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第72話 記憶の解析
呪法解析部のモニターを見詰めていた面々は、言葉が出なかった。
流れてきた保輔と稜巳の記憶はあまりにもリアルに予想外な内容で、すぐには整理ができなかった。
訓練室で保輔の発言を聞いてから、忍が記憶の解析と抽出を提案した。
呪法解析部で智颯の神力を触媒に円が解析を行えば大型ディスプレイで確認ができる上、録画保存が可能になる。
本日の訓練を中止して急遽、保輔と稜巳の記憶の抽出を始めた。
一通りの映像を確認して、直桜は静かに頭の整理をしていた。
「伊吹山の討伐は神力確保のための神様狩り、と話していたな。記憶を見るに、それらしい発言があるにはあったが、根拠としては薄く感じたが」
呪物室を出てソファに腰掛ける保輔に、忍が声を掛けた。
「あの場面だけやと、そうかもしれんね。何十年も前から妖怪が住処を奪われて伊吹山に集まっとった。それ自体が陰陽連と天磐舟の妖怪狩りや。けど、より神格化した妖怪が狙われてた」
「だから、角ある蛇も武蔵を追われたのですね?」
護の問いに、保輔が頷く。
「奴らは妖怪を狩りながら神力を探しとったんよ。伊吹山に妖怪が集まるようになって数が増えて、饒速日が助けに来てくれるようになったんが討伐の一番の決め手や。現世に降りてきた神様が狙いやった。それを弥三郎は掴んどった」
「何となくだけどさ、伊吹弥三郎は山の麓の人間とは仲が良かったんじゃないの?」
直桜の問いも、保輔は肯定した。
「伊吹山の鬼が人を嫌うんは、人の霊力を喰らうからや。万が一がないように遠ざけとった。地元の人間はそれを知っとった。せやから、うまい具合に距離感持って付き合うとったんよ」
広がるほどに真実から乖離するのが噂というものだ。
暁薫らしき女と話していた弥三郎は、決して人嫌いな鬼には見えなかった。
「神の力を宿す、か。神様も妖怪も、穢れた神力を作るために集めてんのかと思ったが。保輔と稜巳の記憶を見ると、理研が作りてぇのは惟神かもしれねぇな」
清人の解釈には直桜も同じ考えだった。
惟神の精子を欲しがったのも、強い術者を作りたい以上に、神を宿した人を作りたいからなのかもしれない。
「もしくは人間を神様にしたいのかもね。惟神以上に神様みたいな術者を作りたいのかも」
直桜は呆れ交じりに呟いた。
それを望んでいたのが元・所長である安倍晴子であり、意志を継いでいるのが現・所長の千晴なのだろう。
「分魂術が使える術者なら、考えるかもしれんな。実際、神を人に宿すなど人には過ぎた業だが」
忍の声もまた呆れて聞こえる。
分魂術は上位の禁忌術だ。
魂に作用する術は神に準ずる術として使える術者の方が少ない。
この現世で惟神以外に神を宿す人間の話は聞いた例がない。
その惟神ですら、神が人を選んで降りるというのに。
直桜は息を吐いた。
「だからこそ、神に準じた存在を集めようとしていたのかもしれないね」
角ある蛇も伊吹山の鬼も、もっと言うなら化野の鬼も翡翠も神に準じた存在だ。
神よりは扱い易い妖怪を使って、その魂や力を人に宿そうと考えた可能性は高い。
「久坂部真人か。南月山で連君が話してたっていう真人様と同一人物と考えれば、奴が天磐舟のリーダー格で間違いなさそうだけど。綾瀬の成り代わった姿ってことは、無いかな」
南月山で穂積連が話していた真人様は、恐らくこの久坂部真人だろう。
天磐舟を動かしている人物と考えて良さそうだ。
「有り得るだろ。分魂術が使えるなら、自分の魂を分けて別の人間に移植すりゃいい。巧くやりゃ、最低四人は作れる」
