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第53話 能力開化の神様の噂 

 保輔が、ガツガツとおにぎりを食べている。  正月に見たのと同じ怒り眉が気になる。 「ゆっくり、食べなよ。はい、お茶」  円が手渡したお茶を受け取ると、ゴキュゴキュ飲み干した。 「素直な陽人を見て驚いたのだろう。俺も驚いた」  後ろから声を掛けた忍が言うだけ言って、顔を隠して笑っている。  つられるように優士が思い出し笑いをしている。 「驚いたんじゃなくて、面白かったんでしょ、忍と重田さんは」  直桜の呆れた声に、梛木も笑った。 「|陽人《ひの》坊のネクタイを引っ張ったり、素直に気持ちを吐かせたり。直桜は|陽人《ひの》坊にとり、意外な成長をしておるようじゃ。見ていて飽きんわ」  清人が槐に拉致られた時、確かに陽人のネクタイを引っ張って啖呵を切った。  あれは直桜にとって勢いだ。 「ネクタイを……? 陽人兄様のネクタイを引っ張ったんですか? 直桜様が?」  智颯が信じられない生き物を見る目で直桜を眺めている。ちょっと悲しくなる。 「いや、あの時は清人が突然、拉致られたりして、俺もちょっと腹が立ったというか、陽人があまりにも素直じゃないからさ」 「あぁ、アレってあの時だったのか……。だったら、俺のせいでもあるな」  清人が遠くを眺めている。  あの場に清人はいなかったのに、どうして知っているんだろうと思う。  撮っていた写真でも見せられたんだろうか。 「あの時の直桜は、頼もしく見えましたよ」  護のフォローは嬉しいが、何となく辛い。 「何にせよ、陽人を素直にさせたくなったら直桜を使うのがよさそうだ」  忍がまだ笑っている。そんなに面白かったのだろうか。 「素直やない。本当に素直やないわ。アレが俺の親父になるんか。面倒で敵わん」  ぶつぶつと愚痴る保輔の顔は、さっきまでの引き攣った表情ではない。  どこか安心して見えるし、何よりちょっと嬉しそうだ。 「じゃぁ、俺を親父にするかい? 今なら間に合うよ」  じゃれつく優士を保輔が振り返る。 「重田さんは、お父さんや。陽人さんは、なんか、親父って感じや」  優士の動きが止まった。  保輔に突然、後ろから抱き付いた。保輔がビクリを体を振るわせた。 「やっと呼んだね、保輔。保輔にはお父さんと親父がいるから、好きな時に好きな方に頼りなさい。俺も桜ちゃんも頼られるのは嫌いじゃないからね」  優士の腕が保輔を優しく抱きすくめる。  何となく、本気で嬉しいんだろうなと思った。 「ん、わかった、お父さん」  そう呟いた保輔は照れた顔をして、耳を真っ赤にしていた。  可愛いなと思った瞬間、優士が保輔の頭をわしゃわしゃに撫でたので、きっと同じ気持ちだったのだろう。 「遅くなってすまなかった。今日は助っ人が来てくれたよ」  訓練室に修吾が入ってきた。一緒にやって来たのは、鳥居兄弟だ。  開が直桜たちに向かって手を上げた。 「やぁ、瀬田君、化野くん。円も智颯君も、元気だったかい?」  歩み寄った開が保輔に手を差し出した。 「君が噂の伊吹山の鬼だね。初めましてだね。回復室室長の鳥居開だよ。清人の幼馴染で、円の呪禁師仲間だ。よろしくね」  開の手を握って、保輔がぺこりと頭を下げた。 「怪異対策・組織犯罪対策担当所属の、伊吹、保輔いいます。よろしゅう」 「桜谷保輔って名乗ってもいいんだよ」  後ろからこっそりと優士が耳打ちする。  こっそり、というには大きな声だったので、周囲にいる人間にはしっかり聞こえているのだが。 「桜谷副長官の養子縁組の噂は、本当だったのか」    開の後ろで閉が、ぽそりと呟いた。 「同じく回復室纏め役の鳥居閉だ。開の弟だ、よろしく」  同じように差し出された手を握って、保輔が恐々聞いた。 「あの、養子縁組の話、もう噂になってますのん?」 「伊吹君自身が有名人だからねぇ。桜谷さんの大のお気に入りって話も既に有名だから、養子縁組の噂はだいぶ前からあったよ」  開が、カラカラと笑いながら話す。  まさに噂から独り歩きした虚構が事実になった典型例だなと思った。 