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第76話 特殊訓練終了

 護の鬼神の本能の覚醒や、稜巳の封印解除で中断していた霊元強化の訓練は無事再開された。  一番最初に霊元を開いた円は、それでコツを掴んだのか、あっという間に自在に開閉できるようになった。  二番目に及第点が出たのは智颯だった。 「護さんに神力を食べて戻してもらってから、とても調子が良いんです。護さんのお陰です」  キラキラした目でお礼を言われて、護が苦笑いしていた。  智颯の後ろから、円の殺気が籠った鋭い視線が突き刺さっていたからだと思う。  結局、居残り訓練になったのは直桜と護だった。  膝を折って座った状態で前屈みになり手を付いた姿勢で、もう何度も保輔に強化術が仕込まれた血魔術をかけてもらっている。 「俺の霊元は何で、こうも頑なに開かないの……」  息を切らせて項垂れる直桜の隣で、護もまた同じ姿勢で息を切らしていた。 「直桜だけではありませんよ。私も開きません」  二人の姿を眺めて、忍が思案顔をした。 「俺の煙の膜、何故か二人には効果ないねん。直桜さんも護さんも、体内に入った途端に浄化してまうから」  直桜は何とか顔を上げた。 「惟神にも効果あるんじゃなかったの? 俺、酒には酔うよ。酒は浄化できないよ」 「いや……、酒いうても鬼力を纏った血魔術やし、その辺で売っとる只のアルコールとはちゃうで」 「その辺で売ってる酒より、ずっと強いんじゃないの?」 「そうやけど、そうやないってば」  やけくそな直桜の愚痴を保輔が流した。 「この際だから直桜と化野の霊元に直接、強化術をぶつけるか」 「それがよさそうやなぁ」  忍と保輔の会話が物騒過ぎて怖い。 「なんで瑞悠と智颯には効果あるのに、俺には効かないんだ」  腕を組んだ保輔が考えるように目を上げた。  ぽん、と手を打って、拳から出た酒を紙コップに流し入れる。 「直桜さん、これ飲んでみて」  紙コップを口元に持ってこられて、クンクンと匂いを嗅ぐ。  強い酒の匂いがした。 「これも血魔術の酒? 飲んだら霊元開くの?」 「いんや、只の媚薬。飲んだら護さんに抱き付いてキスしたなると思うわ」  護が下がっていた顔を思いっきり上げた。 「保輔君⁉ 人前で直桜に何をさせる気ですか?」  護が慌てて直桜の体を引き寄せる。 「効果あったら護さんも得やん。誰にも被害が出ぇへん一番ええ方法やと思うけど」 「何が、どう一番なんです⁉ 霊元を開くのと全然関係ない上に、被害しかありませんよね?」  強く抱き締められて苦しい。  既に十分、恥ずかしい行為をされている気がする。 「霊元以前に、その媚薬、意味なくない?」  そもそも護が好きな直桜に使っても、あまり意味がない気がする。 「意味ならあるよ。いつもよりエロく誘ってくる可愛い直桜さんが見れて、護さんが得する」  直桜を抱きかかえる護が、ごくりと喉を鳴らした気配がした。 「保輔君、その酒……、後で私にください」 「え? 護?」 「後では意味がないな。直桜、今ここで飲んでみろ」  何故か忍が強く促した。  保輔が、直桜の口元に紙コップをずいと差し出す。 「なんで? なんで、忍まで乗り気なの?」  慌てる直桜とは裏腹に忍は涼しい顔をしている。 「保輔の血魔術が全般的に直桜と化野に効果がないのか、試したいのだろう?」  忍が保輔に問い掛けた。  見上げた保輔が頷く。 「俺は直桜さんの眷族や。直桜さんと護さんと同じに直日神の神力を使とる。せやから効果がないのか。それとも、効くのと効かんのがあるんか。それを知りたい。回復系の血魔術はできれば効いてほしいねん。でなきゃ、二人を守れん」  保輔がとても良い話をしてくれている。  それは素直に嬉しいのだが。 「だからって、何で媚薬なの? 保輔はそんなものまで作れちゃうの?」 「俺の想像力の範疇なら、作れるよ。媚薬も一応は薬やし、一番わかり易く効果を実感できると思たのやけど、ダメやった?」  本気で悪気がないらしい。  確かに人前でなければ、護は乗り気だったが。 「わかりました。私がこの場で直桜の総てを受け止めます!」  苦渋の決断をするが如く、護が決意した顔を上げる。 「その決意は要らないよ、護。他に方法があると思うよ」  呆れた気持ちで本気の護と保輔を眺める。 「保輔の血魔術は直桜にも護にも効果があるぞ」  直桜の肩に手を添えて、直日神が顕現した。 「では何故、二人の霊元が開かん? 血魔術の煙は、体内に入った途端に掻き消えるぞ。あれは浄化ではないのか?」  忍が当然のように会話を始めた。  最近は直日神の顕現する率が上がったせいか、直桜の周囲の人は驚かなくなった。 「吸収しておるのだろうな。今はその時ではない」 「意識して吸収しているつもりはないけど、勝手に吸っちゃってるの?」  首を傾げる直桜を、直日神が面白そうに眺めた。 「食事をした胃の腑の中身を意識して吸い上げはせぬだろう。同じ話だ。必要になれば、保輔の血魔術は直桜にも護にも作用する。案ずるな」  忍が難しい顔をして直日神を眺めている。   明らかに説明を求めている顔だ。  直日神が顎に指を添えて、考える目をした。 「そうだな。保輔、霊元を開いてみよ」  直日神に促されて、保輔が目を閉じ集中する。 「え? 開かん……、なんで?」  不安そうな顔で保輔が直日神に目を向けた。 