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第74話 普通+平穏=幸せ
少し前まで仲の良い二人に嫉妬していたが、最近はあまり感じなくなった。
保輔が護に抱き付くのも、弟が兄にじゃれているように見える。
「そういえばさ、弥三郎は化野の鬼を唯一の友って呼んでいたけど、昔から交流とかあったの?」
「私も不思議でした。化野の鬼と伊吹山の鬼は、互いの存在は知っていても交流はなかったはずですが」
味噌汁を啜りながら、保輔がこくこくと頷いた。
「そら、先代の個人的な友人やわ。小倉山を出て遊行の旅しとった放蕩な鬼がおったんよ。善治とかいう、豪快でやけに明るい兄さんや。今やともう、六十近い年になっとるんやないの?」
護が豪快に茶を吹き出した。
「……それ、恐らく私の父親ですね」
「は?」
「え?」
直桜と保輔が同じような反応をして、テーブルを拭く護を眺めた。
「ウチは一応、本家筋で父は化野の宗主にあたりますが、若い頃はほとんど家にいない人で、時々帰ってくる男の人が父親だと知ったのは小学生になった頃だった気がします」
直桜と保輔は、ぽかんと口を開けて護を眺めた。
「本家と言っても、化野に住む親類は数も少ないですし、大した家ではないんですけどね」
取り繕うように笑う護に、逆に慌てる。
「いやいや、大層な家やで。神殺しの鬼の一族やん。日本最古の鬼やん」
「お父さんの話も衝撃だけど、護は本家の子なのに、家を継いだりとかは、いいの?」
もう何年も家に帰っていないような話をしていたが、その辺りは大丈夫なのか心配になる。
桜谷集落だと大変な問題だ。
「年の離れた弟が跡取りになってくれる予定です。私は神殺しの鬼の素質が幼い頃から現れていて、惟神の眷族になる可能性があったから、跡取り候補からは最初から外れていました」
「そう、なんだ。弟、いたんだ」
護の家族の話を聞くのは、そういえば初めてだ。
驚き過ぎて逆に何の感慨も上がってこない。
「だから保輔君を見ていると、弟を思い出すんです。歳も同じくらいですしね」
護が保輔に笑いかける。
「俺が護さん好きなんは、もしかしたら弥三郎の中の善治を思い出しとんのかもしれんね。見た目も性格も似とらんけど、優しいトコはそっくりやもん」
保輔の言葉に、護が護とは思えないような顔の歪め方をした。
「似ていますか? アレと? どの辺りが?」
とても嫌そうに見える。が、照れているように見えなくもない。
「だから、優しいトコやけど。ごめん、嫌やった? 父ちゃん、嫌いなん?」
保輔が申し訳なさそうに問う。
護が深い息を吐いた。
「嫌いではないです。尊敬もしています。けど、似ていると言われると普通にへこみますね」
眉間に皺を寄せて俯く護は本当に落ち込んで見える。
(嫌いじゃなくて尊敬してるのに、似てるのは嫌なんだ。親がいないとわからない感覚なのかな)
物心ついた時には両親がいなかった直桜には、ちょっと難しい感覚だ。それは保輔も同じなのか、よくわからない顔をしている。
「けど、あの親父なら弥三郎と友人と言われても納得できますね。助けに行けずに悔しかっただろうな」
護が何かを思い出すように悲しそうな笑みをした。
「お父さんから伊吹山の鬼の話は聞かなかったの?」
護が首を横に振った。
「旅先での話はよく聞かされましたが、私の生き方に影響しそうな話は避けていたんじゃないかと思います。そう気が付いたのは、直桜の眷族になってからですが。伊吹弥三郎の話も、その一つだったのでしょうね」
にこやかに話していた護の顔が急に暗くなった。
「酔うと、どうでもいい話を長々始めるんですよ。子供としてはもう眠いのに聞け聞けとうるさいし。鬱陶しさと面倒さは今も健在で困ります」
護の顔の圧に思わず仰け反った。
どれだけ嫌かが伝わってくる。
「けど、愛情も力もある父親ですよ。今の化野の一族で一番頼りになるのは、やはり父ですから」
はにかんだ護の顔は、やっぱり父親が好きなんだと語っていた。
「そっか。会ってみたいな。護のお父さんと弟さん」
護を育んだ家族がどんな人たちなのか、知りたくなった。
「父親なら、直桜は何度か会っていると思いますよ。桜谷集落が小倉山に、一年に一度の浄化と清祓に来た時とかに」
直桜は幼い頃の記憶を手繰り寄せた。
「でも、俺が化野に行ったのって、本当に小さな頃だからなぁ。少し年上の男の子に鬼の昔話を聞いた記憶しかない。そもそもあれも現実なのか妄想なのかも、わからないけど」
あの時、直桜に御伽噺を聞かせてくれた男の子は今も元気にしているだろうか。
もし妄想でないなら、あの子にも会ってみたいと思った。
「え?」
護が驚いたような顔をしている。
「子供の頃、小倉山に行った時にさ、怖がる俺の手を握って昔話してくれた子がいたんだ。すごく安心したんだよね。もし実在したら、護と同じくらいの歳だと思う」
「実在したらって、幻かもしれんの?」
保輔の問いかけに、直桜は素直に頷いた。
「あの頃の俺って、既に生神として奉られてたから友達とか作らせてもらえなくてさ。あまりの友達欲しさに自分が作った脳内の友達だったのかもしれないと思って」
保輔が気の毒そうな顔で直桜を眺めた。
「直桜さんも苦労しとんのやね。最高神には最高神の悩みがあんねやなぁ」
保輔があまりにしみじみとした声で言うので、ちょっと切なくなる。