恐ろしい話だが、清人の言う通りだ。
「分魂術は四魂を相手に分け与えて自分自身を作り出す術だからな。他に綾瀬の分身がいても、おかしくはない」
忍の説明に、直桜を始め全員がぞっと息を飲んだ。
およそ、人が使う術とは思えない。
直桜はディスプレイに向き直った。
「饒速日は捕らわれていると考えて間違いないね。久我山あやめの封じの鎖じゃ、弱ってる饒速日には外せない」
キャリーケースの中で楓の封じの鎖に囚われていた枉津日神ですら、抜け出せなかった。
久我山あやめの封じの鎖は楓の鎖より何倍も強力に感じた。
「饒速日命様は、私を武御雷神様の元に預けて伊吹山に戻った後も捕らわれて、何とか抜け出したのに、また私のせいで捕らわれてしまったのです」
稜巳が悲しそうな顔で俯く。
優士が優しく稜巳の肩を撫でた。
「稜巳のせいじゃない。気に病まなくていいんだよ」
「優士様は、お優しい。けれど、私のせいです。私が神許を降りなければ、真人とかいう人間に付いていかなければ、起きなかった事態です」
悪いのは稜巳ではない。
だが、軽率な行動であったのは事実だ。記憶や今の稜巳を見ていると、どうにも世間知らずなお嬢様に感じる。少女の姿の稜巳と、受ける印象が大差ない。
「稜巳は一人にならない方がよさそうだね。反魂香を持っている以上、反魂儀呪には狙われ続ける。場合によっては天磐舟もまた狙ってくるかもしれないしね」
「忍さんか神倉さんとこにいた方がいいんじゃねぇか?」
直桜と清人に次々に忠言されて、稜巳の顔が不満げに歪んでいる。
「けれど、私は優士様と暮らしたいです。優士様の周りには英里の思い出がたくさん残っている。私は英里も優士様も大好きで、離れたくありません」
弱々しくもしっかり自己主張してくる辺り、気の強い女子らしい。
妖怪は特定の個人に執着する場合が多いと紗月が話していたが、これかと思った。
「それについては、後で忍さんたちと話し合おう。あと、優士様ってやめて。今まで通り優士って呼んでくれていいよ」
「……優士」
ぽそりと呟いた稜巳が、頬を赤らめた。
稜巳の執着は色恋的な執着が強めに思えた。
「とんでもない、事実が、発覚した、ので、割って、入って、いいですか?」
モニターの前に座る円が手を挙げている。
円は今、智颯と開や閉と共に、稜巳の中から抽出した穢れた神力の解析に取り掛かってくれていた。
「稜巳の中にあった穢れた神力には、惟神を殺す毒が、含まれています」
智颯が蒼い顔でモニターを凝視しながら説明した。
「化野さんの魂魄、霧咲さんの呪詛が掛かった魂と、同じです。直桜様が、一人で、浄化していたら、恐らくまた、倒れていたんじゃないかと」
ぞっとしない顔で、円が続く。
「やっぱり、そうか」
「そうだろうな」
直桜と清人が同じような反応をした。
円と智颯が同時に振り返った。
「いや……、稜巳の記憶の中で久我山あやめが、瀬田直桜に浄化を頼めって話してたから。何となくそうかなって」
「お前が神を殺すって、言い切っていたからな。だから枉津日は直桜に手を貸したのか?」
清人に問い掛けられて、枉津日神が顕現した。
「惟神を殺す毒であったかは、わからなんだが。ただ、直桜と直日が触れれば危うい呪詛ではあると思うたよ。そういった類の呪詛には吾の神力や鬼力が役に立つな」
枉津日神が護に笑む。
「保輔君や円くんも鬼力が使えます。二人も解毒術が使えるでしょうか?」
「使えようぞ。穢れを含む神力であればよいからな。特に円と保輔は惟神の眷族だから、神力の調節が可能じゃ。穢れを取り込めれば尚良いな」
