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第75話 帰りの新幹線の中で

 帰りの新幹線の中で、紗月はぐったりとシートにその身を預けていた。  久々の京都出張は13課復帰直後の紗月には堪えた。  陽人のささやかな労いであろうグリーン車のふかふかの座席でも癒されそうにない。 「協力要請のつもりが、とんでもないもん、引き当てちゃったね」  ぐったりと声を掛ける。  疲れ果てた紗月と違い、律はいつもと変わらぬ様子で、クスリと笑った。 「大収穫でしたね。陽人さんが喜びそうです」  普通に嬉しそうな横顔を、紗月は不思議な気持ちで眺めた。 「ねぇ、いつの間に桜ちゃんと婚約してたの? ずっと避けてたって聞いてたけど」  保輔の話を聞いてから、気になっていた。  陽人と律は婚約していないはずだった。なのに保輔は律を婚約者と呼んだ。  生まれた時から陽人にロックオンされていた律は、陽人のラブコールを断り続けていた。 「婚約を受け入れたのは、去年の十一月です。きっかけは保輔君でした」  保輔がきっかけ、というのは、普通にありそうだ。  直霊術と強化術を引き継いでいる保輔を、陽人が放置するはずはない。養子に迎えたのは特に不思議でもなかった。 「保輔を養子にするから、って訳じゃないよね?」 「いいえ、だからですよ」  にとりと微笑まれて、不可解な気持ちになる。  伊吹山の鬼の遺伝子も引き継ぐ保輔を桜谷家の跡継ぎにしたくない集落からの圧だとしたら、不穏だ。 「保輔君が養子に入ってくれたら、最悪、私に子供が出来なくても問題ない。けど、それ以上に、保輔君という存在が、私と陽人さんに本音で向き合うきっかけをくれたんです」  そう話す律は安心した顔をして見えた。 「それに私も、保輔君を可愛いと思います。まだ子供を産んでいないのに、お母さんになるんですよ、私。もうびっくりです」  ワクワクした顔で力説する律に、ちょっと驚いた。 (律ってこんな顔する子だったっけ? いつもニコニコしているけど、内心では何を考えてるか、わかんないような子だった気がするけど)  少なくとも、紗月にとってはそういう娘だった。  笑顔の底が見えない、どす黒い腹の底が時々チラ見えするような怖さのある娘だ。 「陽人さんが集落を説得したけど、きっと鬼が桜谷家の養子になる事実を受け入れられない集落の馬鹿共はまだ生きているので、そういうウジ虫から保輔君を守る盾は多いほうが良いでしょう?」  律が仄暗い笑みを灯す。  紗月は安堵した。この顔こそが、紗月が知っている律だ。 (桜ちゃんと一緒に集落の人間の掃除がしたいのね。だったら、納得だわ。けど) 「律は今、好きな人いないの? 私は来月、清人と籍入れるよ」  二月二十二日、猫の日に清人との入籍が決まっていた。  結婚式は忙しさにかまけてしない予定だ。この歳でウエディングドレスも白無垢も着たくない。晒し者にもなりたくない。 「……そう、ですか。おめでとうございます。ちょっと残念です」  ちらりと律を窺う。  満面の笑みが返ってきた。 「紗月さんは、気が付いていましたよね。私が昔、紗月さんに片想いしていたって。だから、そんな言い方したんでしょ?」  物怖じしないのは、流石律だと思う。 「知ってた。応えられないから、気付かない振りした。告られたわけじゃないしね」  律のセクシャリティには、昔から気が付いていた。  それらしい仕草も言葉も、たくさんもらっていたからだ。  去年の九月に、直桜と護に保護された時、直桜は「律が紗月に嫉妬してるのかも」と話していた。  逆だと思った。 (律は陽人に嫉妬したんだ。たった一言で私を軟禁して好きに扱える。陽人の立場と権力と、十年来の戦友である事実に)  律には絶対に出来ない行為を、陽人なら紗月に簡単にできる。 「そうですね。藤埜室長に持っていかれる前に、一回くらい押し倒しておくべきでした。残念です」  ぎょっとして律に顔を向ける。  力自慢の紗月だが、自分より背が高く力も互角の律に押し倒されたら逃げられるか微妙だ。 「冗談ですよ」  律の顔が近付いて、紗月の頬に口付けた。 「これくらいは、許してくださいね。綺麗なままの紗月さんを藤埜室長にあげるのは、ちょっと悔しいですから」  口付けられた頬を手で押さえて、律をじっとり見詰める。 「なんか、強くなった? こっち系は弱めだと思ってた」  こういった行為には奥手な印象があったが、そこもまた変化があったらしい。 「こういうのを私に仕込んでいるのは、陽人さんですよ」  何も言えなくなった。  婚約したんだし、キスしようがセックスしようが構わないと思うが。 (律がこっち系も出来るようになったら、無敵だな。桜ちゃんは律をどう躾けたいんだ)  ある意味で躾けられているのは陽人の方な気が、しなくもない。 「一番でなくてもいいって。お互いが二番目でもいいから一緒にいようって、陽人さん私に、そう言ったんですよ」  律が窓の外を眺めて話す。 「お互いが二番目って、律にも桜ちゃんにも、一番の人が別にいるワケ?」  紗月の問いに律が少しだけ沈黙した。 「答えなくてもいいよ。