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第54話 褒め殺し
白い箱を持って、開が移動する。
初日に座学を行ったソファの前で、箱を降ろした。
「じゃ、皆、一旦こっちに来てソファに座って。今日は座学が終わったら帰って良いって忍班長が言ってくれたから、寝ないで頑張ろう!」
開の激励に忍が微妙な顔をした。
「良いかもなとは言ったが、決定事項じゃないぞ」
「まぁまぁ。根を詰めすぎても疲れるだけで成長しませんて」
開が、いつもの笑みで忍に向き合う。
遠巻きに眺めていた梛木が近付いて、保輔の頭を後ろから小突いた。
「休ませてやるのは、アリかもしれぬな。一番、疲弊しておるのは、保輔じゃ」
確かに今朝も寝坊してきたし、鬼力の停滞は直桜も感じるところだ。
「嫌や、休まん。皆が訓練するんなら、俺もする」
保輔の眉がまた怒り眉になっている。
こういう時の保輔は、どうやら意固地になっているらしいと、直桜もようやくわかってきた。
「封印されていた霊元開花後の直霊術と強化術の強行訓練、月山出張。更には直桜の眷族になり鬼力が開花して、強い神力が流れ込んできておる。度重なる酷使で霊元が疲弊しておるぞ」
梛木の目が真剣だ。いつもの揶揄う感じではない。
それが余計に保輔の逼迫した状態を裏付けるようだった。
「よく考えたら、それだけの成果をたったの二ヶ月で熟したんだよな。保輔、偉い」
智颯が保輔の頭を撫でた。
突然の行為に保輔が固まっている。隣に座った円が、智颯の手を握った。
「智颯君、間違ってる」
「あ、ごめん。円と同じ感覚で褒めちゃった」
「いや、別にええけど。円はいつも智颯君に褒めてもろてるもんな。ありがと、智颯君。嬉しいもんやね」
保輔の素直な笑みに、褒めた智颯の方が照れた顔をしている。
三人のやり取りが直桜には微笑ましく映った。護も見守るように微笑んでいる。
「梛木の言う通りか。難なく熟して見えるから、意識しなかったな。すまない。保輔はこの後、梛木に癒してもらえ。今日は座学だけでいいぞ」
忍の言葉に、保輔が顔を上げた。
「他の人は訓練するのやろ。やったら俺もする。足、引っ張りたくないねん」
「ダメだ。保輔は神倉さんとこ行くように。他の奴らのメニューは軽めにしとくから心配すんな」
保輔の顔が清人に向く。また怒り眉になっている。
「疲弊したまま訓練を続ける方が足を引っ張る行為だ。自分の状態を客観視すんのも術者に必要な資質だ。覚えとけよ」
「けどっ、理研は俺を狙っとんのやろ。天磐舟に狙われとるんと同じやって藤埜室長も言うとったやん。ゆっくり構えていられん」
前のめりになる保輔を智颯が引っ張った。
「藤埜室長の言葉は正しい。僕も冷静じゃない時に、叱ってもらった。保輔も今、ちょっと意固地になってるだろ。そういう時は先輩の言葉を聞いたほうが良い」
保輔を諭す智颯を、清人がちらりと眺める。
「一日くらい休んだって、保輔なら取り戻せる。心配ないよ」
円にも励まされて、保輔の眉が下がる。
直桜は護と顔を見合わせた。
「じゃ、たまには主から命令とかしようか? 保輔は座学の後、梛木のとこね。梛木は熊野の化身、蘇りのエキスパートだから、艶々にしてくれるよ」
保輔が直桜の顔を、じっと見詰めた。
「蘇りって、俺、一回死ぬのん?」
「いや、そうじゃなくって」
「回復室には八瀬童子お手製のサウナと温泉もあるから、神倉副班長の神力で蘇りの湯にしてもらったら死んでなくても生き返れるかもねぇ」
開が楽しそうに訳の分からない話をしている。
「13課って何でもあるのやな。手厚いわ。やったら余計に、今でなくても……」
呆気に取られながら、保輔が感心した。
