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第62話 何気ない平穏

 忍の部屋から訓練場に戻ると、すでに解散していた。  直桜は事務所を通って部屋に戻った。  風呂を浴びてさっぱりした護が夕食の準備に取り掛かっていた。 「おかえりなさい、直桜。忍班長に進捗報告、お疲れさまでした」 「え? うん、ちょっと清人と忍の部屋で話してきた」  どうやら訓練の進捗報告という話になっているらしい。  きっと、開辺りがうまく誤魔化してくれたのだろう。 「お風呂、どうぞ。その間に夕飯、作っておきますから」  護は今日も夕飯を三人分、準備している。  保輔が来てから、朝食と夕食は三人揃ってが暗黙の了解になってきた。時期に保輔が上がってくるだろう。いつも律儀に準備から手伝ってくれる。 「何か、貰ったんですか?」  直桜の手に握られた包みに護が目を向けた。 「うん、これね。護と一緒に見ようと思ってたんだ。清人がね、開さんや閉さんや、あと紗月と準備してくれた、俺の13課入職半年記念だって」  包みを持ち上げて、護に差し出す。  護が絶句していた。 「? どうしたの?」 「直桜、すみません。すっかり忘れていました……」  口惜しさを噛み締めるように、護が握った拳を額に当てて後悔している。 「そんなに気にしないでよ。最近、忙しかったしさ。俺も忘れてたくらいだから。というか、意識してなかったよ」  護がフルフルと首を横に振る。 「そういうお祝いは大事にしようと思っていたのに」  護が悔しさを滲ませた声を出した。  そういえば、バイトを初めて一カ月目の時も、護がお祝いをしてくれた。  毎月七日はお付き合い記念でささやかにお祝いしている。   「忘れちゃうくらい、一緒にいるのが当然になってるんだろ。俺はそっちの方が嬉しいよ。護が気を遣ってくれるのも、嬉しいけどさ。もっと何気なく一緒にいたいから」  ちらりと護を見上げる。  照れた目が直桜を見下ろしていた。 「そういう考え方、私も好きですよ。お誕生日をとても気にしていたから、直桜はイベントが好きなんだと思ってました」  八月の護の誕生日を当日になって偶然知って怒った時が、そういえばあった。 「あれはさ、護のお祝い、したかったからで。自分のお祝いをしてほしかったからじゃないというか」  どちらかと言えば、八つ当たりに近い。  あの頃はまだ、一緒に仕事を始めたばかりで、恋人になったばかりで、直桜が護のために出来る何かが少なかったから。 (そうだよな。誕生日に頓着がない護がイベントをきっちりお祝いとか、しなそうだよな。俺のために気を遣ってくれてたんだ)  そういう、さりげない気遣いを護は直桜に沢山くれる。  心がこそばゆくて、申し訳ないけれど、嬉しい。  護の肩に掴まって、顔を寄せた。  唇に触れるだけのキスをする。 「じゃ、さ。訓練の全工程、終わったら、休みの日、一日中一緒にベッドにいて」  耳元で、そっと囁く。  護が妖艶に笑んだ。 「そのお願いは、私の方がしたいくらいです。一日中、直桜を独占させてくれるんですか? 訓練の御褒美みたいで、嬉しいです。いっぱい虐めてしまいそうです」  直桜の耳を指でなぞって、クニクニと揉み撫でる。  その仕草がもう気持ち良くて、声が出そうになる。 「俺へのお祝いだからね。俺がしてほしいこと、護にリクエストしていい?」 「勿論。沢山、我儘言ってください。全部叶えます」  見下ろす瞳が熱を帯びて見える。  護の指が直桜の耳を犯し続けて、気持ちよくなってくる。 「俺、ね、護に……んっ」  唇が重なって、舌を強く吸われた。  絡まる舌が熱くて、甘い。逃げる顔を、頭の後ろをやんわりと支える大きな手が抑え込む。  より深く差し込まれた舌が口内を奥まで犯して、息が止まりそうだ。 (こんなキス、されたら、終われなくなっちゃう)  反応する股間を、護の腰を引き寄せて当てる。  同じように熱くなっていて、安心した。  じゅっと舌を吸って、下唇を舐め上げると、護が唇を離した。 「リクエストは後でじっくり聞きますね。保輔君が上がってきたら、聞かれてしまいますから」 「そ、か。そだね。恥ずかしい、ね」  フワフワする頭で応える。 「違います。可愛い直桜の可愛いお願いを、他の人に聞かれたくないだけです」  言葉と一緒に吐息を耳に吹き込まれる。  さっきまで口内を貪っていた舌が、耳の奥と耳たぶを弄ぶ。 「ん、ぁ……」  くすぐったくて、声が漏れた。 (今日の護、いつもよりエッチだ。こんなの、久し振り……)  縋りつく直桜の体をぎゅっと強く抱いて、護が体を離した。 「いけませんね。直桜が欲しくて止まらなくなってしまいます。訓練中は無しって、約束したのに」 「そ、だね。俺から言ったんだよね、それ」  そんな約束、しなければ良かったと後悔した。  灯った熱を持て余す体を、どうにもできない。 「それとも今夜は、一緒に寝てくれますか?」  また耳元で、護が囁く。  甘い吐息が濡れて敏感になった耳にかかって、擽ったい。  体がぶるりと震えて、直桜は護にしがみ付いた。 「今日だけ、一緒に寝ても、いい?」 「直桜が良いのなら」  直桜の頭を抱いて、護が嬉しそうに髪に口付けた。 (めちゃくちゃ誘われた。こんだけ誘われて乗らないとか、有り得ない) 「ん、一緒に寝たい」  上向いた顔に降りてきた口付けが、同じ気持ちだと教えてくれた。 「清人さんがくれたプレゼントの包み、開けてみましょうか」 「あ、そうだった。これね、俺と護の写真なんだ」  包みを開いて、箱を取り出す。 「私と直桜の? 撮った覚えがありませんが」 「俺も気が付かなかったけど、紗月がずっとカメラ持ってた時期が、ちょっと前にあったよね」 「そういえば、使い捨てカメラで色々撮影してた時がありましたね。13課組対室を立ち上げたばかりの頃でしょうか」 「そうそう、それくらいの頃。あの時、撮ったみたいだよ」  箱を開けると、綺麗なサーモンピンクのフォトフレイムに、直桜と護が笑い合う写真が入っていた。  その上にメッセージカードが載っている。 『直桜へ  13課入職半年記念おめでとう!  直桜と化野くんのお陰で私も13課と清人に落ち着けたから  ありがとうって感じだよ。  朱華ってこんな感じの色かな? 化野くんと直桜の色って感じがするね。  優しくて二人に合ってる。  これからも仲良くね。  私らとも、これからも、よろしく!  清人&紗月(+開&閉)』 「写真立ても紗月が選んでくれたんだって。写真を選ぶのは、きっと皆でしてくれて……、護?」  写真を眺めていた護が、目を潤ませている。 「この写真、さっき直桜が言った何気なく一緒にいる風景ですね。撮られていたなんて、全然気が付かなかった」  護が本当に嬉しそうに笑った。 「そうだね。いつも通りの、自然体だ。護、いつもの笑顔だね」 「直桜も、いつもの笑顔です。日常を切り取ったみたいです」  ピントが少しずれて、背景がややぼやけている写真の中の直桜と護は、カメラなど気にせずに話をしながら微笑んでいる。 「直桜が望んだ平穏に、少しは近付いているでしょうか」  写真を撫でて、護が呟いた。 「充分、平穏だよ。護と直日と一緒の何気ない毎日が、普通に過ぎてる」  今の直桜の生活は、半年前の直桜にとっては普通の生活ではなかった。  今はこの場所にいるのが普通で、平穏な日々だと感じられる。  そんな今が大切で、護の隣にいる自分を素直に好きだと思えた。

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