「保輔が霊元の開閉の術を得たのは、直桜の眷族になるより前だな」  直日神を見詰めたまま、保輔が不安そうな顔をした。 「眷族になったから開かんの? 同じ眷族の円は開いたのに?」 「智颯は、それを良しとした。だから智颯も円も開いた」  直日神の目が直桜に向く。 「直桜と護は元より神力の量が多い。開けば今以上の力が溢れる。自他ともに危険の方が大きい。直桜はそれを良しとしないのだろう」  直日神の目を眺めていたら、気枯れを思い出した。  直桜が無意識に気枯れをする時は、直桜の中に直日神が溶けて、自分の総てが開放されるような感覚だった。  あれが霊元の解放なのだとしたら、無自覚で制御してしまうかもしれない。 「だから保輔の血魔術を無自覚に拒否したわけか」 「そうだ。しかし、必要なら開く。開く術は各々が時期に気付こう」  顔を合わせた護と保輔が不安そうな表情をしていた。 「直桜さんと護さんは元の神力も鬼力も多いかもしれんけど、俺は|違《ちゃ》う。自分の意志で開けんのは、不安や。大きな力が必要な場面やって、今後はきっとあるやろ?」  保輔の言葉を聞いて、忍が納得の表情をした。 「なるほどな。今の保輔の言葉で理解した。化野も保輔も自分を犠牲にしても力を使う懸念がある。直桜はそれを防ぎたいのだな」  霊元を開いてまで力を使えば、霊力が枯渇して霊元そのものが枯れ、死にかねない。死なない程度に力を残すのは難しい。使うなら文字通り最後の手段だ。  直桜は考えながら頷きとも取れない相槌を返した。 「そんな風にはっきりとは考えていなかったけど。元々、保輔を眷族にした動機が、自分を大事にしてもらうため、だから。霊元を開く感覚が、俺が気枯れした時みたいな状態なら、やめてほしいと思う」 「直桜に関しては、そうだな。気枯れをしている時の直桜は、吾を受け入れ、総てが開いた状態だった」  直日神の肯定に、忍と護が蒼褪めた。 「保輔の霊元はこれから育つ。育つ前に無理にこじ開ける必要はない。鬼力はこれから増える。案ずるな」  直日神のフォローにも、保輔の顔色は冴えないままだ。 「保輔には鬼力の量を補うだけの器用さがある。俺も心配はないと思うが。不安なら霊元強化の訓練をするか? 仙人寄りの術で、円もそれで霊元自体を大きく育てた。今も続けているから、一緒に訓練できるぞ」  どんな場面でも忍は相手の長所と短所を見極めてアドバイスをくれる。失敗しても良かった点を必ず探してくれる。指導者向きの人だと、改めて思う。  保輔が忍の提案に飛びついた。 「やる! 忍班長の部屋に泊り込んだらええ?」 「通いでいい。円も通いだ。俺は陽人と違って一緒に風呂に入れとは言わん」  特訓なら泊り込み、というのが保輔の中でスタンダードになりつつあるらしい。  一緒に風呂に入っている話は直桜たちしか知らないはずだが、誰に聞いたんだろうと思った。陽人辺りに直接、話されたのだろうか。 「時期に気が付くというのは、必要ならきっかけがある、と考えて良いのでしょうか?」  やはり護も不安そうだ。  直日神がまた考える顔をした。 「月山で鬼を退けた時、護は鬼力を開花させた。あの時は霊元が開いておったぞ」 「それって、一回目も二回目も?」 「いいや、二度目の方だ」  あの時、護は|朱華《はねず》の鬼力を二回使っている。  一度目は阿久良王の体を吹き飛ばした朱華の炎の玉だ。  二度目は阿久良王の顔を焼き、猫鬼の尻尾を切り落とした燃え盛る炎だ。両手に展開した血魔術の炎は天に届く勢いで、一度目とはまるで別物のようだった。 「二度目の炎の血魔術を使った時に霊元が開いていたってのは、わかる気がするね」  それくらい、凄まじい勢いだった。 「あの時は夢中でしたし、意識して行ったわけでもないです。きっかけといわれても、思い当たりません」  しゅんと肩を落とす護の頭を、直日神が撫でた。 「護は優しい。だから、鬼力が成り、霊元が開くほどの力が使えた。それは直桜も保輔も同じよ。各々にきっかけは異なろうがな」  気枯れをした時の直桜は、たくさんの負の感情に呑まれた。  阿久良王を退けた時の護は、鬼に強い怒りを向けていた。 「強い感情が必要なの? 自分を見失ったり、奮い立たせるような」  直日神が直桜に向かい笑んだ。 「見失のうては、いかんがな。各々が力を欲する感情は、各々が見付けねばならぬ。簡単に使ってよい力ではない」  忍が一人、得心した顔で頷いた。 「気枯れした時の直桜が、霊元が開いた状態だったのなら、安易に開けとは俺も流石に言えんが。結局は直日神の采配だな」 「そればかりではないぞ。直桜の気持ちを少しも汲んだに過ぎぬ。直桜も護も保輔も、吾の可愛い子らだからな。自ら傷付くような振舞はさせられぬよ」  直日神が三人を抱きくるめる。  気恥ずかしいが嬉しくて、何も言えなくなってしまった。  結局、直桜と護、保輔の霊元は直日神のアドバイス通り、無理に開かない方向で決着した。たとえ直日神と神結びをしていても、気枯れした時のような状態になれば、直桜は自我を失いかねない。その方が危険であると忍が判断した結果だった。  毒対策としては意識下で閉じる方が大事なので、それがクリアできれば及第だそうだ。  この日をもって、約二週間の工程で組まれた特殊訓練を、直桜たちは無事に終了した。

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