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第2話

 彼の姉であり、裕章の母である志保子(しほこ)の病は、安静にさえしていれば自宅療養も不可能なことではなかった。ただ、早くに夫を亡くした婚家での静養は、本人も周囲の者も妙な気苦労に煩わされる。そこで志保子自身の希望もあって、彼女には都会の喧騒を離れたサナトリウムの特別室で、別荘暮らしのような優雅な生活が与えられていた。  もちろん無理さえしなければ、志保子は充分に裕章の側に居られるのだ。だが、それは毎年クリスマスから正月までとに決められていた。  岩嶋家の嫁として、当家の重要行事の一つであるクリスマスパーティーに出席するために、志保子は毎年この時期にだけ帰宅する。そして正月の3が日を終えると、また遠いサナトリウムへと発つのである。このわずか2週間足らずの間だけ、裕章は母親の側に居ることが許されるのだった。  しかし今年は、岩嶋家に嫁いで初めて、志保子は恒例のパーティーを欠席した。ついに病床で年末年始を迎えることになってしまったのである。  母の病状を思い、裕章のあの瞳は暗かった。 「裕章……」  哲臣は、自分の傍らへ少年を招いた。  三条家もまた、華族の流れを汲む名門の家柄である。両親は共に事故で失った。残されたたった2人の姉弟だったが、姉・志保子は無事岩嶋家に嫁ぎ、今は哲臣が当主としてたった1人で三条家を支えている。  三条家は、名家ではあったが特に家業を持たなかった。戦後長くは、正に没落貴族の斜陽さながらと言えた。けれど、哲臣には才覚があった。姉が岩嶋家と縁を結んでからと言うもの、さらにその才は開花した。今では哲臣は、趣味が高じた画廊を始め、幾つかの事業を展開する程となっていた。誰にも邪魔されない夜を過ごすことが出来るこの心地よい空間も、哲臣が自分自身の力だけで手に入れた三条家の別荘である。  夜となってもなお、白い吹雪は空を覆い隠す。隔絶された別世界。まるで、この世には2人だけしか存在しないかのような錯覚。  哲臣が気に入ってわざわざ取り寄せたという、19世紀初頭のイギリスで作られた東洋趣味のある、大きな安楽椅子。そこに身を沈めるようにして座っていた裕章は、叔父に手招きされ、喜々として弾かれたように椅子から飛び出した。  早くに父を亡くした裕章にとって、父に代わる最愛の叔父だった。母の体調を憂い、沈みがちな裕章であるが、それでも、初めて迎えた叔父との2人だけのクリスマスに、自然と高揚する気分を抑えられない。  ゆったりとソファーに寛ぎ、年代物のブランデーの芳香を楽しんでいた哲臣の側に、はにかみながら裕章が寄り添った。 「僕、お祖母様が、ここへ来ることを許して下さるなんて、信じられなかったんです…本当は。今でも、ちょっと不思議。叔父様が、お祖母様に……」  小さく、裕章は呟いた。  母の病気のことを思い詰めている、僅か13歳の子供の裕章にとって、祖母の主催する壮麗なパーティーは、気晴らしどころか、かえって気の重い予定だった。その様子にいち早く気づいた哲臣が、裕章の祖母である岩嶋珠生にその旨を申し出て、やっとこうして連れ出すことに成功したのである。  本来ならば、病弱な嫁でしかない志保子の実家である、三条家の弟の申し出など、気位の高い珠生が素直に受け入れるはずがなかった。だがさすがの珠生も、精彩のない愛孫を前にしては、折れる他なかったのだ。 「お祖母様も、君を心配して下さっているんだ。元気を出さなくてはね。お母様の耳にでも入ったら、きっとお母様も悲しまれるよ。お母様も1日も早く君の顔が見たいに違いない。君のように愛らしい息子を、1年も見ないでいられるわけないんだから」  哲臣は、優しく裕章の薄い肩を抱き寄せた。慰めるように、励ますように。 (姉さんも、これほど美しい者を(のこ)して、()けるはずがない)

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