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第77話 マヤの予言

 訓練を無事に終えた休暇明け、直桜と護と保輔は再びマヤに呼び出された。  思えば栃木出張から戻って以来だ。 「今回は俺たちだけなんだね。保輔が眷族になったからかな」  円が智颯の眷族になった報告は、年明けに二人で済ませていたらしい。  保輔が眷族になった報告は、そういえばまだ、できていない。 「どうなのやろね。この本、持って来いって言われたし、他の用事かもよ?」  保輔が手に持った本を掲げて見せた。  マヤが保輔に渡していた本だ。 「伊吹山の絵も気になっていましたから、呼んでもらえたのは好都合ではありますね」  長い廊下の先、マヤの書庫の入り口にかけてあった伊吹山の絵がどうなっているかは、直桜も気になるところだ。  稜巳の封印が解け、保輔に記憶が戻り始めた。伊吹山の絵も完成していてもおかしくない。  地下十一階のエレベーターを降りる。  廊下を歩きながら、何気なく外の景色に目を向ける。  以前は海が広がっていた外観は、山の中に様変わりしていた。 「え? 外の景色、海じゃない。ここって、どこなんだろう」  直桜の声に反応して、護と保輔が窓に寄った。 「見え方が変わった程度じゃないですね。全く別の場所です」 「移動したんかな? 空間術?」  保輔の問いかけに、護が呻った。 「神倉さんの空間術のようなものかもしれませんが、ちょっと違う印象を受けますね。まるで現世ではないような、知らない感覚です」 「でも、幽世って感じではないよね。異空間特有の空間の歪みがないっていうか」  淫鬼邑も人狼の里も、入り口に入る時、違和感があった。そういう体感的な違和をマヤの書庫には感じない。  護と直桜の言葉を受けて、保輔が首を捻った。 「ほんなら、時空かもね。時間軸が違うのかもしれんよ」  保輔の言葉に、直桜と護は揃って振り返った。 「やって、マヤさんの魂の色が、そもそも……」 「お早いご到着、痛み入ります。出迎えが遅れまして、申し訳ございません」  気が付いたら目の前に黛が立っていた。  書庫の入り口前で、直桜たちに向かい深々と頭を下げている。 「いつの間にか、書庫の扉まで来ていましたね」  護の言葉には諦めに近い納得が含まれて聞こえた。  直桜たちはエレベーターを降りた後、廊下の途中で外の景色に気を取られて足を止めた。明らかに書庫の入り口まで歩いてきてはいない。  この程度の不思議をいちいち確認する気にならないのは、流石オカルト担当部署といったところだ。 「伊吹山の絵、外したのやね」  書庫の入り口近くに掛けてあった絵が消えている。  保輔の問いに、黛が顔を上げた。 「その絵のお話を今日、皆様にお伝えしたく存じます。中へご案内いたします」  黛が書庫の扉を開ける。  中には前の通り、仕事机を前にしてマヤが座っていた。  直桜たち三人が中に入り扉が閉まると、マヤが立ち上がった。  保輔の目の前に立ち、その顔を覗き込む。 「やっと良い顔になったのね。本は持ってきたかしら」  保輔が頷いて、本を掲げて見せた。 「なんや、この前は、ありがとぅな。あん時はヘコんどったさけ、マヤさんの言葉もようけわからんかってんけど、落ち着いてよぅ考えたら、嬉しかったわ」  はにかむ保輔の顔を眺めていたマヤが、その顔をするりと撫でた。 「お礼を言われる話はしていないわ。私の言葉は命脈とその欠片に関わるものだけ。貴方が貴方らしくいなければ、命脈が繋がらないだけよ」  保輔が、ふぅんと鼻を鳴らす。 「それでも、嬉しかったよ」 「……そう」  小さく返事したマヤの顔は、少しだけ笑んでいるように見えた。  黛が大きな包みを持って机に立てかけた。  包んでいた布が落ちると、伊吹山の絵が現れた。 「前に部屋の外に掛けてあった絵だよね? ちょっと感じが変わった?」  微量の鬼の気配を纏わせていた絵から、別の気配が漂っている。  主に妖怪のように感じた。 「命脈の欠片が沢山、集まったの。伊吹山の鬼の記憶、角ある蛇の封印解呪、記憶の中の土蜘蛛と討伐の風景、でもまだ、足りないわ」  マヤが保輔の手の中の本に指で触れる。  本が手から離れて舞い上がる。宙に浮いたままページが開いた。  