プライベート聞き出そうとは思ってな……」 「私はいますよ、一番の人。私の今の想い人は紗月さんじゃない、別の人です。好きな人には、幸せになってほしいですから」  紗月は律の頬を突いた。 「本音を言ってみろ」 「藤埜室長に喧嘩は売りたくないし、さすがの私も、人の幸せを壊すのは後味が悪いですから」 「よろしい」  それでこそ律だと思う。  この娘が他部署では、清楚だ淑女だと持て囃されている理由がしれない。  つい最近も、清人からメッセージで「水瀬さんて、本当はどんな人なの?」と聞かれた。清人も律の本性を知らないらしい。面白いから教えなかった。 「桜ちゃんにもいるの? 律の他に一番の人が」  気持ちとしては信じられない。  陽人は、出会った時から律の話しかしていない。  それ以外の話を噂ですら聞かない。 「一番は、きっと私なんですよ。けど、特別な人が、いるんです。その人はきっと、陽人さんが死ぬまで、ううん、死んでも特別である続ける。本人が死んだら、きっともっと特別になってしまう。だから、私が傍にいようって、思ったんです」  嫌な仮説が紗月の中に浮かんだ。 「桜ちゃんの特別って、保輔ではないんだよね?」 「保輔君も、ある意味で陽人さんの特別だけど、息子にしたい特別ですね」  律が、さらりと答えた。  だとしたら、紗月の中に浮かんだ陽人の特別は、一人しかいない。 「一生、傍にいてあげてよ。腐れ縁の友として、よろしく頼むよ」  もうそれしか、掛ける言葉がない。 「あれ? 気付いちゃいました」  何ともわざとらしい笑顔だと思う。  自分から話を振った挙句、散々ヒントを振りまいておいて、相変わらず惚けた娘だ。 「そりゃ、まぁ。霊銃を託されたの、私だからね」  あの霊銃に込められた想いを知るのはきっと、紗月と律くらいなものだろう。更に上げるなら梛木くらいだろうか。  きっと優士ですら、知らない事実だ。 (直桜辺りは勘付いているかな。同じ集落で二人を見てきた律や直桜だからこそ、私以上に感じる部分は大きいだろうな)  集落にいた頃の陽人と槐を、紗月は知らない。  しかし、やんごとなき関係であるとは、容易に理解できる。 「私と保輔君が傍にいたら、少しは助けになるでしょ? 陽人さんは絶対に間違わない。けど、私たちが傍にいたら、少しくらいは間違うかもしれない」  律の言葉は、何となく理解できた。  きっと、だからこそ陽人はこのタイミングで律を本気で囲う強行手段に出たのだ。 「死なない程度の間違いなら、私もアリだと思うよ」  陽人自身も13課も死なない程度の間違いなら、少しくらいあってもいいだろうと思う。 (清人だって抱かれてんだ。ヤるだけなら好きにしろって思うけど。でも、槐と陽人の関係は、そういうのとは、違うんだろうな)  律がクスリと笑う。 「そうじゃないですよ、紗月さん。持っていかれるくらいならいっそ、私が貰うって意味です。二番目でもいい、なんて、既に陽人さんらしくないもの」  その顔は爽やかで、話の内容とまるでそぐわない。 「ちょっとくらい間違ってくれないと、槐兄様に全部持っていかれてしまうから。それだけは絶対に許せないの」  律の笑みに仄暗い闇が灯る。   「律って、槐嫌い? 結構本気で嫌いだね?」  紗月の問いかけに、律が素直に頷いた。 「集落にいた頃から、大嫌いです。だって、槐兄様が本気で愛しているのは陽人さんだけなんですよ。私と仲良しなワケ、ないですよね」  聞いてはいけない話をはっきりと聞いてしまった気がした。 「この際だから聞くけどさ、陽人は槐を、実際の所、どう思っているワケ?」  霊銃に込められた陽人自身の想いではなく、律の見解が知りたくなった。 「だから特別、ですよ。本人は嫌いって思っていると思うけど。私に向ける想いなんかよりずっと強い。陽人さんの心はずっと槐兄様に縛られたまま、きっと変わっていないから」  紗月は息を吐いた。  陽人の強い想いが憎悪でも嫌悪でも恋情でも、律にとっては何でも同じなんだろう。今でも槐に縛られ続けている事実が腹立たしいのだ。 (気持ちは、わからないでもないけどね)  清人を奪い返すために対峙した槐を思い返すと、今の律の心境が紗月にも理解できてしまうし、共感できてしまう。 (桜ちゃんの槐への想いは、只の嫌いでもなさそうだから、余計に厄介だね)  それについては律に話すのはやめようと思った。  律だって、他に一番がいると言いながら、充分すぎるほど陽人を愛している。  少なくとも紗月にはそう見える。 「血の雨が降らないよう、祈ってるよ」  最早、それしか言えない。 「大丈夫ですよ、紗月さん。陽人さんも直桜も、私が守ります。槐兄様の好きにばかり、させる気はありませんから。一緒に頑張りましょうね」  明るく同意を求められて、慌てる。  素早い動きで紗月の手を握っている律に、驚きを隠せない。  紗月は脱力した。 「ヤダって言っても意味ないんでしょ。程々に頼むよ、マジで」  握った手を嬉しそうに振る律の顔には「巻き込まれろ」とはっきり書いてあった。

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