「その子、俺と話してたせいで集落の人間に暴力振るわれてね。集落の人間は鬼を穢れと忌み嫌うんだ。俺にはその理屈が理解できなくて、怖かったんだ」
化野の鬼を「鬼」という種族の名だけで穢れ呼ばわりする集落の人間たちの感覚が理解できなかった。
鬼が穢れには違いないが、化野の鬼が産土神を取り込み、伊吹山の鬼が惟神を娶ったように、鬼でありながら神に近い存在を、直桜は穢れとは感じない。
穢れた鬼とは阿久良王のような鬼だ。
直日神がいう「邪」こそが、直桜には「穢れ」に感じられる。
「鬼やから穢れ、か。間違いやないけど、桜谷集落の人間の認識は、そないな感じなのやな」
保輔が押し黙った。
瑞悠と結婚したいとまで思っている保輔にとっては他人事ではないだろう。
その辺りも見越して、陽人は保輔を桜谷家の養子に迎えたのだ。
集落の人間を説得するのにも時間と労力がかかったに違いない。
「あの時の俺は幼過ぎて何もできなかったけど、会えたらお礼が言いたいし、お詫びがしたい。実在するなら、元気でいてほしいし幸せになっていて欲しいって、ずっと思ってるんだ。鬼の御伽噺、知らない話ばかりで面白かったんだよ」
何より、握っていてくれた手が、とても安心できた。
保輔が、ひょいと顔を上げた。
「そこまではっきり覚えとんのに、妄想やったら直桜さんがヤバいで。きっと実在するよ」
「はっきりって程でもないんだよね。御伽噺が面白かったのと、握ってくれた手が優しかったのは、覚えているけど。集落の人間が俺から色んな人やモノを遠ざけてたのは、あの頃の俺にとっては日常だったから、妄想でも特に不思議じゃない気がする」
直桜が御稚児修行の一環で化野に出向いていたのは小学校に通う前くらいまでだ。
物心ついた頃には、直桜は生神として隔離され、外界から遮断された生活を送っていた。学校に通わせてもらえたのすら、奇跡のような気がする。
そんな頃の思い出だから、現実なのか妄想なのか、自分でもよくわからない。
一瞬、顔を顰めた保輔が、表情を改めて護に向き直った。
「護さんは今の話に、心当たりないん? 宗主の息子なら、情報とか入ってくるんとちゃう? 護さんに心当たりがあれば、幻やないかもよ」
保輔に振られて、護が大袈裟にビクついた。
その姿を直桜と保輔が怪訝に見詰める。
「心当たり、というか。直桜は幻だと思っていたんですね。だから今まで、その話が出なかったのか」
護が独り言のように呟いている。
俯き加減だった顔を上げて、護が直桜に向き合った。
「桃太郎が持って帰った宝は、仲良くなった鬼がくれたお土産でした。酒呑童子は実は生き延びて、越の国で幸せに暮らしました。そんな話、でしたよね?」
どくん、と胸が大きく静かに、脈打った。
子供の頃の思い出が、護の言葉に重なって脳裏に蘇る。
「一年に一度しか会えない友達に自分が考えた鬼の昔話を聴いてもらうのを、毎年楽しみにしていました。蹴られた時もずっと心配して目を離さずにいてくれましたね」
そう、あの時、直桜の手を握って話をしていた男の子を、集落の人間が蹴り飛ばした。穢れが清浄な神に触れるなと、罵倒しながら暴力を振るった。
ただ見ているだけで何もできなかった自分が悔しかった。
せめて彼が無事で、幸せになってほしいと願っていた。
「あの男の子って、まさか、護だったの? 護は、知ってたの?」
護が嬉しそうに頷いた。
「あの時は私も、わかっていなかったんですよ。まさか、名前も知らなかった友達が実は神様で、大人になって再会して、恋人になって眷族になって一緒に暮らす毎日が待っているなんて、思ってもいませんでした」
直桜は呆然とした。
驚き過ぎて言葉が出ない。
確かに化野は狭い集落だ。けれど、あの時のあの子とこんな風に再会していたなんて、夢にも思わなかった。
「幻や妄想どころやないね。運命やん。やっぱり直桜さんと護さんて、そういう二人なのやなぁ」
保輔が楽しそうに笑んだ。
驚いた様子でもあるが、然程意外そうにもしていない。
「俺、俺……、あの子が幸せになっていてくれたらいいって、ずっと思ってたんだ。俺のせいで酷い目に遭わせちゃったから」
直桜は手を伸ばして、護の手を握った。
驚き過ぎて、何から話したらいいのか、わからない。
「あの時は、ごめんね。俺、何もできなかった。今、ちゃんと幸せ? 俺、護を、幸せに出来てる?」
直桜の手を握り返して、護が顔を寄せた。
「私の人生の中で、今が一番幸せです。直桜が普通にいる今は平穏で、幸せですよ」
ぽたぽたと自然に涙が零れる。
あの時の少年が大人になって、直桜が望む言葉で同じように幸せだと語ってくれる。あまりにも自分に都合が良すぎて、信じられない。
「俺も、今が一番幸せ。ずっと欲しかった普通はこういう平穏だって、護が教えてくれた」
護の手を強く握る。
もう片方の指が、直桜の涙を拭う。
冷たくて優しい温かさは、あの時、直桜の手を握ってくれた温もりと同じだ。
直桜が気付くよりずっと前から繋がっていた温もりなのだと、初めて知った。
「この手はあの時から、繋がっていたんだね」
「直日神が繋げてくれた手です。一生、離しませんよ」
強く握ってくれる手を直桜も同じくらいに強く、握り返す。
護と同じように笑いたいのに、涙が流れて止まらなかった。
嬉しくても泣くのだと、そんな心を直桜は初めて知った。
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