしされちゃったね。今回ばかりは悪役にはなれないよ。残念だったね、桜ちゃん」  そう言って陽人の肩を叩く優士は楽しそうだ。  陽人が不機嫌そうに小さく息を吐いた。 「随分とよく話すようになったね、直桜。他人の事情に興味などなかったお前が、僕の都合も考えずに他人の心情をベラベラと話せる度胸のある子に成長してくれて、嬉しいよ」  陽人の顔に迫力がある。いつもより怖い。  直桜より、後ろの方にいる智颯や円の方が怯えている。 「陽人にも思惑とかあるんだろうし、申し訳ないとは思うんだけどさ。保輔に関しては、これ以上、傷付くような話をしてほしくないんだよ。もう充分辛い思いしてるからね。それに保輔は俺の眷族だ。主が眷族を守るのは、当然だろ」  直桜の言葉に、陽人が一瞬、目を見開いた。  次の瞬間、目を歪ませて、クックと笑った。 「ふ、ふふ。あぁ、そうか。直桜は守られる主じゃなく、眷族を守る主に、なりたいんだね。なら仕方がない。僕も直桜のために、時には素直に話をしてみようか」  ぽん、と直桜の肩を叩いて、陽人が保輔の前に立った。 「凡そ、直桜が話した通りだ。僕が保輔を欲しいと思っているのも、守りたいのも本当だよ」  陽人が保輔の頬に手を添えた。 「保輔に、お父さんと呼ばれたい。だから、考えておいてくれるかい? ほぼ決定事項だから、決意の時間でしかないがね」  保輔が俯いたまま、陽人の手を握った。 「ほんまに、素直やない、面倒な、親父や」  陽人の胸に頭をぶつける。  申し訳程度に腕を回すと、保輔がほんの少しだけ抱き付いた。  まるでタックルでもしている姿勢だが、きっと保輔なりの精いっぱいの抱き付きなんだろう。 「アンタが守ってくれる分、俺もアンタを守ったる。わかりずらい性根が理解できるまで、仕方ないから傍にいたる」  陽人の手が保輔の背中を撫でた。 「理研になど、くれてやる気はない。保輔は直桜の眷族で13課の大事な術者で、僕の可愛い息子、だからね」  陽人の顔が珍しく素直に優しくて、直桜はようやく胸を撫でおろした。 「優しくて素直じゃないお父さんが二人になりましたね」  護の言葉に、小さく噴き出す。  保輔より陽人の方が嬉しそうに見えて、なんだか微笑ましかった。

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