パラパラとめくられたページから、色とりどりの球体が浮かび上がり、絵の中に吸い込まれていった。 「また流れ出る気が変わりましたね」  護が顔をしかめた。  伊吹山の絵から流れる気配が増えた。増えて詰まっていくような充足感にも似た気配だ。  マヤが本を指さす。宙に浮いていた本が保輔の手に戻った。 「欠片を集めて、本に収めて持ってきてほしいの。どんな欠片でもいい。絵に関わる欠片でなくても構わないわ」  保輔が自分を指さす。  マヤが頷いた。 「命脈の欠片を集めんの、手伝えって言っとる?」 「そう。貴方は私と相性がいいようだから。その本も上手に使えているわ。これからはもっと上手に使えるよう、使い方を教えるわ」  護が納得した顔をした。 「確かに、月山では保輔君が本に収めて持ってきてくれた清人さんの結界術のお陰で命拾いしましたね。術を本に収める発想は見事でした」  護に褒められて、保輔が照れた顔をする。 「命脈みたいに形のないもんでも収められんなら、術も入るかなって思っただけやで。あん頃の俺は今より何も出来ひんかったさけ、他人頼りやっただけや」 「出来ないなりに出来る何かを探せるのが、保輔の良い所だよね」  直桜にまで褒められて、保輔が顔を赤くした。 「伊吹山の絵は完成間近よ。すべて揃えばきっと、貴方たちの力になる。もう少し、あと、少し」  マヤが独り言のように呟いた。 「それって、天磐舟にも関係ある? 奴らが動き出す前に揃えないといけない?」  直桜の問いかけに、マヤが首を傾げた。 「動き出さなければ、揃わない。必要なのはその先の、大いなる闇の力に、抗うため」  マヤの目が絵を見詰める。  瞬きもしない瞳に息を飲んだ。 「大いなる、闇、か」  マヤが、ゆっくりと直桜を振り返った。 「始点が動き出した。直日神の惟神は常に始まりの人間。貴方は理であり、理を守る者」  マヤの目が護に向く。 「始点に沿う|運命《さだめ》は理から離れてはいけない。疑ってもいけない。必ず傍で支えるの。貴方が始点の、理の命よ」  マヤが護の胸を指先で突いた。  初めてマヤの書庫に来た時も同じ話をされた。だが今は、マヤの表情が違う。 「貴方は要、結び目。転機だった鬼は直日神の惟神の眷族になった。けど、結び目には違いない。守る相手を間違ってはいけない。貴方の過ちが、総てを壊す」  マヤに真っ直ぐに見詰められて、保輔が息を飲んだ。 「大いなる闇が動き出した。止められるのは理である貴方よ、瀬田直桜」  マヤが直桜を振り返る。 「大いなる闇について、マヤさんは何か、わかる? 怨魅寮って、関係あるの?」  稜巳の記憶の中であやめが話していた存在が、直桜はずっと気になっていた。  直桜の問いかけにマヤは肯定も否定もしなかった。 「曖昧であやふやで、触れられない、届かない。けれど、確実に存在する。理を壊して、世界を崩したい、者たち」  護が顔をしかめた。  マヤが指摘する理は、現世であり、世界であり、直日神の惟神なのだろう。 「関わる者がある以上、知る者は、必ずある。貴方たちの手が届く範囲での可能性は、伊吹山の鬼の記憶の中、陰陽師連合、呪禁師協連、饒速日命、角ある蛇、八咫烏、重田英里」 「英里さん……」  直桜は呟いた。  今までの断片的な話を繋ぎ合わせると、知っていてもおかしくない。 「重田さんの霊元からは、知れないのでしょうか?」  護の声は、あまり気乗りしない様子だ。  円の解析術を使えば、記憶の抽出は出来なくもないのだろう。あまりやりたい方法ではないが。 「無理やと思う。俺の、伊吹弥三郎の記憶と同じで、きっかけがないと思い出せんもんやないかな。俺も、弥三郎の記憶を全部思い出してない」  保輔の話は、きっと感覚的なモノなんだろう。  例えば脳の中に潜在的に記憶が眠っていたとしても、表在化していないと抽出は難しい、と言いたいのだろう。 「饒速日、角ある蛇、八咫烏、か」  饒速日命は天磐舟から救い出さなければ話にならない。  稜巳も封印が解けたばかりだ。あの日以来、梛木の所にいるが何の音沙汰もない。 「八咫烏……、そういえば前にも、八咫烏ってキーワードにあったよね? 集魂会の黒介とは違うの?」  マヤが首を傾げた。 「出会っていれば、命脈の欠片を貴方から回収出来るわ」 「じゃぁ、別の八咫烏か」  探すところからとなると、手掛かりがない。  