質問の答えを聞いて、護が保輔と円に目を向けた。
「解毒術の訓練もしましょう。直桜や智颯君を守る術が増えます」
円と保輔が、いつになく積極的な顔で頷いた。
「こんな感じで、惟神を殺す毒が、あちこちに散りばめられているんだろうな」
浄化したら良くない何かが起こると感じたのは、正解だった。稜巳に触れて穢れた神力だけではないと感じたのは、惟神を殺す毒が含まれていたからだった。
(良くない何かは、稜巳じゃなくて俺と直日に起きてるはずだったのか。そこまでは、わからなかったな)
何となく冷めた気持ちで、その事実を受け止める。
久我山あやめは狙った相手や偶然の産物など、ありとあらゆる場所に毒を仕掛けているのだろう、直桜を殺すために。
恐らく仲の悪い姉に無理やり駆り出された久我山あやめは、偶然にも丁度良い相手を見付けて時限爆弾を仕掛けた。稜巳が直桜に出会う確率など、あの時点では天文学的数字といえる。それでも、仕掛けた。可能性を一つでも上げようとするあやめの執念を感じる。
護が直桜の手を、そっと握った。
「何処にどれだけ仕掛けられていようと、私が全部、解毒します。直桜に届く前に、消してみせます」
「今回は枉津日のお陰で未然に防げた。これからも、それらしい案件は俺か護たちに任せりゃいい。何でもかんでも自分でやろうとしねぇこった」
清人が、ディスプレイを見上げながら言葉を投げる。
こういう時の清人は、いつも背中しか見せない。
護の温もりと清人の背中が、ちょっとだけこそばゆい。
「うん、そうだね。頼りにしてる」
素直に気持ちを伝えたら、口元が緩んだ。
「惟神を殺す毒以外の成分分布は、三十年前と大きく変わりないようだな。今もこのままと考えて良さそうか」
忍の意見には同意だ。
饒速日命が弱っている以上、神力の量は増やせない。
そもそもが呪術だから、神力の量が多すぎても成立しないはずだ。
「かなりの事実が分かったが、一つだけ疑問があるな。怨魅寮とは、なんだ?」
忍が稜巳に目を向ける。
稜巳が首を振った。
「私にも、わかりません。この後、理研と集魂会を行き来している時ですら、耳にしませんでした」
稜巳は理研と集魂会の往復を続けている最中に逃げ出した所を、紗月に保護され、英里の家で暮らしていた。
逃げ出すまで、少なくとも二年は理研と集魂会にいたはずだ。
忍の目が今度は保輔に向いた。
「弥三郎の記憶にも、今んとこないなぁ。言葉を聞けば思い出したりすんねやけど、浮かばんから、知らんのかもね。bugsが反魂儀呪の傘下やった時も、俺は聞かんかったなぁ」
「大いなる闇……」
直桜は呟いた。
「反魂儀呪のバックにいる大いなる闇を指すのかもって、思った。理研も同様に所属しているけど、霊能がないなら抜けろとあやめは言った。貢献しなければ切り離されるって話した晴子は焦って見えた」
晴子の様子は怯えているようにも見えた。
それだけ大きな力を持った組織なのかもしれない。
晴子とあやめの会話から、理研と反魂儀呪は同等の力関係に感じたが、怨魅寮は上部組織のようにも感じ取れた。
反魂儀呪もまた、あやめの世代には既に組していて、きっと今も所属しているのだろう。
「ヒントは少ないが、探りを入れる価値は、ありそうだな」
13課が名前すら掴んでおらず、内部にいても単語すらほとんど聞かない。
それだけ秘された存在なのだろう。
不気味さは充分にある。
理研や天磐舟や反魂儀呪とは違う、薄ら寒い恐怖をじんわりと感じていた。
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