清人が保輔と智颯の頭を、がっつりと掴んだ。
「お前らは13課の未来を担う期待の術者だ。つまんねぇ壊れ方されても困るんだよ。この仕事を続けてりゃ、ダメでも頑張らなきゃならねぇ時は必ずある。機を見誤るなって話だ」
智颯から離した手で、清人が円の頭を掴んだ。
「休める時は休むの。それも仕事な。保輔は一人じゃ寂しいらしいから、三人で神倉さんとこ行け」
智颯と円が顔を見合わせた。
「僕も南月山で神力全開放して疲れたから」
「俺も、鬼力の訓練で、疲れてるし」
二人が同時に保輔に目を向ける。
保輔が、ばつの悪そうな顔で目を逸らした。
「そないに言われたら、はいとしか言えへんわ」
微笑ましい三人を直桜と護が眺める。
護の目が清人に向いた。
「清人さんも桜谷さんと同じで直桜に中てられましたか? ちょっと素直ですね」
「そうねぇ、たまにはね」
護の小さな声に、清人が照れ隠しするように首の後ろを掻いた。
笑いを噛み殺している開を、清人がじっとりとした目で眺めている。
「さっさと座学、始めるぞ。じゃなきゃ、いつまで経っても休ませてやれねぇだろうが」
開に恨みがましい目を向ける清人を、修吾が笑った。
「そうだね、始めよう。折角、藤埜君が先輩らしく纏めてくれたからね」
修吾が嬉しそうにディスプレイを展開する。
「修吾さんまで、そんな風に言うんすか。泣きますけど、俺」
「え? 揶揄うつもりで言ってないよ。藤埜君も大人になってるんだなって思ったんだよ。俺が覚えている藤埜君は、まだ高校生とか大学生だったからね」
十年間、寝たきりだった修吾にとっては、大学生の清人が突然、三十二歳になっている感覚なのだろう。
高校生の頃から一緒に仕事をしていたろうから、きっと変な感覚なんだろうなと思った。
「修吾おじさん、じゃなくて、修吾さんと一緒に働いてた頃の清人って、今の俺くらいだったんだね。清人にとっての修吾さんは、俺にとっての清人って感じか」
思わず直桜は呟いた。
現在、四十二歳の修吾の十年前は、きっと今とあまり変わらないんだろうと思う。
清人が恥ずかしそうな目を直桜に向けた。
「……だったら、何だよ」
「ん? いや、いてくれないと困る人だなと思って」
清人が、ガツガツと直桜に歩み寄って、こめかみを両の拳でグリグリした。
「え、何? なんで? 痛い、やめてよ、痛いってば、清人! 護、助けて!」
助けを求めた護は修吾と一緒に笑って眺めている。
「私も清人さんは、いてくれないと困る人だと思いますよ」
護の言葉に、清人が顔を上げた。
「僕も、そう思います。13課組対室は藤埜室長がいないと纏まりません」
「神力も、術の幅広さも、13課随一、ですしね」
智颯と円が続けて褒めるので、清人がどうしていいかわからない顔をして固まっている。
「立派な先輩になったね。十年の月日で藤埜君は大きく成長したんだ」
ダメ押しのように修吾が、しみじみと話す。
その後ろで、開が清人を眺めて笑いを噛み殺していた。
閉が何処か気の毒そうに清人を眺めている。
「皆に慕われとんのやね、藤埜さん。俺は正直まだ、よくわからんわ。優しい人やとは思うけど。とりあえず座学終わったら、ちゃんと神倉さんのトコ、行ってきます」
冷静になった保輔が清人に向かって素直に頭を下げた。
ようやく清人の表情が落ち着いた。
「あんまり、絡みねぇもんな。お前みてぇな奴がいて、良かったよ。ありがとな」
清人が安堵した雰囲気で保輔の肩をポンと叩いた。
憎まれ役を買って出るところなどは、清人は陽人に似ている。損な役回りに慣れている人だ。労われる言葉に慣れていないのは、ある意味で円と同じだなと思った。
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