困った顔をしている直桜をマヤが振り返った。 「きっかけは向こうからやってくる。天磐舟が持ってくる。黒介とかいうお友達にも、聞いてみるといいわ」  マヤが聞けというからには聞くべきなのだろう。  直桜は頷いた。 「あのさ、前にも今日みたいな話をマヤさんはしてくれたよね? けど、あの時とはちょっと違う気がする。マヤさんにとって、天磐舟はもう脅威ではないの?」  直桜は素直に感じた疑問を投げてみた。  マヤがツカツカと直桜に歩み寄り、ふわりと抱いた。 「私、貴方のそういうところ、好きよ」 「え? どういう意味?」  訳が分からなくて、戸惑う。  隣の護も、怒っている様子ではない。マヤのこういう態度には慣れたらしい。 「種が目を覚まし人狼を得て、気吹戸主神の惟神が眷族を得た。伊吹山の鬼が覚醒し、直日神の惟神の眷族となった。鬼神は鬼力を得て、本能を操る術を得た」  マヤが顔を上げて、体を離す。 「貴方たちは自ら力を開いた。穢れた神力では、今の貴方たちの力を奪えない」  直桜の肩の力が抜けた。  隣の護も保輔も同じように安堵しているのが伝わってくる。 「だから、気を付けて。欲しがる者たちは外側から、貴方たちの心を奪いにやってくる。理に成り代わりたい者たちは、貴方たちの心を壊して力を奪う」  緩んだ気が、また引き締まった。 「理に? 神様になりたいとか、そういう話?」 「彼らが欲しい理が、神なのか、力なのか、人なのかは、知れない。ただ、大いなる闇もきっと、同じ思いを持っている。そう、感じるの」  マヤの話は腑に落ちた。  今までに得た情報を照らし合わせれば、納得できる。  天磐舟も理研も反魂儀呪も13課の術者を欲しがっている。 「マヤさんは、さ。反魂儀呪を、どう思う?」  直桜は、ずっとマヤに聞いてみたかった疑問を投げた。  マヤの話は天磐舟や理研の話ばかりで、反魂儀呪については触れてこない。 「彼らは、理の一部であり、理の外側に在る者よ。同じように脅威であり、それ以上、或いはそれ以外の存在」  振り返ったマヤの顔を見詰める。  マヤが直桜の胸を指で突いた。 「感じる心を大切になさい。どれだけ誰が何を言おうとも、理の中心は、貴方。総て貴方で終始する。直日神の惟神とは、そういう存在。貴方が望もうと望むまいとね」  とん、と軽く指で押されて、直桜は後ろに下がった。 「マヤさんは前にも、直日神の惟神に、会ってる?」  口を突いて出た質問は、自分でも荒唐無稽だと思った。  直桜以前の直日神の惟神は何十年も前に一人、存在した。四神のように常に現世にある惟神ではない。   「私が特殊係で出会った直日神の惟神は、貴方で三人目よ」  直桜は息を飲んで絶句した。  マヤの目が保輔に向く。  首を捻った保輔だったが、納得したような顔をした。 「マヤさんは魂だけが生き続けとる人形やで。後ろの二人、黛さんと墨さんが傀儡師と魂魄師やんな」  保輔の問いかけに、黛と墨が頭を下げた。 「マヤ様の御生年は江戸は幕末。維新の後、椚木家は華族として班長須能忍様とともに特殊係を支えてまいりました。恐らくは忍様に次ぐ古参かと存じます」  黛が、ニタリとして顔をあげる。 「マヤ様の魂とお体のメンテナンスは私共が毎日、欠かさず抜かりなく行っております。魂魄術は現代こそ禁忌に抵触しますが、特殊係に在る以上は合法。常に優秀で美しいマヤ様を維持してございます」  墨が深々と頭を下げる。  直桜と護は絶句した。 「保輔、知ってたの? いつの間に聞いたの?」 「聞いてへんけど、何となく気付いてたよ。そこまで詳しくは、知らんかったけど。マヤさんは魂で、維持してんのは後ろの二人やなって思っとっただけや」  しれっと凄い話をしてくれるなと思う。 「直霊術、ちゃんと身に付いているわね。伊吹山の鬼の目と併せて使えているのも好ましいわ」 「マヤさんに褒められると、なんや嬉しいな」  保輔が素直に喜んでいる。  確かに保輔はマヤと相性がよさそうに見える。  只々驚く直桜と護を振り返り、マヤが笑んだ。 「私の生まれは幕末だもの。忍に比べれば、若いわよ」  得意げに話すマヤの顔が、ちょっとだけドヤっているように見えた。 Next⇒『仄暗い灯が迷子の二人を包むまで Ⅴ章』

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