「伊吹君は、瀬田君以来の面白い噂だから、13課の関係ない部署も興味津々なんだよ」 「え? 俺も?」  開が突然、直桜の名前を口に出して驚いた。 「直桜様は、13課に来る前から、有名人、でした、よ。俺ですら、知ってた、くらいには」  噂に疎そうな円まで知っていて、しかも入職前から噂されている状況が理解できない。 「あ、そっか。円くんは草だから。噂とか色々知ってるとか、そういう感じだよね、きっと」    直桜の言葉を否定するが如く、円が首を横に振った。 「直桜の噂は、直桜に出会う前から私も知っていました。初めて会った時にも話した気がしますが」  護が申し訳なさそうに話す。  言われてみれば、それらしい話をされた気がしなくもない。 「自分の力が大嫌いで13課に来ない最強の惟神が噂にならないわけがないよ」  ははは、と笑いながら開が躊躇なく言い放った。 「すまない、瀬田君。開に悪気はないんだ。ただ、そういう噂があったというだけだ」 「うん、もういいよ、別に。今は13課に来たわけだし、もうない噂だろうし」  閉が間髪入れずに詫びを入れてきた。その表情の方が気の毒に思えてしまった。  噂など今更、気にしても仕方がない。 「今は、入職した途端に快進撃を続ける最強の惟神って感じだね。伊吹君とセットで有名だよ」 「伊吹君だけじゃなく、円や化野くんや霧咲さんともセットだ。関わった術者が皆、レベルアップしているから、能力開化の神様になっているぞ」  開と閉の説明に、直桜は血の気が下がるのを感じた。  護や円も同じ顔になっている。 「確かに能力開化、ご利益、ありそうですね」  智颯が納得した様子で一人、頷いている。  直桜からしたら大変に迷惑な噂だ。 「俺は何もしてないよ。皆がそれぞれに努力して、レベルアップしてるんだよ。何でそういう噂が広まるのかな」 「年末年始だったからねぇ。噂ってのは宴会とか飲み会で広がっていくんだよ」  開があっけらかんと答える。  何となく、出雲の宴を思い出した。他人の噂話を好む傾向は、神世も現世も変わらないらしい。 「なんにせよ、気にしないのが一番だ。振り回されるのは、馬鹿らしい。しかし、保身のため内容の把握だけはしておくことを勧める。面倒だけどな」  閉が具体的なアドバイスをくれた。  眉間に深く刻まれた皺から、苦労が垣間見えた。 「閉さんて、やっぱり優しいよね。ありがとう」  閉には素直にお礼を言う気になる。  言葉や表情の端々に垣間見える気苦労を感じ取るからだろうか。 「俺は経験に基づいたアドバイスをしただけだよ」  照れた顔で目を逸らす閉は、前に会った時と同じように可愛いと思った。 「ところで、開さんと閉さんは何で来てくれたの? 訓練の講師?」  直桜の問いかけに、開が白い箱を持ち上げた。 「講師というより、助手だね。今日の講師は清人と修吾さんだろ」 「え? そうなの?」  清人に目を向ける。  ちょっと不機嫌な顔で頷かれた。  開が意外な顔をした。 「清人、何も説明してないの?」 「陽人さんが突然来て、爆弾発言投下していったから、時間押してんだよ」  清人も陽人相手だと、文句も言えないんだろう。 「なるほどねぇ。じゃ、軽く座学から始めますか」  開が忍に視線を送る。 「そうだな。封じの鎖対策が思ったより早く終えられた分、時間はある。焦る必要もない。皆、疲れも溜まってきているだろう。今日は座学で終了でもいいくらいだな」  忍が清人の肩をぽんと叩く。  清人が諦めた顔で息を吐いた。 「清人はね、皆に早く穢れた神力対策を叩き込んであげたいんだよ。後半組の方が狙われる危険が高いから、心配してるんだ。時間をかけて丁寧に教えてあげたいって思ってるんだよ」  開がこっそり、というには大きな声で皆に清人の心情を解説した。 「全部聞こえてんだよ! 俺はそんなにお人好しじゃねぇからな!」  清人が開に向かって遠くから怒鳴り付ける。 「お人好しが言いそうな典型的な台詞やんな」  保輔の言葉に、皆が吹き出した。

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